老爺の休日
2022年11月に作った自由律俳句です。
記憶を忠実に表現したつもりです。
2022年10月に作った自由律俳句です。
エアコンを崇拝しようかと思うほどに冷たい空気を欲した日だった。日が暮れてもなおむさ苦しく、息がしづらい。ダイエットはしていたが、今日は暑すぎてサウナにずっといたのと同じだけのカロリーを消費したことにして、コンビニでアイスを買う。コンビニのドアが閉まる前に、アイスの蓋に手をかける。 いつもより歩道が混んでるような気がする。「 今日 イベント 」検索したら、近所で大きめの花火大会があるということだった。見に行きたい気持ちはあるが、去年1人で行って帰り道に寂しくなり、どうしよう
・勝負弱さに定評がある ・いつも新鮮に恥ずかしい ・心のブレーキが壊れない ・決定事項の後悔
自分の中にたくさんの自分がいることを自覚している人は少なくないと思う。家族といるときの自分、恋人とデートしているときの自分、友人とだべっているときの自分、1人で部屋にいるときの自分が、どれも同じ自分だと言える人はどのくらいいるだろう。それぞれに合わせた自分を、意識しているかしていないかに関わらず、使い分けているのではないか。 ただ、その中のどれかが本当の自分だ、本音の自分だと言い切るのも難しい。よく人の性格を表すのに、表裏が激しいとか表裏がないというようなことを言う。「表
・ニキビになるであろう膨らみ ・一往復分の余計を悔やむトーク画面 ・アイコン変更に期待を込めてみる
考え事をしながらでも、手が動く作業が好き。 身体は拘束されても心は空気を漂う。 この世界の目は手元を写し、頭にはまた別の視界。 河川敷の堤防に腰をかける。 光の眩しさに不機嫌な顔をする。 蝉がうるさい。 ひたいに汗が滴る。 日焼けが気になる。日焼けを気にするのは男らしくないだろうか。 水は風と同じ方へ流れる。 行列はいつも同じ岩にぶつかって二列に並びなおす。 岩を横切ると何事もなかったかのように一列に膨らむ。 水草が揺れる。 水草に川は優しい。空白を満た
よく感情のない無の表情をマガオって言うじゃん。 マガオって実は感情が表れてないんじゃなくて、緊張で顔の筋肉が強張ってるだけらしいよ。 だから、緊張っていう心の動きが顔に出てるんだって。 ん?あ、マカオじゃなくてマガオね。 いや、マ”ガ”オ。カに点々でマガオ。 ガね。ガ。 マカオじゃない。マガオ。ガオ。 ちがうちがう。マガオ。マガオね。 いやいや、ちがうって。マガオ。 マガオだってマガオ。ガだって。 ガわかんない?ガだよ。カに点々。ガ。 ガ。ガ。ガ。 ガ
「昨日は驚かしちゃってごめんね」 話しかけられた?え、話しかけられた! というか昨日のこと覚えてた! あれがあってからずっとそのこと考えてたの! なんかもっといいリアクションできたかなとか 驚きで後ろに倒れてみたりとか 倒れて頭打ってみたりとか 打った部分から血を流してみたりとか 血を見て失神してみるとか。 それで心配されて 出血をガーゼで押さえてもらって 「大丈夫?」って声をかけてもらって ちょっと揺すってもらって やっぱりダメだってなって 救急呼んでもらって 救急車
休みの日って何してるんですか? ・テレビを見てます。 →テレビが好きな人なんだ。じゃあなんのテレビ番組を観てるんだろう。 ・ゲームとかしてますよ。 →ゲームが好きな人なんだ。じゃあなんのゲームするんだろう。一緒にやれるかな。 ・寝てますかね。 →家に引き篭もるタイプか。アウトドアなおれとは合わないかな。 ・うーん、その日によりますかね。 →その日によるならしょうがないか。いやでも普通なら休日の代表的な行動の一つや二つあるよな。SNS見てるとか、YouTube見てるとか、
30分から35分の間に出れば、ベスト。 37分でも間に合う。 40分は走んなきゃだわ。 リサイクルショップの前で45分なら、完璧。 47分ならちょっと早歩きかな。 50分はまだ未体験。 コンビニの前の交差点で51分は、ナイス。 53分はけっこう危ない。 47分だったら時間潰そっと。 あぁ。またタイミング間違った。
なんだか体調が優れない。 ほんのり顔が熱い気がするけど気のせいか。 鏡に映った僕の顔はぼんやり赤いようだ。 体温計を机の上に置く。 測るか。いややめておこう。 数字に気分が引っ張られないように。 けっこうしんどかった。 マスクで顔の赤さはバレなかったかな。 でも、重い身体の鈍い動きは邪魔だっただろう。 すまんね。 明日には治るかな。 治ってたらいいな。 そうだ、お米研ぐの忘れてた。 めんどうだな。
イチョウ、くさい
「えーと、千葉県千葉市、ラジオネーム”2日目もカレー”さんから、お便りが届いてます。『長谷川さん、こんばんは。いつも楽しく拝聴させてもらっています。突然なのですが、ご相談があり、メールをさせてもらいました。私は”少数派”ということに何とも言えない優越感のようなものを時々感じることがあります。例えば血液型だと、私はAB型です。AB型は日本において、世界においてマイノリティです。AB型が他に対して優越していることなど何一つありませんが、何故だか嬉しくなってしまうのです。他にも私は
・大きな拍手 力一杯手を叩く。でもそれだけではダメで、破裂音のようなどデカい音を出すにはコツがいる。力を込めつつもいい音が鳴る絶妙な加減をしなければならない。 ・盛大な拍手 力一杯手を叩く。でも盛大さを表現するには、むやみに手を叩いててもいけない。何か、こう、盛大さを伝えるニュアンスの音を鳴らす必要がある。音がダメでも、叩く外観に盛大さを伝える何かがあれば良い。例えば、拍手を送る対象へ、尊敬の念を向けていそうな顔をしてみるとか。背筋を伸ばしてみるのも良いかもしれない。 ・
雨水滴るコンクリートマンション、漂う廃墟感
自分を誰かに受け入れて欲しければ、受け入れてもらいたい自分を相手に提示する必要がある。 提示のやり方はなんだっていい。 だけど正確に伝えないとだめ。受け入れてもらった自分以外の自分が後々顔を出すと、話が違うぞ!となる。 だから、受け入れてもらう自分はなるべく素の自分のほうがいい。 でも、素の自分を提示できたとして、それを受け入れるかどうかは相手に委ねられてる。 相手が自分を受け入れないと決めた時には、受け入れられなかった自分を自分は受け入れなくちゃいけない。 そう
・陽射しに色を増す、銀杏の金色