老親が精神科に入院しましたその5
地域包括支援センター
このコラムで書きたかったことの一つが、この地域包括支援センターについてです。私は今回初めてこういう施設があることを知りました。
地域の健康のための施設です。高齢者の総合相談にも乗ってくれます。
ですが、私のように存在すら知らない人が多いのではないでしょうか。
地域包括支援センターを知ったのは、Bの生前、病院内のがん支援センターにCが相談に行った時のことでした。(記事はこちら→老親が精神科に入院しましたその2)
「Aは高齢者ですが、健康で要介護認定は受けてしません。こういう人の相談でも地域包括支援センターは受けてくれるのでしょうか?」
と尋ねると、
「要介護認定を受けてない人に対しても出来る支援がある。また地域で困っているお年寄りがいることを把握することもセンターの役目なので」
という趣旨のことを言われたそうです。
それから間もなくBが亡くなってしまったので、がん支援センターにはそれ以後相談出来ませんでしたが、この地域包括支援センターのことは覚えていました。
クリニックの診察の翌日、私は地域包括支援センターに電話しました。
電話番号は「住んでいる市」+「地域包括支援センター」で検索をかけるすぐに分かりました。
何故Cではなくエイプリルが?というと、これはその1でも書いたとおり、CはAのことについて腰が重く、自分からは電話したがらなかったからです。Cの行動については、いずれ改めて書きたいと思います。
私が地域包括支援センターに電話をしたのは、Aのためもありますが、自分とCが限界に近かったためです。
毎日「処分してくれ」「何も出来ない」「病院には行きたくない」「一人でいたくない」のループに疲れ果てていました。
地域包括支援センターに電話した内容一度目
どういった内容の話をしたかというと、「義理の母(A)が配偶者を亡くして精神的に不安定になっている。一時的なことかと思って回復を待ったが、既に二ヶ月こういう状況だ。この二週間ほどは更に酷くなった。家族も精神的に追い詰められている」というようなことでした。
センターの人はきちんと話を聞いてくれました。
その方が担当となり、センターには三度電話しました。
この時は最初の電話だったので、上記の通り本人も周囲も困っている現状を伝えました。
「家族だけで抱え込まないで」と支援について教えてくれました。
「要介護認定をとれるかもしれない」、「要介護認定が取れなくても出来る支援がある」と言われました。
具体的には宅配食の提案をされました。一食400円ほどで家までお弁当を届けてくれるサービスだそうです。このサービスを受けるには申請がひつようだそうです。また現状把握のために一週間後に訪問して貰うことになりました。
「何かあればまた連絡ください」と言われて、電話を切りました。気持ちが少し楽になったのを覚えています。
地域包括支援センターに電話した内容二度目
二度目に電話したのはそれから三、四日後のことです。Aの言動に疲れ果てました。
Bの死の前から考えると既に三ヶ月、徐々に蓄積した部分もありますが、個人的にはこの頃口にするようになった「(私を)処分して」がしんどかったです。今思い出しても嫌な言葉です。
その4でも書いた自殺を試みたという話が増えた頃でした。幼児帰りも酷くなる一方でした。
机や床を叩いたり、家に帰ろうとすると「嫌だー、帰らないで」と布団の上で手足をバタバタと暴れるようになりました。
些末なことでパニックを起こすようになったのもこの頃です。
例を挙げるといつも16時に食事をしているのに18時に食事をした時、夜中にトイレに行きたくなったらどうしようとパニックになりました。
時間がトリガーのパニックが多かった気がします。
「えっ、もうこんな時間」とよく時計を見てパニックを起こしていました。
パニックは、震えてうずくまったり、泣いたりというものです。
一方Cはいきなり家に来たり、明かりがついているのを監視されたりがこたえたそうです。
Aのマンションのべランダから身を乗りだし覗き込むと(普通の角度では見えません)C家の明かりが見えるため、私達が「いるかいないか確認していた」と言われました。
AはCに依存を強めましたが、逆にCはAに対しBの死の前後のことで心理的には距離が出来たようです。端で見ていてもAはCに求めるばかりで、自分からCの役に立とうとはしませんでした。
覚えている会話の一つにこんなものがあります。
「辛いのはお母さんだけじゃなくて、自分もそうだ」とCが言うと、Aの答えは、「でも私は七十代だから」。
地域包括支援センターに二度目の電話をしました。
この後すぐに、○○クリニックにお電話しました。
老親が精神科に入院しましたその6に続きます。