おしまい。をかんがえる
最近はかなり悠悠自適な夏休みを過ごしているなぁと感じる今日この頃です。
今回の記事のテーマは「おしまい」。
物事にはいつか終わりがある、といいますが、おわることについて深く考えたことはなかったなぁと思ったので書いてみようと思います。
ちょうど一年前から月に数回ではありますが勤めているアルバイトが、9月いっぱいでおわります。
それは、ある国際協力系の法人の、国内で行っているプロジェクトの一部で、簡単に言えば国内の外国人のサポートをするお仕事なのですが、そのプロジェクト自体が9月いっぱいで終了するのに伴い、私のアルバイトもおしまいになるのです。
自分ではどうにもできない終わりを迎えるわけですが、このアルバイトが終わってもわたしがサポートしていた外国人たちの生活は続いていくし、きっと町で会うこともあると思うし、私は彼らが好きだから、関わる機会は少なくなっても応援の気持ちがなくなることはないと思います。
どんな経緯でプロジェクトの終わりが決まったか知る術は無いけど、きっと彼らがサポートがなくても進んでいける、という判断で終わりを迎えるんだろうなと感じています。
こういう事業とか、プロジェクトとかの終わり方って色々あるんだと思います。
今回のわたしのアルバイトみたいに、その働きがなくても大丈夫な存在になったから終了するときもあれば、何かをやるための資金が尽きて終了することもあるだろうし、やってみたけどその周りの環境が一致しなくて終了することもあるだろうし、特にビジネスの場合だったら利益を得られないからその事業を切り捨てるという形で終了することもあると思います。
でもやっぱり自分が何かしていることが終わりを迎えるなら、その期間、自分がやったことに意味があった、と思えるおわり方をしたいものです。
ここからは世間一般とか会社とか団体とかとは切り離して私の主観。私は物事のおしまいをその事が軌道に乗って、上手くいっているときにしたいと思ってしまうことがよくあります。イメージとしてはAKBの全盛期に前田敦子が卒業する、みたいな。
なので最近はColorbathで結構自分的にうまくいっていると感じるタスクで、そのお仕事を続けるの怖いな〜、いま自分がこのタスクから抜け出したらはっぴーになれるのかな?と思っている自分がいることに気づきました。
その気持ちを深掘ってみると、多分私はあんまり上手くいかないことに慣れていなくて、何かが上手くいっている時は、この先「上手くいかない」の状態に戻ったり、進んだりしたくないし、そのリスクがあって続けるのはちょっと怖い。から、上手くいっているこの状態で身を引きたい、となるのかも知れないな、と思います。
でも、もしかすると、このまま続けたら「もっといい状態」に進むかもしれなくて、そしたらおしまいを迎えるのはそっちの方がいいから、だから続けてみる。というのを繰り返してここまできたような気がします。結構こう思う(上手くいっているから辞めたいと思うこと)のは常なのですが、他の人ってどうなんだろうとふと疑問に思いました。(笑)
自分でも書いていてこの文章で何伝えたいんだろうなって思ったけど、とりあえずおしまいに向けてまとめると、
生きてる中で、何かをはじめる、つづける、おわるの選択をする場面はたくさんあると思っていて、今回は私のアルバイトのお話から飛んで私の中の「つづける」と「おわる」にスポットをあててみた、
という文章でした。おしまい。