渋谷のスクランブル交差点を初めて見たとき涙が出た
中学生のとき初めて渋谷に行き、初めてスクランブル交差点を見た。
あまりの人の多さに圧倒されると同時に、
この人たちはどこへ向かって歩いているのだろう?
ここにいる全ての人が、どこかに向かって歩いていて、それぞれに目的地がある。
今、私の目に映っている全ての人に大切な人がいて、その人も誰かにとっての大切な人なんだ。みんなに私が知らないそれぞれの人生があるんだ。
そう思い、涙が出てきた。
それは、感動なのか畏怖なのか分からなかった。
無数の人生の尊さみたいなものを感じると同時に、自分が大きなもののほんの一部であり、私がみんなを知らないように、みんなも私を知らない。それに対する怖さのようなものも感じていた。
1937年、『君たちはどう生きるか』は、日本で日中戦争が始まり、ヨーロッパではムッソリーニやヒトラーが政権をとる中で、出版された。
そんな時代背景の中80年以上前に書かれた本の一文に、私がスクランブル交差点で考えたことと同じようなことが書かれていて驚いた。
主人公はコペル君というあだ名を持つ中学2年生の男の子。私が初めて渋谷に行った時と同じ年頃だ。
コペル君が銀座のデパートの屋上から、霧雨が降る銀座通りを見おろしている時の描写である。
コペル君が一緒にデパートの屋上にいた叔父さんに、この話をすると叔父さんは後日手紙をくれる。
叔父さんは屋上での気づきをコペルニクスの地動説になぞらえ、甥っ子にコペル君というあだ名をつけたのだった。
年末年始、実家に帰り子供部屋のクローゼットを開けると、小学生のころ何度も繰り返し読んだ『ちびまる子ちゃん』が全巻そろって並べられていた。
久しぶりに手に取ってみる。
『ちびまる子ちゃん ーわたしの好きな歌ー』は
絵描きのお姉さんと仲良くなることから、始まるお話。街中で似顔絵を描くお姉さんの隣で
とまる子が考えるシーンがある。
この漫画のあとがきには、
とあった。
ここまで書いて、思い出したことがある。大好きな本『モリー先生との火曜日』で、モリー先生が話してくれる「小さな波の話」だ。
私がスクランブル交差点で感じたことと、コペル君や、まる子が感じたことは、たぶん同じなのだと思う。そして、それは「小さな波の話」につながる。
30年以上も前のことなのに、今もまだスクランブル交差点での記憶が鮮明に残っているのは、人間が生きていく上でとても大切なことだからなのでないか。
そして38歳の今、『君たちはどう生きるか』を読み、ちびまる子ちゃんを再び手にとったことも、忘れてはいけない記憶への喚起だったのかもしれない。