「嫌い」は眼中にない
俺の”好き”だけが
俺を守ってくれるんじゃないのかな
ブルーピリオド/鮎川龍二
高校生の頃、友達と呼べる友達がいませんでした。
クラスメイトとのコミュニケーションは挨拶程度。
登校時に「おいす」と言われて「おいす」と返す。
下校時に「またな」と言われて「おいす」と返す。
一言二言の会話ともいえない会話が週に一度あるかないか。
誰かと教室移動を共にすることもない。
誰かと登下校を共にすることもない。
誰かと昼食を共にすることもない。
文化祭は不参加。
体育祭も不参加。
修学旅行も不参加。
そんな三年間でした。
当然ながらこんな高校生活は望んでいなかったです。当然ながら辛かったです。当然ながら友達が欲しかったです。学校が嫌いでした。
でもそれは(今になって思えば)の補足説明がつきます。
実を言うと当時はそれほど悩んでいなかったのです。
学校生活は惨憺たるものでも、当時十六歳の僕はすでに『言葉』の虜になっていたから。
Mr.ChildrenやBUMP OF CHICKENの歌詞をにやにやしながら読み込んで、その表現力や美しい言葉の組み合わせ、情景描写、感情の見事な言語化等々に魅了され、悶え、その光り輝く世界に夢中になって、薄暗い学校生活など眼中になかったのです。
「夢中になれるもの」が生活の中心にある。
それはテーマパークの中で生活しているようなもの。未知の言葉がこの世にはまだまだ溢れていて、それは尽きることなくこの世に生まれ出てくる。小説、映画、歌詞、漫画。それら心躍るアトラクションに囲まれ、陽気なBGMが常に流れている夢の地。
テーマパーク内にある、なんのアトラクションも装飾もBGMもない平地。それが高校でした。毎日通わなければならない退屈な場所だけれど、テーマパークに身を置いていることに変わりはない。
いつだって「楽しい」や「好き」が勝るのです。
夢中、没頭が孤独を掻き消してくれるのです。
その思いは今も変わりません。
上手くいかないことも多いけれど、毎日楽しいです。毎日が嬉しいです。