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ポジティブなニュースだけにフォーカスして生きることの意味

日々テレビや新聞やインターネットのニュースに目を向けると、ポジティブなニュースだけではなく、ネガティブなニュースが目に入ってくる。
いや、むしろ割合としてはネガティブなニュースの方が多いだろうか。

人間には、進化の過程で「ネガティブバイアス」というポジティブな情報よりも、ネガティブな情報に強く反応し、より重要だと感じられる認知バイアスが備わっている。
そうしたバイアスは、先史時代にわれわれの祖先が生き残るのには役立ったかもしれないが、現代ではむしろ逆に作用する。

こんな研究があるそうだ。
その名も「修道女の研究」である。
ノートルダム教育修道女会には、1930年代に十八歳で修道女会に入った修道女たちの「自伝的な作文」が残されているのだという。
研究者たちは、その文章を分析し、修道女それぞれのポジティブ感情の度合いをランクにした。
「喜び」を表現したポジティブ度の高い文章もあれば、「原罪」に始まる、「罪の意識」などがしきりに繰り返されるポジティブ度の低い文章もある。
研究者たちは、そうした修道女たちの言葉から、ポジティブ度の程度を分類し、彼女たちの後年の健康や生存率との関係を調べた。
その結果、ポジティブ感情と健康や長寿とのあいだに、相関関係が見られるだけでなく、因果関係まで確認できたのである。

つまり、長寿で健康だからポジティブ感情が増したというのではなく、ポジティブ感情で生活しようと心がけたことで、長寿と健康が得られたとなる。
心のありよう(心理的要因)が、寿命や健康状態にまで変化を及ぼすのだ。

人生の現実は、世界との関わりなしでは成り立たない。
人の人生はその人が生きる世界で、広義(世界)と狭義(日常生活)双方の世界で起きる出来事をいかに解釈し、どのような意味で、自分の「生」に落とし込んでいくかという点も見過ごせない。

現代のグローバル化が進んだ世界では、地球規模で起きた出来事が、どのような出来事であろうと、瞬時に地球の裏側まで伝わる。
国内の出来事と地球の裏側の出来事が、それほど大差ない時間差で自分のスマートフォンの画面や家のテレビの画面に映し出される。

そうしたニュースが嬉しくなり、元気になるポジティブなニュースだったら何も言うことはない。
だが、実際は規模の大小を問わず、惨事や事件などといった、ネガティブ感情が増すニュースまでもが素早く伝わるのだ。

先ほどの「修道女の研究」に戻ろう。
この世界から惨事や事件などがなくならない限り、自分の生活には、そうしたネガティブな感情を起こさせるニュースが必ず入ってくる。
安定した収入ではなく、安定したニュースが。

ポジティブ感情が寿命と健康に直結するとしたら、それだけで、自分のポジティブ感情の度合いは減るだろう。
中には、大きく減ることもあるかもしれない。

それくらいいいじゃないか、たいした影響ではない。
そうした意見もあるだろう。
だが、自分の心を観察して見ればすぐにわかる。
明らかにポジティブ感情の度合いは減っているのだ。

心のよほど丈夫な人なら、一日のうち10分から30分だけが続くぐらいなら大して問題にならないかもしれない。
しかし、それが十回、三十回、五十回、百回、千回、2千回と繰り返されれば、最初は微毒だったはずが、いつの間にか強く作用し、じわじわと健康が蝕まれることもときにありうるのではないか。
もし、ニュースを見る習慣が人生全体を通して続けば、それこそ、ポジティブ感情の度合いは「塵も積もれば山となる方式」で減るのだろう。

それは、人生と生活の質という観点からして決して見過ごせないほどのものであるだけでなく、良好な健康状態の維持や健康状態への影響という観点からしても無視できないほどのことだと私には思える。

だからこそ、ニュースダイエットの哲学が必要である。

そして、ポジティブなニュースに強く反応し、重要視する「ポジティブニュースの哲学」も必要だと考える。
それは言い換えれば、「楽観主義」を人生哲学の一つにすることだ。

ポジティブニュースの哲学は楽観主義ではあるが、ネガティブな感情を起こさせるニュースを起きなかったことにするわけではむろんない。
それは、ネガティブなニュースではなく、ポジティブなニュースに目を向け、反応する癖をつけることで、世界の好ましい側面を通して世界の姿を構築することだ。

ワイアード創刊編集長のケヴィン・ケリーは、それをこう言い表した。
「コップに半分水が入っているとして、半分しか水が入っていないと見るか、半分も入っていると見るのか。」

世界のポジティブな側面に目を向け、楽観的に捉える。
それは、出発点である。
そこから、「世界は改善可能」だということを忘れないでいることができるからだ。
それこそ、啓蒙思想の理念だ。
それによって、第一世代の啓蒙思想は失敗したとしても、「啓蒙思想2.0」を起動する勇気も湧いてくる。
つまりそれは、世界に絶望せず、生きる勇気、言い換えれば、ポジティブ感情を沸き立たせる余地を持っておくことでもある。
結果的に、それが意図せず健康な人生と長寿につながるなら、この上ない幸せだ。

以上述べたポジティブニュースの哲学は、メンタルが決して強くない(むしろ脆弱性がある程度ある)自分にとって最良の選択だと考えられる。

もしかしたら、ニュースダイエットの哲学は精神的健康を守りたい人はもちろん、何らかの理由でメンタルヘルスに問題を抱える人にも、選択肢の一つになる可能性はあるのだろうかとふと思ったりする。

世界の現実を次のように捉えることはできないだろうか。

「自分の日常に和顔と笑顔がある限り、この世界に希望はある。
規模を広げて不幸を嘆くのではなく、自分の生活に和顔を見出そう。」

世界のみならず、国内で起きる出来事を含め、「改善案」を本気で考え、行動する気がないなら、そのニュースを紙媒体でしか見ない。
不幸だと捉えられる出来事は特に。

そのような姿勢もありではないだろうか。
好奇心からその出来事で苦しい思いをされている当事者の姿をデジタルデバイスで軽々しく覗き見るのは、逆に失礼である。
『NewsDiet』(サンマーク出版)の著者、ロルフ・ドべリ氏のこの意見にある程度同感だ。

本当に関心があるのなら、紙媒体で読んだ上で真剣に熟考し、関心を持ち続けるように行動すればいいと考える。
私にはその時間も余裕もないからせめてデジタルデバイスを通してでは見ない。

ニュースダイエットの哲学とポジティブニュースの哲学を組み合わせて実践すれば、幸福感が高まり、ポジティブ感情が増すばかりか、自分の身近な人にも、ポジティブなニュースだけを話すことになると想像できる。

それは相手のポジティブ感情を増すことにもつながり、明るく、健康的で、良心的で、一緒にいて楽しい人だと認識されることにもつながるかもしれない。

このことは科学的に実証されたことから言っているわけではないが、想像に難くない。

私自身、自分の人生と生活における実験を通して、確かめようと思う。

忘れてはいけない大事な点がある。
世界や国内の出来事についてはポジティブニュースの哲学を貫いても、自分の人生や生活においては、ポジティブな側面だけでなく、失敗といった好ましくない側面にも目を向けるという点だ。

ありのままの現実を受け止め、失敗から学習する。
それは、大事な姿勢だ。
だが、世界や国内の出来事は違う。
規模が大きいから、失敗から学習して行動するには多くの人には現実的でない側面がある。

ポジティブなニュースはネットやテレビなど、自分の外側から運ばれてくるとは限らない。
今朝改札口を通るときに笑顔で挨拶してくれた駅員さん。
自分や家族の健康状態に特に問題がないこと。
電車で席を譲ってくれた紳士。笑顔で明るく接客してくれた店員さん。
晴れやかな天気。親身に相談に乗ってくれた友人。休日に行った森林浴の効能。愛犬が振りまく元気。旬の美味しいご飯。朝の一杯のコーヒー。
今日もいつもと変りなく無事に朝に目覚めることができたこと。

どれも当たり前のことに思えるがそれは全く違う。
穏やかで平穏ないつもと変りない一日が訪れ、その一日を無事に終えられることが、私たちにとって最大のニュースである。私自身、その偶然の恵みにありったけの感謝を込めようと思う。終。

参考図書

「修道女の研究」の出典。

ニュースダイエットについての原典。

素人筆。

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