見出し画像

なぜAVアンプはオワコンなのか?①

ナウいヤングは全く知らないだろうが
かつてAVアンプという物があったのだ

まだテレビはブラウン管で20インチが大画面だったというかアナログ放送で解像度も低くデカい画面で見るとアラが出る時代
オーディオブームは去り 売り上げが伸びないメーカーはサラウンドに目をつけた
ステレオだとスピーカーは2本しか売れない
サラウンドなら当時5本売れる!しかもサブウーファーも売ろうと 5.1chというものを生み出した .1がサブウーファーだ
最後は天井にもスピーカーを付けろだのスピーカーは11本や12本必要とか言い出した
そりゃあ売れないよね

長岡鉄男氏は方舟でもスピーカーマトリクスで通したしマトリクススピーカー内蔵のTV台を多数発表した

閑話休題

AVアンプなる物も登場
さぞやメーカーは大変だったろうと思うのは早計だ アメリカは日本と違ってレシーバーという物が主流 古くからFMが他局化されていたのでチューナーがメインソースだったのだ
各メーカーにはピュアアンプ部門 レシーバー部門 ミニコン部門が存在
レシーバーにはアンプとチューナーが同居
しかも何故かアンプはたくさん載っていたのだ

このレシーバーからわざわざチューナーを外してサラウンド回路を付ければAVアンプになる
初期のサラウンド回路など単純な物だ
リアから遅延差信号を出すだけだ ちなみにドルビーサラウンドのドルビーとは差信号にドルビーノイズリダクションが入るものだった
スピーカーマトリクスで対応できてしまうのは内緒?だ

各社レシーバーの兄弟モデルとして日本にも投入
初期のAVアンプのデザインがアメリカンだったのは転用だからだ
サラウンド用の雑誌も登場

新たに各誌 評論家を用意する
従来の評論家も失業するわけにはいかずサラウンドやAVに手を出す

長岡鉄男氏はいち早くAVルームというか家?方舟を建ててLDやDVDと100インチプロジェクターで万全の体制
そこにはAVアンプやセンタースピーカーなどは無かった 共鳴管スピーカー ネッシーとスピーカーマトリクス用サイドスピーカーを 母屋から移設したHMA-9500で鳴らした
部屋が真っ暗になる方舟で見る映画は大迫力だった

一方 雑誌はメーカーを煽りドルビーはプロロジックを そして覇権をかけてDTSやTHXなど
お金になりそうだと続々参入

つづく


いいなと思ったら応援しよう!