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暮らしとは何か?

皆さんが『暮らし』と聞いて、思い浮かべるものは何ですか?

『暮らし』という言葉から、私が連想するキーワードを無造作に書き出してみました。

人生、毎日、日常、家族、仕事、遊び、食べる、動く、眠る、家

ちなみに、辞書で『暮らし』をひくと...

くらし【暮(ら)し】
読み方:くらし
1 暮らすこと。一日一日を過ごしていくこと。「都会での—に慣れる」
2 日々の生活。生計。「豊かな—」「—の足しにする」

小学館 デジタル大辞泉

くらし【暮らし】
名詞:生活すること。また生活する費用。
例:「贅沢な暮らしがしたい」

学研 小学国語辞典

辞書的には『暮らし』とは毎日の生活そのもの、または生活にかかるお金を指しているようです。

「丁寧な暮らし」とか「暮らしをもっと良くする!」みたいな言葉もよく見かけるので、『暮らし』は多くの人にとっての関心ごとであり、皆、暮らしをより良くしたいと望んでいることが分かります。

過去の記事でも何度か触れていますが、私は『暮らし』とは、死と向き合った時に思い出すことだと思うようになりました。

自分は死ぬかもしれないと思った時、人が叶えたいと思うのは、お金持ちになること、地位や名声を手に入れること、特別な体験すること等ではない。ということです。

難病ALSに侵され、毎日少しずつ体が動かなくなる中、周囲の人々との対話をやめなかった大学教授.モリー先生と、著者であるかつての生徒.ミッチが交わした話をもとにした書籍『モリー先生との火曜日』の中に、こんな一文があります。

先生、もし申し分なく健康な一日があったとしたら、何をなさいますか?
「二十四時間?」
ええ、二十四時間。
「そうだな...朝起きて、体操して、ロールパンと紅茶のおいしい朝食を食べて、水泳に行って、友達をお昼に呼ぶ。一度にニ、三人にして、みんなの家族のことや、問題を話し合いたいな。お互いどれほど大事な存在かを話すんだ。それから木の繁った庭園に散歩に出かけるかな。その木の色や、鳥を眺め、もうずいぶん目にすることのできなかった自然を体の中に吸収する。夜はみんなといっしょにレストランへ行こう。とびきりのパスタと、鴨とー私は鴨が好物でね。そのあとはダンスだ。そこにいるすてきなパートナー全員と、くたくたになるまで踊る。そしてうちへ帰って眠る。ぐっすりとね」
それだけですか?
「それだけ」
何と簡単なこと。何をとありきたり。実を言うと少しがっかりした。イタリアにでも飛んでいくとか、大統領と食事をするとか、海岸をぶらつくとか、思いつくかぎりありとあらゆる風変わりなことをやってみるかと思っていた。ここ数ヶ月、ねたきりで足も動かせなかったのにーこんなありきたりな一日がどうして申し分ないのか?
すぐにぼくは、ここにすべてのポイントがあることに気がついた。 

モリー先生との火曜日 ミッチアルボム

また第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所に収監された経験を、著者ヴィクトール.フランクが精神科医、心理学者としての視点で書いた『夜と霧』の中にはこんな一文があります。

彼の想像はいつも繰り返し過去の体験に想いを馳せて、それに耽っているのであった。しかしそれは過去の重大な体験ではなくて、以前の生活のごく日常的な出来事やささやかな事象の周りを、彼の考えはめぐっているのであった。
それらは囚人にとって、澄み切った思い出というよりは悩ましい思い出であった。周囲と現在に背を向け過去にふり返る時、内面の生活は独特の特徴を帯びるのであった。
今の世界と生活は消え、精神は憧れながら過去へ戻って行くのであった。-市電に乗って家に向う、入口の扉を開ける、電話が鳴る、受話器を持ち上げる、室の電灯のスイッチを入れる-囚人がその思い出の中でいわば撫で回して慈しむものは、こんな一見笑うべきささやかなことであった。そしてその悩ましい思い出に感動して彼等は涙を流すこともあったのである。

夜と霧 ヴィクトール.フランクル

私は父を亡くした時、父の望みを叶えてあげたかったという後悔で胸がいっぱいになりました。

父の望みが実際には何だったのかは分かりません。

だけど考え得る限り想像をして、何も叶えてあげられなかったと思い、自分を責めました。

でも時間が経ち、ゆっくりと思考を巡らせるうちに、父が望んだのは、ガン宣告をされる前のささやかな日常を取り戻すことだったかもしれないと思うようになったのです。

結果的に病気になる前の日常に戻ることは出来なかったけれど、取り戻したいと思う日常があったこと、帰りたいと思う家があったこと、話したいと思う家族や友人がいたこと、目を閉じた時に思い浮かぶ愛する人と共にした『暮らし』があったこと。

それ自体に価値があると思うようになりました。

死が迫っているような極限の状態で思い出されることならば、それが人生で1番大切なものなのだと。

幸せだと自分自身が感じる毎日を積み重ねること。

特別でなくていい。華やかでなくていい。

他の誰でもない私自身が幸せだと思える毎日を、死が訪れるその時まで送りたいと思うようになりました。

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