【note創作大賞2024応募作品】Monument(第16話)
第五章(2/3)
馨
梅雨は中休みらしく、絶好の運動会日和に恵まれて、保護者観覧席の人出は、例年と比べても遜色がない。
ぼくは、森ノ宮のご両親を探していた。
森ノ宮が、騎馬戦に出ることを伝えるためだ。
「毬ちゃん、グッドアイデア!」
「だめ! 絶対、内緒にしておいて」
「なにを今さら。ここまでやらせといて、まだ猫かぶっているつもり?」
なんの話か、さっぱりだったが、聞き返す時間が惜しい。
せっかく、危ない橋を渡るんだ。
ご両親にだけは、どうしても見届けて欲しかった。
だからといって、バカ正直に「香澄さんを担いで騎馬戦に出ます」だなんて言おうものなら、ご両親は当惑すること請け合いだ。
「それとなく伝える」という折衷案で森ノ宮を丸め込むと、その役は、当然ぼくが引き受けることになった。
「毬野くん?」
二年生の玉入れに活気付く観覧席で、森ノ宮のお母さんに後ろから肩を、つつかれた。
「こんなところで、どうしたの?」
「三人を代表して、お弁当のお礼にうかがいました」
まずはそつなく、そう答える。
仕事で忙しいぼくらの両親にかわって、今日のため、森ノ宮のお母さんは、お弁当を用意してくれていた。
「ご丁寧にありがとう。でも、お礼だなんて、気にしないで」
森ノ宮のお母さんは、サングラスを額に上げる。
「そんなことより、毬野くん。啓太郎くんと一緒にリレーの選手なんでしょう? いっぱい食べて頑張ってね。期待してるんだから!」
広めに敷かれたレジャーシートには、タッパーが山積みだった。
「沙苗さん、張り切りすぎだって。あんまり食べると、かえって走りにくいものなんだ――遠慮なく、残してくれていいんだよ」
正直な、ぼくの感想を代弁してくれたお父さんは、目元が森ノ宮とそっくりだ。
「なに言ってんの。みんな食べ盛りなのよ。あれじゃ、足りないくらいよ――ねえ?」
ばちんっ、と大きな音を立てて、お父さんが背中を叩かれる。
その間に、ぼくは位置を見定めた。
西昇降口の横。赤く塗られた小鳥小屋の丸屋根が、いい目印になりそうだ。
そう見極めて、話に戻る。
「ええ、こんなにたくさん、ありがとうございます。お昼前の最後の種目、騎馬戦が済んだら、みんなと一緒にいただきます」
『騎馬戦』に、わざとらしく力を込めた。
「へえ、騎馬戦なんてあったんだ」
お父さんが、プログラムを開いてくれた。
大事なのは、ここからだ。
ぼくは目いっぱい誇張して、宣伝に努める。
午前の部を締めくくる男子の花形競技、騎馬戦。
練り上げられた作戦に従い、両軍総勢、四十騎が繰り広げる激闘。
「すごいね。作戦まで立てて戦うんだ? 僕も高校のときやったけど、成り行き任せに、はちまき取り合うだけだったなあ」
ひときわ声を潜めると、ぼくは、こう付け加えた。
「ぼくらの任務は陽動なんです。真っ先に飛び出して、先陣を突っ走りますから、見逃さないでくださいね」
お父さんは長いレンズのついた一眼レフのカメラを、お母さんは胸元に下げていた小さな双眼鏡を、それぞれに構えて片目をつむった。
「騎馬の先頭は、五年で一番大きい山岸。後ろは、ぼくと麦谷が務めます。三人ともリレー選手ですから、足をつかって、引っかき回してやるつもりです」
「カメラ、大丈夫でしょうね、悟郎さん。ピンボケなんかじゃ許さないわよ」
お父さんが、カメラを持つ手に力こぶをみせた。
「で、その、ぼくらが担ぐ、騎手なんですけど……」
どう言えば、いいだろう。
「植村、っていいます。小柄なんだけど勇気があって、いかしたやつです」
迷った末、ぼくは森ノ宮の印象をそのままに、言葉に連ねた。
「勉強が得意で。ピアノも弾けるし、絵だって上手だし、反射神経もいいっていうか……」
騎馬戦の集合を呼びかけるアナウンスが入った。
「あっ、家庭科の調理実習だけは、からっきし、らしいんですけどね」
拡声器の大音量に紛れて、最後は強引に言い切った。
怪訝な顔をするお父さんとお母さんに、すばやく一礼して踵を返す。
「行ってきます。観ていてくださいね。きっと、ですよ!」
眞琴
「教えてあげましょうか」
森ノ宮さんの瞳に、妖しい灯が宿った。
「わたし、切符の色を替えたいの」
「キップの色?」
彼女は、ふふんっと鼻で笑った。
「そう。なんて言っても、わかんないよね。そうだなあ……そう、『きみたちと同じでいたい』の。わかる?」
「どういうこと? 一緒じゃない、あたしたち。何が違うの?」
しまった。彼女は、いっこ年上だった。
でも、そんなの、今さらだ。
「意外といじわるなんだね、黛さんは。言わせたいんだ。なら、言ってあげる――きみたちと一緒にいたい。ずっと。この先も――もう、恥ずかしいこと言わせないで」
他所を向く彼女の頬が、朱に染まった。
こんな森ノ宮さんを見るのは初めてだ。
「いつも一緒じゃない。あたしも、毬野も、啓太郎だって」
「ううん、違うの。そうじゃなくて」
彼女は激しく、かぶりを振って、両手を拳に握りかえた。
「同じ班だ、ってだけなのに、とんだお荷物、背負わされちゃってさ。きみたち、三人揃って、お人好しが過ぎない?」
「お荷物だなんて、そんこと……」
「ないんだ? ほんとに、そう。言い切れる?」
「そんな……」
言葉に詰まった。
「ごめん、ごめん。いじわる言った。きみたちの親切、身に沁みたよ」
「ごめんなさい。もし、あたしたちのことが気に障ったんだったら……」
「うふふ……そうだった。初めはわたし、鬱陶しくてたまらなかった。三人で、寄ってたかって、まとわりついてくるんだもの」
窓辺から舞い込んだ風に、教室の黄ばんだカーテンが膨らむ。
真っ白く広がった光の中に、彼女の、か細い輪郭が溶けた。
「ごめんね。わたしがバカだった。やめときゃ良かった。『かわいそうな優等生』のふり、なんて」
光の中から戻ってきた彼女は、スポーツテープで巻かれた左手の親指をなでた。
「きみたちとは違うんだって、ずっとわたし、自分を勝手に『のけ者』にしてた。けど、もう、そんなのやめる」
なにか、言わなきゃいけないのに。なんにも言葉が見つからない。
「みんなと、同じでいたい」
あたしたち、だったのか。
「だから、お荷物になんか、なりたくないの。お荷物なんかじゃ、いられないの。きみたちと、一緒に行こうって決めたから」
森ノ宮さんを、こんな危なっかしいことに、追い詰めていたのは。
教室の戸が乱暴に鳴った。
「眞琴っちゃん。香澄ちゃんの支度、できた?」
「ごめんなさい。あとちょっと」
いつも通りの森ノ宮さんが応えた。
「そろそろ始まっちゃうよ。早く、早くっ!」
足踏みが聞こえる。
「わかったから。啓太郎、あとちょっとだけ、時間ちょうだい」
「急いでね! 眞琴っちゃん」
啓太郎の足音が、遠ざかっていく。
「ごめんね。長話に付き合わせちゃって。そうだ。ケイタロさんからは、なにも聞かされてなかったの?」
……なんの話だ?
「なんだ。なにも聴いてないの? あきれた。案外、律儀なんだね。彼」
彼女の指先が、二の腕に巻かれた「はちまき」の結い目にそっと触れた。
吐息混じりに俯うつむいたうなじを、金色に輝く後れ毛が縁取る。
「ありがとう、支度。こんなに素敵に……」
彼女の瞳が、柔らかく解けた。
「行ってきます。なにができるかわからないけど、今、わたしができること、探す。そして全部やってくる」
「……うん」
「だからさ。ひとつ、お願い。頼みがあるんだ。聞いてくれる?」
「頼み?」
「うん。もし、黛さんが騎馬戦での、わたしを観て、さ」
「うん」
「これからも、一緒にいても、かまわないって、思ってくれたら、さ……」
「……そんな」
「思えたら、で、いいんだよ。そのときは、わたしのこと、『香澄』って呼んで。それと、もしよかったら呼ばせて。わたしにも黛さんのこと『眞琴』って」
「まだあ? 香澄ちゃん。もう、みんな集まっちゃってるようっ!」
駆け足で戻ってきた啓太郎が、廊下からがなり立てた。
「お待たせ、ケイタロさん。今行く」
「早くっ、早くっ! あっ、あと、眞琴っちゃんに伝言。応援席にマットこしらえといてくれ、だって。毬ちゃんが。メモ預かってんだけど、こんなんでわかんのかなあ?」
「わかった。なんとかしとく」
しっかりとした足取りで、教室を後にしようとする彼女。
その背中を見送りながら――その時になって、ようやく、かけるべき言葉が見つかった。
「気をつけて。でも、無茶しちゃダメだよ――も……かす……」
引き戸に手を掛けた彼女が、反対の手のひらを向けて、あたしを制した。
「せっかちだなあ。まだ、だよ――まだ、だめ」
彼女の口元が、涼やかに上がった。
「観ていてね。きっと、だよ」
馨
「解けっ!」
居並ぶ騎馬が、一斉にひざを折った。
森ノ宮の細長い足が、ぼくの頭上を飛び越えて、ひたり、と着地する。
ぼくらも騎馬を解き、森ノ宮と並んで気をつけをした。
紅白両軍、五、六年生男子、総勢百六十名が、校庭を挟んでにらみ合う。
紅白は、それぞれ各八十名。
騎馬戦は、馬を組む三名と、騎手一名の、計四名で一騎を数える。
両軍、各二十騎を擁しての戦いだ。
今年は人数がぴったりと揃ろったから、組み替えての二回戦はない。
勝負は、制限時間いっぱいの一回限り。激戦になるだろう。
気を付けをしながら、目だけで隣を――森ノ宮を見た。
ここまでの動きは、完璧だ。
みんなにしっかりと合わせて、戸惑いひとつ、みせようとしない。
左隣の主将――三枝さんの目すら、欺きおおせている。
「誰かが、森ノ宮の変装を見破らないか」。
ぼくの心配は、どうやら杞憂だったらしい。
それにしても、だ。
いつの間に森ノ宮は、こんな決心を固めたのだろう。
運動会の練習を見学しながら、彼女はいつもと変りなくクロッキーに励んでいた。
見学とクロッキー。
たったそれだけで、こんなにも迷いなく動けるものなのか。
たとえはじめから「そのつもりで」見ていたのだとしても。
「えいっ! えいっ! おー!!」
ひときわ目を惹く、紫に金糸の襷を掛けた主将が、全軍を前に鬨を競って闘争心を煽る。
喚呼は三度、繰り返された。
「組めっ!」
騎馬を固めて跪く。
手鐙に足をかけながら、森ノ宮がぼくを見た。
あごだけ引いて、それに応える。
「立てっ!」
雄叫びと共に立ちあがる。
頭上で、森ノ宮の左腕に飾られた紅の襷が翻った。
その結い目には、眞琴の想いも込められている。
それを、知ってか知らずか。
森ノ宮の右手は、ずっと、そこに触れていた。
無駄にするものか、その想い。絶対、に。
眞琴
香澄はどこだ?
毬野たちはどこにいる?
紅組を目で追いながら、あたしは走った。
いや、我慢。我慢だ。まずは、やるべきことを済ませねば。
「応援席に、マットこしらえといてくれ」
と、たった一言。
でも、添えられたメモなんか見るまでもなく、なすべきことは自ずと知れた。
応援席の右隣。
六年一組との間に、設けられた通路。
毬野はここへ、やってくるつもりだ。
あちらこちらに放り出された、空の段ボール箱を失敬し、平たく均して敷いてみる。
座って硬さを確かめながら、校庭のほうを向いてみた。
張り渡された麻のロープが、トラックと、応援席とを仕切っている。
騎馬がロープに足を取られて、ここへ倒れ込んできたら。
想像を膨らませながら、段ボールの位置を整えた。
この計略、肝心なのは「引き際」だ。
香澄の正体を隠し通して、安全に騎馬戦から退くにはどうすればいい?
答えは、単純。
「場外」に逃れることだ。
適当な騎馬と押し合いを演じ、仕切りロープを割って応援席――あたしが敷いた、段ボールのマットの上へ崩れて、香澄扮する「植村くん」がケガでもしたふうに装う。
騎馬の三人が保健室へ担ぎ込むと見せかけて、校内に潜む植村くんとすり替わり、そしらぬ顔で応援席へ戻ってくれば、ことは成る。
だとして、だ。
疑問がひとつ。
彼らは、どういう算段で、この狭い通路まで、たどり着くつもりでいるのだろうか?
白組の騎馬の群れ。その真っただ中を、突っ切って。
馨
号砲一発。
戦いが始まる。
白組は楔形――魚鱗の陣を整えると、前進を開始した。
対する我が紅組は、じわじわと仕切り線から後退する。
紅組が、一方的に圧し込まれていく展開だ。
白組の主将騎がハーフウェイラインを踏み越えてもなお、両軍に激突は起こらない。
白組の数騎が突進する、と見せかけてはまた、隊列に戻って挑発を繰り返す。
が、紅組は誘われることなく、秩序正しい後退を続けた。弓の弦が、引き絞られていくように。
そこに番えられた矢。それこそが、ぼくらだ。
背に回された主将の右手指が、一本ずつ順番に握られていく。
カウントダウンだ。
親指、人差し指、中指。
「始まるぞ。森ノ宮」
紅組が敷いた、凹面――鶴翼の陣。
その焦点に、白組の先頭、主将騎が踏み入る。
薬指、小指。
主将の拳が、ぱっと広がる。
脱兎のごとく、駆け出した。
単騎、敵将めがけて一直線。
白組主将騎の周りを固めた、屈強の騎馬が立ちふさがろうと前へでた。
「曲がるよ! しっかり捕まって」
敵騎の鼻先をかすめて、九十度、転進。
つられた騎馬が、ぼくらを追って駆けてくる。
背後で紅組から喊声が上がった。
守備を失い、孤立した敵将を挟撃すべく、味方の騎馬が殺到する。
陽動、成功。
ぼくらのなすべきことは、ここまでだ。
あとはやりたいように、好き勝手をやらせてもらおう。
まずは、小鳥小屋の、赤い丸屋根を目指す。
森ノ宮のご両親は?!
――見つけた!
双眼鏡と、長いレンズが、ぼくらの方を向いている。
「森ノ宮、合図だ! できるか?」
途端、疾駆する騎馬の手鐙の上、森ノ宮は、すくっと真っ直ぐに立ち上がり、その身を弓なりに伸ばした。
左の拳が、天を衝く。
紅の襷が、たなびいた。
お母さんの手から双眼鏡が滑り落ち、お父さんのシャツを引っ張って、ぼくらの方を指さしている。
「上出来だ!」
こいつの反射神経、やっぱり並じゃあない。
保護者観覧席の仕切りロープ、すれすれを駆け抜けると、彼女は元通り、低く、その身を伏せた。
にわかに始まった全面衝突に、まごつく一騎を正面に捉える。
たちまちのうちに、速度が上がった。
「行くぞ、森ノ宮! しっかりとつかまっていろよ」
答えの代わりか、馬上で森ノ宮は一層低く、その身を沈めた。
(つづく)