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渋谷のスクランブル交差点を初めて見たとき涙が出た

中学生のとき初めて渋谷に行き、初めてスクランブル交差点を見た。

あまりの人の多さに圧倒されると同時に、
この人たちはどこへ向かって歩いているのだろう?
ここにいる全ての人が、どこかに向かって歩いていて、それぞれに目的地がある。
今、私の目に映っている全ての人に大切な人がいて、その人も誰かにとっての大切な人なんだ。みんなに私が知らないそれぞれの人生があるんだ。
そう思い、涙が出てきた。
それは、感動なのか畏怖なのか分からなかった。

無数の人生の尊さみたいなものを感じると同時に、自分が大きなもののほんの一部であり、私がみんなを知らないように、みんなも私を知らない。それに対する怖さのようなものも感じていた。

1937年、『君たちはどう生きるか』は、日本で日中戦争が始まり、ヨーロッパではムッソリーニやヒトラーが政権をとる中で、出版された。
そんな時代背景の中80年以上前に書かれた本の一文に、私がスクランブル交差点で考えたことと同じようなことが書かれていて驚いた。
主人公はコペル君というあだ名を持つ中学2年生の男の子。私が初めて渋谷に行った時と同じ年頃だ。
コペル君が銀座のデパートの屋上から、霧雨が降る銀座通りを見おろしている時の描写である。

びっしりと大地を埋めつくしてつづいている小さな屋根、その数え切れない屋根の下に、みんな何人かの人間が生きている!それはあたりまえのことでありながら、改めて思いかえすと、恐ろしいような気のすることでした。現在コペル君の眼の下に、しかもコペル君には見えないところに、コペル君の知らない何十万という人間が生きているのです。どんなにいろいろな人間がいることか。こうして見おろしている今、その人たちは何をしているのでしょう。なにを考えているのでしょう。それはコペル君にとって、まるで見とおしもつかない、混沌とした世界でした。

君たちはどう生きるか 吉野源三郎著

コペル君が一緒にデパートの屋上にいた叔父さんに、この話をすると叔父さんは後日手紙をくれる。

ほんとうに君の感じたとおり、一人一人の人間はみんな、広いこの世の中の一分子なのだ。みんなが集まって世の中を作っているのだし、みんな世の中の波に動かされて生きているんだ。
中略
自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることが出来ないでしまう。

君たちはどう生きるか 吉野源三郎著

叔父さんは屋上での気づきをコペルニクスの地動説になぞらえ、甥っ子にコペル君というあだ名をつけたのだった。

年末年始、実家に帰り子供部屋のクローゼットを開けると、小学生のころ何度も繰り返し読んだ『ちびまる子ちゃん』が全巻そろって並べられていた。

久しぶりに手に取ってみる。
『ちびまる子ちゃん ーわたしの好きな歌ー』は
絵描きのお姉さんと仲良くなることから、始まるお話。街中で似顔絵を描くお姉さんの隣で

ここに座っているといろんな人が通りすぎてゆくね
みんなどこへ帰るんだろう...
みんな元気だといいね...って思うよ

ちびまる子ちゃんーわたしの好きな歌ーさくらももこ

とまる子が考えるシーンがある。
この漫画のあとがきには、

まる子が万歳している瞬間にも宇宙全体のそれぞれの生命が平行してそれぞれの世界をくり広げています。
『ちびまる子ちゃん』ではまる子の世界をクローズアップして描いていますが、平行して動いているあらゆる世界のことを私は忘れないでいようと思います。

ちびまる子ちゃんーわたしの好きな歌ーさくらももこ

とあった。

ここまで書いて、思い出したことがある。大好きな本『モリー先生との火曜日』で、モリー先生が話してくれる「小さな波の話」だ。

「いいかい。実は、小さな波の話で、その波は海の中でぷかぷか上がったり下がったり楽しい時を過ごしていた。気持ちのいい風、すがすがしい空気ーところがやがて、ほかの波たちが目の前で次々に岸に砕けるのに気がついた。『わぁ、たいへんだ。ぼくもあぁなるのか』そこへもう一つの波がやってきた。最初の波が暗い顔をしているのを見て『何がそんなに悲しいんだ?』とたずねる。
最初の波は答えた。
『わかっちゃいないね。ぼくたち波はみんな砕けちゃうんだぜ!みんな何にもなくなる!ああおそろしい』すると二番目の波がこう言った。
『ばか、わかっちゃいないのはおまえだよ。おまえは波なんかじゃない。海の一部分なんだよ』」

モリー先生との火曜日 ミッチ.アルボム著

私がスクランブル交差点で感じたことと、コペル君や、まる子が感じたことは、たぶん同じなのだと思う。そして、それは「小さな波の話」につながる。

30年以上も前のことなのに、今もまだスクランブル交差点での記憶が鮮明に残っているのは、人間が生きていく上でとても大切なことだからなのでないか。

そして38歳の今、『君たちはどう生きるか』を読み、ちびまる子ちゃんを再び手にとったことも、忘れてはいけない記憶への喚起だったのかもしれない。

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