暮らしとは何か?
皆さんが『暮らし』と聞いて、思い浮かべるものは何ですか?
『暮らし』という言葉から、私が連想するキーワードを無造作に書き出してみました。
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人生、毎日、日常、家族、仕事、遊び、食べる、動く、眠る、家
ちなみに、辞書で『暮らし』をひくと...
辞書的には『暮らし』とは毎日の生活そのもの、または生活にかかるお金を指しているようです。
「丁寧な暮らし」とか「暮らしをもっと良くする!」みたいな言葉もよく見かけるので、『暮らし』は多くの人にとっての関心ごとであり、皆、暮らしをより良くしたいと望んでいることが分かります。
過去の記事でも何度か触れていますが、私は『暮らし』とは、死と向き合った時に思い出すことだと思うようになりました。
自分は死ぬかもしれないと思った時、人が叶えたいと思うのは、お金持ちになること、地位や名声を手に入れること、特別な体験すること等ではない。ということです。
難病ALSに侵され、毎日少しずつ体が動かなくなる中、周囲の人々との対話をやめなかった大学教授.モリー先生と、著者であるかつての生徒.ミッチが交わした話をもとにした書籍『モリー先生との火曜日』の中に、こんな一文があります。
また第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所に収監された経験を、著者ヴィクトール.フランクが精神科医、心理学者としての視点で書いた『夜と霧』の中にはこんな一文があります。
私は父を亡くした時、父の望みを叶えてあげたかったという後悔で胸がいっぱいになりました。
父の望みが実際には何だったのかは分かりません。
だけど考え得る限り想像をして、何も叶えてあげられなかったと思い、自分を責めました。
でも時間が経ち、ゆっくりと思考を巡らせるうちに、父が望んだのは、ガン宣告をされる前のささやかな日常を取り戻すことだったかもしれないと思うようになったのです。
結果的に病気になる前の日常に戻ることは出来なかったけれど、取り戻したいと思う日常があったこと、帰りたいと思う家があったこと、話したいと思う家族や友人がいたこと、目を閉じた時に思い浮かぶ愛する人と共にした『暮らし』があったこと。
それ自体に価値があると思うようになりました。
死が迫っているような極限の状態で思い出されることならば、それが人生で1番大切なものなのだと。
幸せだと自分自身が感じる毎日を積み重ねること。
特別でなくていい。華やかでなくていい。
他の誰でもない私自身が幸せだと思える毎日を、死が訪れるその時まで送りたいと思うようになりました。