いつから食べることは破壊することになってしまったのか②
漁業の話でもしようかなと
何千年にもわたって人間が命を繋いでこれたのは、狩猟や農耕のおかげだったわけで、狩猟の中には山の猟師と水域の漁師が今もいるの
しかし、今の社会は命を繋ぐということよりも、稼ぐことにしか目的がなくなっているように思える面が多々ある
定置網にマグロが入ったけど、漁獲枠がないから死んだマグロを海に「放流」し、放流するとお金が支払われるとか、サケが獲れなくて、ブリが獲れるようになっても、ブリは値段が安いからと扱いが雑になるとかとか
自分たちが他の生き物によって生かされているということが漁業者だけでなく、消費者、つまりは社会全体で忘れられているように思う
だから、果たして必要なのか疑いたくなる公共工事や、自然豊かな中で都会の人が安らぐために自然を切り拓いて作るリゾート開発とかが起こるのだと思う
漁業においても、売れば金になるから来年のことや、未来のことなど目も向けずいたらいるだけ漁獲する
公共工事によって漁場が減ったり、魚が減ることが見込まれても補償金を貰えればいいとか(どれほど漁師が工事の中止を訴えても建設ありきの住民説明会などで、訴えが全く聞いてもらえない事情もある)
その結果、遥か長い年月をかけて作られていた自然が簡単に破壊され、二度と人間の力では再生できない状態になってしまっている
果たして、この状態で突き進むことは正しいのか、今よりよりよい状態に持ち込むためにはどうしたらいいのか、これを一旦立ち止まって社会全体で見直す必要があるんじゃないかなーっと真面目なことも考えていました
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