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やっぱり本を書きたい。
2024年の手帳を見返すと、目標としてデカデカと『本を出す!!』と書いてあった。
この時の私は、note創作大賞をとるつもりでいたので、その後の自然な流れで商業出版のお声がけがあると信じていたのだ。
実際どうなったのかと言えば、中間選考も通らなかった。
でも、あの時あの文章を書けたことは私の中でとてもプラスに働いている。
父のガン宣告から、亡くなる日までのことを思い出しながら書いた作品。今ではもう書けない。
あれを書かなければ、父の死を受け入れられなかった。
たぶんまた目を逸らして、楽しい何かで紛らわして、心の奥に暗いものを抱えながら、日常に流されてた。
父が死んだことも自分がいつか死ぬことも、直視できなかった。
書こう!!と決める前、何が辛かったかというと、父との色んな場面と自分の気持ちが何度も何度も頭の中で反芻されること。
そのたびに涙が出た。
夫に聞いてもらっても、母と悲しみを共有しても、同じように父親を亡くした友達と泣きながら話し合っても、それでもまだ頭の中では、言葉にできない言葉と、目に焼き付いた場面がぐるぐるまわっていた。
夫にとって父は義父だし、夫の両親は健在で、私の気持ちは分からない。
母にとって父は夫で、父親を亡くした私の悲しみと夫を亡くした母の悲しみは違う。
父親を亡くした友達は、私の父のことはほとんど知らないから、父という人間がいなくなったことについては共有できない。
つまり、私の悲しみは私だけのものであって他の誰のものでもなかった。
私自身が向き合う必要のある悲しみだった。
自分と向き合うのも、父の死と向き合うのも、辛かった。
でも見ないふりをすることは、もうできなかった。
そんな訳で、私はnoteに父のことを書くことにした。(で、それが創作大賞をとって出版されると信じていた)
創作大賞に応募した後、ひっそりとKindle出版にも挑戦した。
やっぱり本を書いてみたかった。
でも、Kindleではこういうのが読まれるかな?とか、まずは形だけでもやってみよう...とかやっているうちに、自分の書きたいことと全く違うことを書いてしまった。違うなんてレベルじゃないくらい。
もちろん、嘘を書いたり適当に書いたりはしていない。精一杯やった。
でも、これはあまりにも違いすぎる...と思い、削除した。
note創作大賞で中間選考も通らなかったことと、Kindle出版で間違えてしまったことで、『本を出す!!』と手帳に書いていたことからは、目を逸らした。
とりあえず文章を書くことは続けよう。
本の良さを伝えられる仕事に就こう。
そう思っていた。
最近、ものすごく魂のこもった本を読み、久しぶりに号泣してしまった。
(すずひらさん著『会社を辞めて生き方を変えることにした』、『会社を辞めて生き方を変えてからの3年間』)
それと同時に、自分の人生を思い通りに生きるのだと決めたのに、現実的な手段とか、お金とか、無意識にそういうものに引っ張られていた自分に気がついた。
自分と向き合うという作業は、当たり前だけど一度で終わりじゃなく、日々しなければいけないことで、そのためには読書と書くことがやはり必要だなと改めて実感した次第。
何が言いたいのかというと、やっぱり本を書きたい。今年1年かけて書こうと思う。
まずは、1日1行でも良いから進める...
文中のnote創作大賞応募作はこちら
ちょっと長いですがよろしければ、読んでみて下さい。
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