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私が「〇〇した方がいい」という言葉を使わない理由

「もっと運動した方がいいよ」
「早く寝た方がいいよ」
「ちゃんと読書した方がいいよ」

こういう言葉を聞くと、私はちょっとだけ身構えてしまう。

たしかに、その通り。
運動すれば健康になるし、早寝は大事だし、本を読めば知識が増える。

でも、「した方がいい」と言われると、なんだか 「できていない私」 が否定されているような気がする。


「した方がいい」は、前向きな否定?

「した方がいい」という言葉は、言っている本人に悪気はないことが多い。
むしろ、相手のためを思って言っている 場合がほとんどだ。

でも、「した方がいい」と言われた瞬間、
「できていない自分」と「できている自分」という 2つの私 が生まれる。

「できていない私」→ 間違っている、良くない状態
「できている私」→ 正しい、良い状態

こうやって分けられると、できていない私は、どこか否定されたように感じる。
「そりゃ、できたらいいんだけど…」と、ちょっと反発したくなることもある。


「するにこしたことはない」ならどうだろう?

そこで私は、「した方がいい」を 「するにこしたことはない」 に言い換えてみることにした。

「した方がいい」 →「できていないのはダメだから、やるべき」
「するにこしたことはない」 →「できなくてもOKだけど、できたらより良いよね」

同じことを言っているのに、言葉の持つニュアンスが違う。
「するにこしたことはない」と言われると、できていない自分も否定されていない感じがする。

たとえば、
「もっと運動した方がいいよ」 → 「運動するにこしたことはないよ」
「早く寝た方がいいよ」 → 「早く寝るにこしたことはないよ」

この違い、伝わるだろうか?


言葉ひとつで、世界の見え方が変わる

言葉は面白い。
たったひとつの言い回しの違いで、気持ちが楽になったり、苦しくなったりする。

「した方がいい」と言われると、
「今の自分はダメなんだ」と思ってしまう人がいるかもしれない。

でも、「するにこしたことはない」なら、
「今のままでもいいけど、ちょっとプラスできたらいいよね」という提案になる。

ほんの少しの言い換えで、言葉の温度は変わる。
それを知っているだけで、会話の風景がちょっとだけ優しくなる気がする。

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