見出し画像

「生きる意味は子孫繁栄?」── その違和感を言葉にしてみる

X(旧Twitter)を眺めていたら、こんな投稿が流れてきた。

「人間は子どもを作ることを目的に生きているのだから、子どもを産まないのは間違っている」

それを読んだ瞬間、何とも言えない 嫌な気持ち になった。
いや、確かに一理ある。生物としての本能で言えば、子孫を残すことは正しいのかもしれない。
でも、何か違う。何かモヤモヤする。

この違和感の正体を、自分の中で言葉にしてみたくなった。


「生きる意味は子孫繁栄だ」という言葉の納得感と、違和感

たしかに、生物としての基本原則は「生まれて、繁殖して、次の世代へと命をつなぐこと」だろう。
でも、私は「人間」について考えるとき、それだけでは片付けられないものがあると思う。

だって、子どもを産まない人は世界に大勢いる。
子どもを持たなくても、誰かの人生に影響を与え、社会に何かを残している人は無数にいる。
それに、生まれながらに子どもを産むことができない人もいる。

「子孫を残さない人生に意味はない」と言われたら、そんな人たちはすべて「間違っている」ことになるのだろうか?

そんなはずはない。
そんなはずはないけれど、言葉にしないと飲み込まれそうになる。


「生産」だけが生きる意味じゃない

私は考えた。

「人間の生きる意味は、子どもを産むことだけなのか?」

その答えとして、「媒介者として生きる」という視点 があるんじゃないかと思った。

生産(子どもを産むこと) も大切だけど、媒介(文化や知識、経験を伝えること) も、同じくらい大事なんじゃないか。

人類は、ただ繁殖するだけではここまで進化しなかった。
狩猟時代から農耕時代へ、そして現代へと、知識や技術を 「媒介」 しながら発展してきた。
そうやって、先人たちが積み上げてきたものを「受け取り」、次の世代へと「渡していく」。

それも、生きることの大切な役割なのではないだろうか。


「媒介者として生きる」── それもまた、ひとつの在り方

よく考えたら、生きている限り、人は必ず「媒介者」として何かを伝えながら生きている。

たとえば、
・誰かと話すことで、自分の考えや気持ちが相手に伝わる。
・読んだ本の内容が、何気ない会話の中で誰かにシェアされる。
・日記やSNSに書いたことが、誰かの心に引っかかる。
・お店で「この紅茶、美味しかったよ」と勧めるだけでも、情報が媒介されていく。

極端な話、たとえ寝たきりの状態だったとしても、
「そばにいる誰か」に何かを伝えてしまうことになる。

生きている限り、私たちは何かを受け取り、そして伝えている。

だったら、「媒介者として生きること」に、もっと価値を見出してもいいんじゃないか?


「少しの自分らしさ」をのせて、次へ

ただ「媒介する」だけでは、味気ないかもしれない。
でも、そこに 「少しの自分らしさ」をのせること で、それはちょっと特別なものになる。

私は今、こうして文章を書いている。
誰かの考えを受け取り、自分のフィルターを通して、言葉にして、発信する。

この文章を読んで、「なんとなく共感するな」とか、「違和感を覚えたな」とか、そんなふうに思ってくれる人がいたら、それだけで「媒介者としての役割」は果たせているのかもしれない。


「生産しないこと」を恐れなくてもいい

「子どもを産まない人生に意味はない」
そう言われると、私の心はざわつく。

でも、「生産だけがすべてじゃない」と思えたら、少し楽になる。

私たちは、生きている限り 媒介者 だ。
何かを受け取り、何かを伝えながら生きていく。

そして、できるなら、ほんの少しだけ自分らしさを加えて、次へと渡していく。

それだけでも、十分、生きる意味になり得るんじゃないだろうか。

いいなと思ったら応援しよう!