自分を宇宙・自然・ミクロ・時のスケールの中で適正サイズにすることの意味
自分を重要視しないことは、よりよい人生を送るための基本だ。
この考えにふれたのは、ロルフ・ドべリの『Think Clearly』においてだった。
その真意を私なりに少し考えてみたい。
広大にして無慈悲なる大宇宙は、私たち人間の存亡になど、ちっとも気にかけていないとするならば。
人類の文明があと数百年で終わるとするならば。
人類の文明が、あと数千年後には、全く別の何かになるとするならば。
一人の人間の一生なんて、過去から現在、そして未来へと続く全永遠のうちの、時の流れのほんの瞬きの一点を、極限にまで縮めた一瞬の瞬間にすぎないのならば。
広大な大自然、夜空にきらめく星々の光、身も震わすほどの瀑布、地球上を大移動する、屈強な渡り鳥たち、気流を堰き止める大山脈、人類が生まれる遥か以前からいる強靭な昆虫たち、地球の酸素ボンベである、南米の熱帯雨林、地球上のあらゆる生き物たち、地球内部と地上で激しく活動する地質・火山活動、大地と野生動物の鼓動。
数千年と続く文明の興亡。現れては消え、現れては消えを繰り返す人類全体の無秩序で、巨大な運動。
地球上のいたるところで蠢くミクロスケールのバクテリアや菌類やウイルス、水素分子や酸素分子から素粒子まで。
野鳥が憩う森の巨木や大木と地面を歩く小さなアリ。
自分よりも大きいものと小さいものの存在を日常で感じる瞬間に私たちのちっぽけな自我(エゴ)が適正サイズになり、余白のモードになり、無心になる。
大自然や大宇宙は、私たち人間のありのままの大きさを映し出してくれる。
そして、ヘラクレイトスがいうように、万物は流転する。どんなに大きな成功をおさめ、どんなに大きな名声を得た人間でさえ、時による忘却、風化、そして新しい記憶への置換には抗えない。それは私たちも同じだ。
古い世代から新しい世代への転換、そしてその新しい世代はあっという間に古い世代になり、さらに新しい世代が生まれ、それがすぐに古い世代になり.…
それが繰り返される。
巨大な図書館に行くと、人類全史のスケールと、その過程で蓄積されてきた莫大な知的集積を認識できる。自分が全生涯で読めるページ数がどれほど僅かなものかということも。
それは、謙虚心と無知の存在を沸き立たせる。
健康や社会的地位、評判、交友関係などのすべての人間関係、財産や所有物なども、時とともに移り変わる。そして、あらゆるものに永遠はない。
それらを認識することは虚無主義では必ずしもない。人間の一生に限りがあり、この宇宙における自分の大きさと万物の流転を知ったとき、日々をより大切に生きようと思える。
何が本当に大事かを考えながら行動しようと思える。
今日を大切に感謝して生きようと思える。
古代から現在にまで続く枢軸の時代に誕生した偉大な宗教や哲学。
一説には、そうした宗教や哲学には、人間のエゴを抑えるための社会的な役割があったという。
そして、ここ200年で、人間のエゴを抑える文化的なブレーキがゆるくなってきたと先述した本の著者は述べる。
ストア派の哲人たちやブッダの教え、そして自然から、私は大切なことを学んだ。
そして、学び続ける。