袴田事件でわかった合議裁判の不合理
「裁判」にはひとりの裁判官によるものと複数の裁判官による合議でなされるものがある。
最高裁判所は全て合議でなされる。それ以外の裁判所の合議は三人の裁判官による。
通称「袴田事件」についての記録をみると、合議裁判は三人の裁判官のうち、ひとりが反対の意見であってもその事実を明らかにせず、三人の一致した判断として判決にされるようだ。袴田事件の場合、一審判決では三人の一致した判断として「有罪」という判決を出した。
しかし、後にひとりの裁判官が、実は「無罪」と意見を述べたが、他の二人が有罪としたため、有罪判決になったという。
根拠は良くわからないが、評決した時の事実は公表してはいけないとされているところ、当該裁判官はあえて、後に「自分は無罪と意見した」と公表した。
注目すべきは、「当該裁判官が良心による裁判ができなかった」という事実です。
当該裁判官は、自分の意見とは異なる判決を出し、結果として袴田さんを死刑にする判決が確定した事実に直面した時、良心の呵責に苛まれたのでしょう。このようなことは袴田事件だけでなく、他の裁判でもあり得る事で、裁判官が事実を明らかにしないだけという場合も考えられる。
「合議裁判」という制度が裁判官の良心による裁判をできないようにしているということができると思います。
憲法第76条3号「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」とあるが、合議裁判という制度はこの憲法第76条3号に違反するのではないでしょうか?
最高裁判所の場合、裁判官は反対意見を述べているようです。最高裁判所はできるのに、下級裁判所はなぜできないのか、疑問である。
合議裁判で判決に反対意見を述べてはいけない、または、一致した判断を示さなければならないという制度は単に旧憲法の時からの慣例に過ぎないのかもしれない。一度、憲法違反か否か、検討する必要があると思います。
穿った見方をすると、冤罪の中には二人の裁判官は無罪というのに、先輩裁判官が強硬に有罪と主張したため有罪判決になったケースが全くないということはできない。このような誤った判決を減らすためにも、下級裁判所の裁判官も最高裁判所の裁判官のように反対意見を述べるようにした方がいいのではないでしょうか?
公正な裁判は、判決までの考え方及び合議の内容が透明で誰もが検証できるものだと思います。