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たましいの救済を求めて第一章第六話
第一章第六話 かもしれない
そう話してまた数十秒ほど口を噤んでいたのだが、その唇が目に見えて戦慄き始め、凛とした双眸に一気に涙を溢れさせた。
「僕、もしかしたら人を殺してるのかもしれないと思って……」
言いながら、少年らしい白桃の頬を、後から後から大粒の涙が伝い流れる。
羽藤の中性的な尖った顎から涙が滴って、パタパタ音を立てていた。
「……かもしれない?」
麻子は静かに問いかけた。
唐突すぎる告白を、鵜呑みにすることはできないが、頭から信憑性を疑うようなニュアンスが伝われば、患者は心を閉ざしてしまう。
だから、それが本当か嘘かの判断を持ち込まず、カウンセラーは傾聴する。
ただ、麻子が不審に感じたのは、羽藤自身、確信が持てずにいることだ。
だから、殺しているかもしれないと、考え始めた理由の方が、診療の場では主訴となる。
そのため、殺しているのかいないかではなく、なぜ『そう思ったのか』に、焦点を当てて面談をする。
麻子は嗚咽する羽藤の興奮が鎮まるのを待ってから、席を立つ。
面接の最中に泣き出す患者も多いので、壁際のスチール棚にはティッシュも常備されている。
そのティッシュの箱を持って戻り、「良かったら使って」と、羽藤に勧めた。
「僕……。時々記憶がなくなることが結構あって……」
羽藤は素直にティッシュで顔を拭いながら、ぐずぐず洟を啜って答える。
物心ついた頃から、自分で買った覚えのない菓子やジュースのレシートが財布に入っていたりする。
その場合、財布に入れていた金もレシートの金額分だけ、ちゃんと減っているという。
また、学校の友達とした覚えのない喧嘩をしている。
覚えていないと訴えても、大抵そっちから手を出してきたと友人達に反論され、シラを切るのかと責められる。
そんな記憶障害は年々深刻さを増していて、最近は行ったこともない居酒屋のチェーン店で飲食している所を見たという知人から、飲酒を咎められたらしい。
また、自分にナンパされたと言い張る見知らぬ女達からラインでホテルに誘われる。
もう限界だ。
自分はどうなってしまうのか。
周囲には距離を置かれて白い目で見られ、不安と苛立ちで爆発しそうになっていた。
そんな時、テレビで多重人格障害者をテーマに描いたハリウッド映画を観たという。
「その映画の主人公が僕にそっくりだったんです。買った覚えのない服がクローゼットに掛けてあったり、全然知らない人達が、急に恋人だって言ってきたり……」
だから自分も多重人格なのではないか。
そう思って受診に来たと、羽藤は鼻の下をティッシュで押さえながら小声で答えた。
「わかりました。ありがとうございます」