老親が精神科に入院しましたその2
Bの入院中にあったこと
依存心
Aは元々依存心が強い人のように見えましたが、Bの入院中からそれが顕著になりました。Bの代わりに今度は息子であるCに依存を始めたのです。
具体的には、「出来ない」「分からない」「こんなの初めて見た」が口癖になり、かつては出来ていたことも出来ないと言うことが多くなりました。
電車やバスにも「乗ったことがないから乗れない」と言います。もちろんそんなことはありません。移動はほとんどBが運転する車だったので、日常使う交通手段ではなかったですが、いくらなんでも「乗ったことがない」はありません。
その他、Aは「留守電の使い方が分からない」「ゴミが捨てられない」など些細な用事で頻繁にCを呼び出すようになりました。
また入院中のBにも「心配で夜も眠れません」といった内容のメールを日に何度も出していたようです。「そんなメール貰っても困るだろうなぁ」と思ったので、良く覚えています。
この時、CはBが入院している病院内のがん支援センターに行ってこの件について相談してます。大きな病院には、大抵あると思われます。病気ががんでなければ患者相談室のような相談窓口があります。
今回、直接ではありませんが、非常に役に立つヒントを貰えました。
がん支援センター
Cの相談
Cが相談したのは、以下のことです。
父(B)が末期がんであること。
それにともない母親(A)が精神的に不安定になり、病院に見舞いに行かなくなり、逆にCに対する依存が高くなったこと。
自分は母を受け止められる余裕が、精神的にも肉体的にもないこと
内容はBの病気についてではありませんが、こういったケースにも相談に乗って貰えました。
相談の答え
そこで教えられたのは、
配偶者の死を受け入れられない人は多く、大抵の人は心身共に不安定になること。
お年寄り故、環境の変化を受け入れられないだろうこと。がん支援センターに連れてきて一度面談するのが一番だが、おそらくは難しいだろう。患者会や遺族会、あるいはカウンセリングも紹介出来るが、そうした会やカウンセラーに行ったり新しい人と会ったりしたがらないだろうし、無理に行かせても意味がないだろう。
出来れば今の付き合いの中で話し相手を見つけ、自分やBのことを知る友人や家族と話させること。
の三点でした。
そしてCが一人で抱え込まないようにと言われたそうです。
精神的に更に追い詰められたら、再度がん支援センターや地域包括支援センターに相談するようにとアドバイスを受けました。
地域包括支援センターは地域住民のための支援センターで、健康についての家族の悩みも相談出来る窓口です。
最初に予約の電話を入れて、四日後に面談。面談の時間は四十五分ほどでした。
四十五分の話し合いで何か解決したわけではありません。ですが、Cはかなりすっきりした様子でした。これは私も味わいしましたが、聞いて貰えるだけでスッキリします。無料で相談に乗って貰えます。困ったら一度相談に乗って貰ってください。
最初の電話は敷居が高いでしょうが、Cは「父が末期がんで母が精神的にパニックになってます。それを見てこちらも参ってます。相談してもいいですか?」と聞きました。
結局このがん支援センターでの相談の後、一週間も経たずにBは亡くなりました。
死後一ヶ月の親子関係
悪化していく関係
Bの死後一ヶ月の間にAとCの親子の関係は良くない方向に向かってしまいました。
夫を亡くしたAは気落ちしており、本人が書かねばならない書類にサインする以外のことは一切出来ない状態でした。
もちろん引っ越しや遺品整理も出来ませんでした。息子であるCは悲しむ暇もなく忙殺されていました。
Aは体の不調を訴え、「自分の話を聞いて欲しい」と繰り返します。
亡くなったことを知り、昔の友人達からの電話や手紙が届きましたが、Aはそれを拒絶するようになっておりました。電話は出てましたが、メールチェックはしていなかったようです。
「こんなことはCとエイプリルにしか話せない」と人と会いたがらないようになりました。
ですが、C(と私)はそれを受け止めるだけの余力はありません。
「不眠も食欲不振も辛いと思う。病院に行こう」と言っても「行きたくない」のループでした。
本人は「こんな状態では引っ越し出来ない」と今後の生活に不安を感じているようでした。ただ、今のマンションに居続けるのも難しい状況です。
一時的にCが金銭補填することは出来ますが、問題の先送りにしかなりません。そもそも場所的に車がないと不便なところで、一人暮らしには広すぎるマンションと、どう考えても「出て行く方がいい」状況でした。
このことはある程度本人も分かっているようでしたが、やはり不安が先に立つ。そんな心理だったのではないでしょうか。
こちらもどうしていいのか分からない状態でした。延々と不調を訴えられ、段々Cも私もイライラしてくるのがこの頃です。
ただ次第にエスカレートはしつつも、この頃まではまだ「病的」とまでは感じていませんでした。
老親が精神科に入院しましたその3に続きます。