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綺麗な色の人

 私の色を例えるなら無色だ。何者にもなれなかった、色素の無い人間。
 ゆえに、か。私は綺麗な色の人が好きだ。

 街頭に立つ宗教家がいた。二人組で年老いた、老人がよく被っている帽子を被っている老人二人。キリスト教系統の人だろうと思う。私の地域の宗教といえばそこらへんだから。

 私は宗教家二人に目を合わせてはいけないと思った。
 読者のみなさんもそうするのではないだろうか?
 だって目を合わせてしまうと、教典とかを渡されて色々話されてしまうから。色々。

 だから目を合わせずに通り抜けた。老人二人は頭を下げて私を見送った。
 
 綺麗だと思った。恐らくその人は、私のような人間に目も合わされることなくスルーされているのだろう。だが、その人は健気にも頭を下げてティッシュを配るなどせずに会釈だけをしていく。淡々と。

 綺麗なものだ。時には貶されることもあるだろうに。
 あるかもしれないという幻想を信じて善を貫くその姿勢が。
 そういう自分の信条など、枷にしかならないはずなのに。

 人間は己に善のルールを敷いて実行する。素晴らしい生き物です。彼らがどうであれ、綺麗な色でした。

 この世には汚い色もある。

 おみくじだと宣い、ポケットティッシュを寄越してくる団体や、当たり前のように空き缶をポイ捨てする若者。
 自分の常識で他人を語る勘違い野郎に、初対面の相手に「ぼくはあなたみたいな人種、大嫌いなんですよ」と言ってマウントをとる学歴コンプレックス。

 私は人間は生きているだけで人類皆同じ穴だと思っている。違うのはDNAだ。違うのは性別だ。違うのは思想だ。

 だが、どう抗おうと人類は神にはならない。全ての人類は人類である。



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