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僕たち大人には説明能力が必要だ

 僕たちが建築学科の学生だった平成の初め頃は、バブル景気のピークを迎えた時代だった。とは言っても学生の身分ではお金があるわけでもなく、華やかな時代の恩恵を感じたことはそれほどない。唯一、就職活動に際して企業が非常に積極的で、クラスまとめて食事会に誘われたり、突然に資料請求もしていない大銀行から、「明日来てくれたら内定を出す。」なんて言われたりして、自分さえ道を決めれば社会に出ることはそれ程難しくないのかなと思っていた。
 建築学科の学生には、設計製図という授業がある。2カ月程の期間で課題を与えられて設計の演習を行う。初期には過去の有名建築のトレース(書き写すこと)から始まり、次に「住宅」「学校」「美術館」など、段々と規模を大きく、複雑な建築に移っていく。学部4年の最後には自分でテーマと敷地を自由に設定する卒業設計を行い、集大成とする。
 学生には大学の製図室にそれぞれ机を与えられ、多くの学生はそこで考え、友人と相談をしながら製図や模型製作等の作業を行う。課題提出の佳境を迎えると、泊まり込んで徹夜で仕上げることもある。女子学生が寝袋でその辺に寝ていたりして、色気は無いけれど、なかなか勇ましい光景を見られた。
 数年前にある大学の建築学科で設計製図の外部講師を担当したが、僕たちが学生の頃と同じような風景を見た。中間講評の時点では箸にも棒にも掛からない計画でも、最後にはきっと徹夜をしたのだろうけれど、なんとか仕上げてきた。建築学科は昔も今も結構厳しい環境のようだ。
 現在の社会では、厳しい働き方を強いればすぐにブラック企業と言われてしまうけれど、今の若者にはエネルギーは十分にあるし、目標に向かって頑張る気持ちもある。ただ、理由も定かでない状況下で企業や周囲から強いられることを受け入れなくなっただけだと思う。
 僕たちは「パワハラ」とか「ブラック」という言葉を恐れておっかなびっくり若者と接している傾向があるけれど、厳しさを避けることはちょっと違うのではないか。「いいからやれ!」と言うような手段は確かに通用をしなくなったけど、きちんと言葉で説明をして納得してもらう、このことさえ出来れば昔も今も若者は変わらない能力を発揮する。ただ、僕たちベテランの大人たちには、腹落ちできる説明能力が必要になったのだ。

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