たましいの救済を求めて第一章第二話
第二話 南野尚美
「それでは次回の面談、来週の同じ時間で、お待ちしています」
麻子は駒井クリニックの面談室で、南野尚美のカウンセリングを終えた後、出入り口まで見送った。
南野尚美は四十八歳。
背が低く、肩も腕も華奢なのに、臀部や胸は肉感的に張り出した、セクシーな体型だ。
歩幅が狭く、ちょこまかと歩く。早足でもある。
ショートカットの黒髪に白いものが混ざってなければ、少女のようにも、それでいて、老婆のようにも見える気がした。
南野は八年近く交際していた同年代の男性と別れたばかりだ。
きっかけは、彼に新しい女性ができたから。
元カレとの交際中、南野は彼の友人達との交流も楽しんだ。BBCにドライブなど、遊び仲間の一人の女性が、彼の新しい交際相手だ。
だが、新しい彼女は既婚者だ。
元カレは、今は独身者。だから不倫関係になるわけだ。
南野は、看護師の仕事の合間に元カレの自宅にも通い、元カレの家の家事全般もこなしていた。
彼との旅行に、彼の母まで同行させていたと言う。
「母親だけを置いて行くのは忍びない」などと、親孝行なのかマザコンなのか、どちらとも取れるような彼の主張に、文句も言わずに従った。
八年もの間、まるで通い妻か何かのように献身的に尽くした挙句に、彼は独身者の自分ではなく、既婚女性に乗り換えた。結婚の意思はなかったという、南野に対する宣告でもある。
直後から感情の処理が追いつかなくなり、不眠と情緒不安定を主訴として来院した。
睡眠薬や鎮静剤などの薬剤と共に、カウンセリングを希望した。
誰かに聞いて欲しいと懇願する。
カウンセラーの麻子に向けて、小鹿のような円らな目をして、潤ませて。
南野はいつも化粧気がなく、服装も毛玉のついたフリースにジーンズという軽装だ。
化粧を要しないほど整った顔立ちは、裸になった時にこそ威力を発する強力な武器。彼女は自分を戦略的に用いる術に、長けている。
面談は、いつも元彼と略奪女の動向を探り、それを麻子に聞かせる恩讐にも似た感情を、六十分の制限時間ギリギリまで話し続けた。
やつれた顔で。
だが、今日はこれまでになく上機嫌でやって来た。
理由はすぐに聞かされた。
新しい彼ができたのだ。
「二十代の初め頃に仕事の関係で知り合った人なんです。彼、その時はもう結婚してたんですけどね」
十年ほど前、その彼は地方に住んでいて、上京するたび彼女と逢瀬を重ねていた。
不倫相手からの連絡が、途絶えがちになるに従い、自然消滅的に別れていた。その彼から十年ぶりに、突然連絡があったのだ。
今は毎日のように会っている。
彼は相変わらずの既婚者なのだが、気にする素振りは見せていない。
むしろ、彼について語るほど、南野の目には生気が宿る。
既婚女性との不倫に走った元カレと、既婚男性との不倫に走ったクライアント。
人の話は支離滅裂なようでいて、必ずどこかで合致する。
南野に第一子を妊娠している最中に離婚して、夫とは音信不通になっている。
けれどもそんな話は真に受けない。
麻子は内心思っている。元夫とも体の関係はあるはずだ。
麻子は彼女の生き方について、善悪の判断を持ち込むことなく傾聴した。
それが彼女の選択だからだ。
南野が既婚者と不倫関係にあることを、隠すことなく語るのは、不倫の不安があるからだ。
それは不貞行為に対する裁判を、男の妻に起こされた時の金銭的な不安ではない。
彼がまた、いつかは離れてしまうことへの恐怖に近い不安感。
「あの、えっと。私、来週は仕事が立て込んでるので、来週のカウンセリングはお休みさせて頂いていいですか?」
面談室を出る直前に振り返り、南野は麻子に断定的な口調で伺いをたててきた。
麻子は一瞬胸を衝かれたようになる。
新しい依存相手を見つけた彼女は、カウンセラーを要しない。
「わかりました。では来週以降の面談のご予約は、ご都合が決まり次第連絡下さい」
「はい。すみません。お電話させて頂きます」
彼女は麻子を真顔でまっすぐ見つめて微笑む。南野は、このまま足が遠のくのだろう。そして、十数年前の元彼との不倫が破綻すれば舞い戻る。
なんて無力なのだろう。
麻子は重苦しい嘆息だけした。私は、なんて無能なのだろう。