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本当の自分ってなに
最近ずっとモヤモヤしていたものの正体が少し分かった。
私は父の死をキッカケに、有限な自分の人生を自分らしく生きるのだと決心した。
正確に言うと決心したというよりは、段々とその方向に舵を切り始めた感じ。
でもそんなに急に何かが変わるわけではない。
変わったのは私の心の中だけであって、当然目には見えないし、形もない。
今までの延長線上にいる自分と、それとは全く別の価値観を持つ自分が混在しているような感じだった。
「私は会社員をしながら、絵を描いているんですけど」
「うん、いいね」
「絵を描いていると、ま、もちろん楽しいという気持ちもありつつ、なんだろな、すごい辛い気持ちになることもあって、会社に行ってるとその会社に行ってて大事にされること、評価されること、たとえば売り上げを上げることとか、そういうことと今自分が絵を描いているってことがあまりにも対極にありすぎて、混乱するっていうか、どっちに世界があるのかって」
これを読んで、あーなるほど...と思った。
今、私は本を読んだり、文章を書いたり、本を書こうとしたりしていて、それは間違いなく私自身であって、その私こそが今まで蓋をしてきた本当の自分なのだと思っていた。
そういう私の目から見ると、会社での仕事はひどくくだらないものに思えて、仕事だけでなく周囲の人間関係も、ゴシップや悪口で盛り上がる会話も、ものすごくバカバカしくうつり、自分はもうこういう世界感で生きてはいないんだという感覚になっていた。
一方で、今までの延長線上にいる私が、本を書きたいなんて言ってる自分を見ると、それこそバカバカしい、絵空事を言ってるように見えて、恥ずかしすぎて消えたくなる。一体なにやってるんだろ?という気持ちになる。
本当にそれぞれが対極にある感じがする。
どっちに対しても嘘をついているような気がしてくる。
なんだか、ものすごく孤独になる。
でもどちらの自分も本当の私なのだ。
文章を書く自分も、パートしてる自分も、妻であり母である自分も、娘である自分も、友達といる時の自分も。
自分の実存みたいなものを一つのことに集中させようとするから、話がややこしくなる。
どの私も私であって、実存は複数あってもいい。
むしろ複数ある方がいい。
その前提を持つだけでも、自分に対する見方が少し変わる気がする。