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どうしても逃げるならば、辛くてもいい

noteに言葉の並べ替え遊びを書き始めてから、およそ2週間が経ちますが。こんなネガティブな言葉しか出てきません。着眼点自体は、面白いところをついていると思うのですがね(笑)

さて本題ですが。元の言葉については、異論なし。というか私自身も経験があるので。それはそうだとしか、言えないと思います。
原因の分析とか、出来る範囲での改善とか。家族や友人への相談とか。人それぞれなりに、出来る限りのことをやったのでしょう。それでも辛いのなら。取り返しのつかないことになる前に、決断すべきです。壊れてしまってからでは、遅いですから。
そして壊れてしまっても、周りのみんなが理解してくれる、とも限りません。それでも、決断した自分を含め、誰かは理解してくれるし、応援もしてくれるものです。
ですから、「逃げる」という選択肢は常に手札に加えておいて良いと思うのです。

ですが、ひっくり返したこのタイトル。思いついたときに、至極がっかりしてしまったのですが。ある意味このリスクは当然だよなー、と。

逃げて、新しくスタートを切り始めた環境。そこが更に「辛い環境」である可能性って、どれくらいなのでしょうか。少なくとも0%でないことは確かだと思います。勿論100%でもないでしょうが。

もっとも、多くの方は行動をとる前に事前に調査して、計画を立てて、準備をして。目途がついてから実行に移すと思います。ですから、タイトルのような環境にたどり着いてしまうことは、基本的にはないでしょう。
つまりはタイトルのような思考自体、ナンセンスといえばナンセンス。

とすれば、このような思考を捉えられるパターンは?私が思うに2つです。
1.自ら進んでこのような環境へ身を置かんとする
2.何も考えず(または考えられず)実行してしまう

1のパターンの場合は、極々少数でしょうし、あえて考察する必要もないですね。平たく言えばただのどMですから。ただ、この場合はそもそも逃げる、という表現に適さないのではないかとも考えられるので。いっそ除外でも良いかもしれません。「どうしても今の環境が辛い、耐えられない…そうだ、更に辛い環境に身を置こう」。よく言えば求道者、悪く言えば現実逃避の狂人?

では、2の場合は。いわゆる「心の病」や「生きづらい人」のほとんどは、こちらを選択してしまうのではないでしょうか。ぶっちゃけ、私はこちらを選択してしまいました。そして、そのことにより罪の意識に苛まれてました。いっそ1の選択肢を選んでみるべきなのか、とかも考えてしまっていました。今はその時期は乗り越えたのですが。いやお恥ずかしい。

自分語りほどつまらないものもないのですが。同時に強く響くものもなかったりするもので。
「辛い」「耐えられない」「何も考えられない」…そんな時に、脊髄反射を起こしてしまう。いややっぱり、仕方ないことです。仕方ないですよ、人間みな平等ですから。
だからこそ、喝!ですよね。逃げた後に立ち止まりなさい。体育座りしてみなさい、と思います。座禅や正座だと思い詰めてしまいますし、あぐらだと雑念が湧いてきます。体育座りくらいがちょうどよいと思います。

まずは避難すること。最優先です、いのち大事に。その後、すぐに行動をとろうとすること、これが良くない。危険から遠ざかることができたならば、一度深呼吸して。周りを見渡して、新たな危険がないか?自分は今安心できているか?頼れる仲間は?次はどうしたい?
腰を落ち着けて。お茶でも飲みながら。少しゆっくりと考えてみて。でも思考自体は冷静に、客観的に。
うわ難しい。逃げるって難しい、高等な戦術ですね。逃げ方がうまい人、みたいな言い回しがありますが、そもそもある程度の能力や経験がないと逃げること自体ができないのかもしれません。

話が逸れました。「逃げること」。それ自体は否定されるものでも、非難されるものでもないと思います。「歯を食いしばること」だけが、解決法でもないですし、美徳とされる時代でもなくなりましたから。
だからこそ、逃げた後を重視していくべきなんだと思います。幸福の尺度は人それぞれですが、不幸を望む人はいないとおもいますので。というかいてほしくないです(汗)

願わくば、このタイトル自体無駄な議論だよと、無視されることを願います。でも、注目はされたいからなー。「キライ」ボタンとかあれば、バズりますかね?(笑)


『どうしても辛いならば、逃げてもいい』


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