旧中山道さんぽ04(浦和宿〜大宮宿)
計画、決めたマイルールはこちら
今回のさんぽ概要
区間:03浦和宿〜04大宮宿
タイム:3時間10分
距離:11.5km(累計47.0km)
歩数:16,357歩(68,277歩)
パン屋の数:2店(累計17店)
費用:2,542円(累計7,235円)
おやつ モスバーガー390円
これまでの交通費2,152円
※ 距離は寄り道をしているので最短距離ではありません。
ポイント
・サツマイモの女王 紅あずまは埼玉の北浦和発祥
・お女郎地蔵の逸話は悲しい
・氷川神社の参道良い。次回は参道沿いのカフェと図書館に行きたい
・モスバーガー好き
上記項目の見出しに鳥ちゃん🐥を付けといたので、お忙しい方はその項目だけ目次から飛んでお読みください。
旧中山道さんぽ4回目は浦和宿から大宮宿までです。
浦和橋でJRの上を渡ります。ここからは基本的にJRと並行しており、いつでも帰れるという誘惑がありますね。
北浦和駅前にはパン屋がありました。
パン屋16号 高級食パン 君とならいつまでも
さいたま市立北浦和図書館
暑すぎて疲れも出てきたので、同じく北浦和駅ほど近くのさいたま市立北浦和図書館で小休憩しました。
図書館では今と昔の埼玉県内の各都市を比較する本を読んだのですが、疲れすぎていてタイトル忘れました。
ただ、1番良かったのは、秩父の武甲山は人間が石を切り出しまくったために、山の形が変わってしまい、高さも低くなったというのが写真で見ることができたことです。
図書館を出てすぐ、反対側にお寺です。
廓信寺
お寺の入口にサツマイモがいました。
🐥サツマイモの女王 紅あずまの発祥地
案内板によれば、江戸時代以来、関東でサツマイモといえば川越で、アカヅルなどの良い品種があったのですが、明治31(1898)年、浦和市北浦和でそれ以上の良いいもを農家の主婦、山田いちが発見したそうです。
いちは皮が薄紅色の「八ツ房」を作っていましたが、突然変異したこの芋を甥が「紅赤」と命名、それを広めることを使命とし、懸命に働きました。
そのため紅赤(俗称、金時)はたちまち関東一円に普及、「サツマイモの女王」とよばれ、川越いもも、紅赤になりました。
この廓信寺はいちと甥の菩提寺だったので、ここに説明看板を設置したとのこと。
妻がサツマイモ好きで、良く買ってきて1人で食べていますが、あの品種はなんだろう🍠
与野駅が近くなると一本杉の仇討ち跡があります。
一本杉の仇討ち跡
一回見逃して、戻って撮りました。
道路の左側にあります。1864年、江戸時代最後の仇討ちがされた場所です。
昔は立派な杉の木があったのですが、今は無いので見逃します。
六国見
与野駅前の交差点付近では、六カ国(武蔵、相模、甲斐、下野、上野、信濃)の山々が望めました。
半里塚のケヤキ
また、与野駅前の中山道との交差点にあった推定樹齢500年以上のケヤキは、浦和宿と大宮宿の一里塚のほぼ真ん中にあり、半里塚のケヤキと呼ばれました。
今、実際にその場所に行ってみると何もありません。跡もありません。
実は、樹勢が衰え、倒木の危険があるとのことで、2010年に伐採されてしまいました。与野駅の改札前に一部断面と写真、その説明があります。
中山道をまっすぐ歩いてると見逃すのでご注意ください。
与野駅を通り過ぎ、さいたま新都心駅に近づくと、立派なビルが見えてきます。頂上部が波打ったデザインであり、隣の建物と統一されている日本郵政さいたまグループビルです。
日本郵政さいたまグループビル(旧さいたま新都心郵政庁舎)
今は日本郵便の所有ですが、そもそも建てられた時は民営化前だったので郵政省が建築主です。
東京一局集中是正の流れで、さいたま市に移転しました。
郵政省だけ埼玉に移転できたのは、担当分野が比較的、他の省との連携が少なかったからですかね。実際、民営化されてますし。
高いビルは電車からよく見えるので知っていましたが、隣の低い建物(郵便局が入っている)とデザインが統一されているとは知りませんでした。
程なくして、築浅のかっこいいマンションが右手に現れます。
SHINTO CITY
無電柱化も素晴らしいです。
裏手にはしまむら本社、その前もオフィスビル、右手奥にはさいたま市庁舎ができる予定です。
さいたま新都心には大規模に開発できるエリアがまだ残ってるんでんすね。
そして、この広い歩道の真ん中で火の玉不動尊とお女郎地蔵が現れます。歩道から移築されていないのは珍しいですね。
火の玉不動尊を恐れたんでしょうか。
🐥火の玉不動尊とお女郎地蔵
なぜかぐるぐる巻きになっているので、お地蔵様は見えません。
お女郎地蔵の悲しい逸話は裏の木の板に書かれていました。
長いのでざっくり要約します。
救いはないです。
作り話ではない現実感があります。
そして、お女郎地蔵は、中山道歴史散歩コースという看板に記載のある歴史スポットの一つとして絵が描かれてます。
ビックリマークいるかな?
隣にある火の玉不動尊の逸話もありますが、こっちの方がよく分かりません。
さいたま新都心駅付近には見沼田んぼの説明があります。
見沼田んぼの説明
この辺りは海だったのですが、弥生時代以降、川が運んだ土砂などが堆積し、沼や湿地となっていました。
江戸時代になり、稲作用の水を溜める場所として活用され、8代将軍吉宗の時に財政改革のため、田んぼとして開発されました。
さらに進むと右手にパン屋です。
パン屋17号 UN GRAND PAS (アングランパ)
営業時間外でした。
ホームページを見ると洋菓子店ですがパンオショコラとクロワッサンを販売しているため、パン屋と判断しました。
洋菓子屋がクロワッサンだけ販売してるパターン多いです。
🐥氷川神社の参道(古中山道)
大宮宿に近づくと、左手に旧中山道、右手に古中山道である氷川神社の参道と道が分かれます。
一の鳥居
古中山道は、氷川神社の参道が江戸幕府が五街道として中山道を整備する前に使われていた道です。
江戸時代になってから氷川神社の神域を通過するのは不敬と、1628年に一の鳥居から直進する新道(今の旧中山道)が新しく作られました。
自分は古中山道を通って氷川神社に参詣したいし、旧中山道も歩きたいので、まず古中山道を歩いてから、分岐点まで旧中山道を戻り、再び旧中山道を北上します。
参道だけで約2キロあるので大変です。正直疲れましたが、早朝の参道は明るく、穏やかな空気を湛えていてとても良かったです。
新緑の早朝がおすすめです。
江戸時代は松の木、大正から昭和は杉の木、現在はケヤキを中心としてサクラやクスノキなどを含んだ多数の樹種で構成されています。
古樹も多くありますが、土壌の露出範囲が少ないこと、土壌が固化してきていることなど、生育環境が過酷なため、徐々に樹勢の衰退も見られると書いてありました。
都市の中に植えられた樹木たちは人知れず頑張ってるんですね。
昔からある幹線道路沿いにはイチョウがよく植えられているのも、そういう過酷な環境に耐えられる強さを持っているからだったと記憶してます。
散歩中のワンちゃんやランナーも多いです。
昔の写真を見ると、舗装されていない山道のようであったり、自動車が通行していたりしますが、今は歩行者専用道路として御影石で綺麗に舗装されています。
参道沿いにはカフェが多くあるのですが、このカフェは陽当たりがよく、めっちゃ気になります。
🐥UP COFFEE
私にとっては陽当たりが最重要事項であり、今住んでいる家も陽当たりで決めたようなものです。
このカフェは陽の当たる窓際にも席があり、今度再訪したいです。
また、少し歩くとおしゃれな大宮図書館があります。
🐥さいたま市立大宮図書館
図書館も好きで、中山道沿いに図書館があれば基本的に寄ることにしていますが、残念ながら開館前でした。
ニの鳥居
参道の近くには横長の看板があります。
氷川神社行幸絵巻
明治天皇が氷川神社に訪れたとき、1キロに及んだという行列を描いたものです。明治天皇が読んだ和歌も載ってます。
翻って、右手は江戸時代の趣があります。
そして、最後の鳥居、三の鳥居をくぐった先に立派な氷川神社の本殿があります。
三の鳥居
楼門
氷川神社本殿
氷川神社は、創建から 2000年以上の歴史を持つといわれ、東京都・埼玉県を中心に約200社ある氷川神社の本宮です。
「大宮」という地名は氷川神社を「大いなる宮居」と崇めたことに由来しています。
聖武天皇のとき「武蔵國一の宮」と定められ、源頼朝が社殿の再建及び社領の寄進、徳川家が300石の寄進と、教科書に載っている有名な方々と深い関わりがあります。
神社界のエリートでしょうか。
本殿を出て右手に進み、旧中山道に戻ります。
途中には鳥居もあり、氷川神社裏参道通りを進むと旧中山道に突き当たります。
ここから、東京側に逆走し、氷川神社との分岐点まで戻ります。
てくてく
はい。戻りました。
ここから再び北上します。
加賀家上屋敷の門
左手に現れる江戸時代っぽい門です。
何の説明もなく、政治家のポスターだらけですが、加賀藩江戸上屋敷(本郷)の門を明治になって移築したものです。
塩地蔵尊、子育て地蔵尊
道路の右側、細い路地を入ったところにあります。
病に倒れた父を救うため、2人の娘が地蔵のお告げに従い塩断ちをし、地蔵尊にお祈りを捧げた結果、病が治り、2人の娘は幸せに暮らしたという逸話があります。
母はすでに亡くなっており、父も亡くなれば、この娘たちは、先ほど出てきた火の玉地蔵尊の姉妹のような運命を辿ると思われます。
塩が贅沢品か嗜好品だったんでしょうか。
塩の有無がその後の運命を左右するとすれば、塩断ちも苦ではなかったはず。
この話の教訓は、健康のために塩を取りすぎるなよ、取りすぎないと良いことがあるぞということでしょうか。
時代背景がわからないと、何を学べば良いかわからない逸話は多いですね。
その辺りまで説明看板に書いてもらえたら面白くて良いのに。
🐥大宮門街(オオミヤカドマチ)
最近、再開発されたビルです。お腹が減ったので、モスバーガーカフェに入りました。
大宮門街の前には大宮宿の説明看板があります。
大宮宿は本陣1、脇本陣9、問屋場4、旅籠25、宿間1.04kmありました。
大宮宿は、脇本陣や問屋場の数が多いのが特徴です。脇本陣9は明らかに多すぎます。これは宿が5町7組で構成されていて、それぞれに宿創設以来の有力者がいたからだそうです。
交差点向かいの大宮タカシマヤは紀州徳川家の宿泊所である紀州鷹場本陣跡です。本陣を務めた北澤家が祀っていた北澤稲荷大明神は大宮タカシマヤの屋上にあります。
紀州鷹場本陣跡(現 大宮タカシマヤ)
北上して左側、岩井ビルのあたりが本陣跡です。
山崎本陣跡
あと、街灯がかっこいい。
さらに北上していくと、街道の目印であった椎の木があります。
椎の木
ようやく、さっきの古中山道と旧中山道の合流地点に帰ってきました。
氷川神社裏参道口
目の前のJR東北本線、アーバンパークラインの鉄橋のガードをくぐると大宮の町が終わった感じがします。
今回はここまで(長い)。
大宮宿の1番のハイライトは氷川神社でした。
ぜひ、2kmの参道を歩いてみてください。
良きです。
次回、旧中山道さんぽ05(大宮宿〜上尾宿)に続きます。