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大事にしすぎないコツ

漫画「PEANUTS」の登場人物のひとりで、チャーリー・ブラウンの親友、ライナスは、いつでもどこでもブルーの毛布を持っている。別名「ライナスの安心毛布」と呼ばれ、それを手にしていることで、アイデンティティを保つことができている。それくらい彼にとって重要なものだ。
私の場合、ネックレスがそれだ。そんじょそこらのネックレスとは違う。二十歳の誕生日に、成人したお祝いとして母親が買ってくれた真珠のネックレスだ。以来、鍼治療やレントゲンなど、どうしても外さなくてはいけないとき以外は、常に身につけていた「お守り」のようなもの。もう体の一部だ。つけていないと気持ちが悪いし、不安になる。
だが先日、あろうことに、このお守りをなくしてしまった。
毛布をなくしたライナス状態である。

その日は朝からミスが多い日だった。忘れ物をしたり、電車を間違えたりした。こんな日はいつもより慎重にならなければならない。そう思いながら、鍼に行った。いつもなら、外したネックレスは財布に入れておく安全策をとっている。しかし、何を思ったか、この日に限って、ポーチに入れてしまった。そして、このポーチ、あとで気づいたのだが、デザイン上、小さな穴が空いていたのだ。慎重にならなければならないと、気をつけていたはずなのに!
おそらく、この穴からこぼれ落ちたのだろう。鍼を終えて、買い物をして、家に戻ったときは、私のネックレスは、ポーチの中から忽然と姿を消していた。何度もひっくり返して見たが、跡形もないのだ。
もちろん、探した。帰ってきた道を、ひたすら地面を這うようにして探した。立ち寄ったコンビニも、もっとも有力な鍼院も確認した。が、どんなに探してもないものはない。
私は悲しくなって、母親に電話をした。なぜなら、彼女からもらったものだから。「なくしてしまって、ごめんなさい」そう詫びながら、ほろほろと涙がこぼれてきた。自分でも泣くとは思わなかった。よほど悲しかったのか。
突然電話をかけてきて、泣き始めるいい歳をした娘に、母は言った。

「あらぁ、そんなに長い間、大切にしてくれていたのね。ありがとう!」

拍子抜けである。さらにこうも言った。

「もう、守られなくても大丈夫になったのね」

なるほど。確かに。
そもそも、母親は贈ったことをうっすら忘れていたくらいだという。こちらだけが重い思いを抱いていたのだ。そして、こう言った。
「ものは大事にしすぎてもダメね。なくしたとき、落ち込むでしょ」
……これ、人生教訓じゃない?

これじゃなきゃいけない。こうじゃなきゃいけない。
長年生きていると、知らぬ間に妙なこだわりにしばられていることがある。
このネックレスをしていないと、自分じゃない。
このお守りがないと、うまくいかない。
この人がいないと生きていけない。
「この」「これ」「こう」に、気がつけば縛られていた。が、いざ脱出してみると、意外と世界は広かったりする。

実は、ネックレスをなくす数日前に、あの世界的ベストセラー『チーズはどこへ消えた?』を初めて読んだ。

https://www.fusosha.co.jp/special/cheese/

こんなに有名な、皆が絶賛する本なのに、なぜに今まで読んでこなかったのか、自分でもよくわからない。そして、なぜこのタイミングで読もうと思ったのか、それもよくわからない。とにかく偶然、ふと書店で「読もうかな」と思ったのだ。
一気に読み終えて、結果、名著だった。それは世界的ベストセラーになるよね、な内容だった。
「どこへ消えた?」なチーズは、私のとってまさにネックレスだった。
いま目の前にある大事なチーズは常にここにあるわけではない。ある日突然、なくなってしまうこともある。それはモノかもしれないし、仕事かもしれないし、人かもしれない。推しのグループが突然消えてしまうこともあるし、推しが突然なくなってしまうこともある。お気に入りの店がなくなってしまうこともある。お気に入りの商品が新商品と入れ替わってしまうこともある。永遠でないのだ。
ただなくなったからと言って、世界の終わりではない。
ネックレスをなくして、1日経って、2日経って、1週間経っても、私は変わらず元気だ。ヘマをする日もあるけれど、めちゃくちゃダメなわけではない。ネックレスがないことを忘れているほどだ。
もちろん、これまでありがとう!の気持ちでいっぱいだけれど。

チーズがなくなっても、こだわりの「これ」を失っても、そのぶん、新しいものに出会う旅が始まるだけなのかもなぁと、そんなことを思ってる。


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