双極性障害/やこのポップな概要①
こんにちは。やこです。
この記事では、やこが双極性障害だと発覚するまでのポップな概要を記します。
概要といえど、長くなりますので幾つかに分けます。
きっかけ
やこが双極性障害、もとい精神的に不安定になり病院に通い出したのは、中学2年生の時です。
体力が無いのに運動部に入り、その結果として当然のように部活を休みがちになりました。
1年生の時は顧問の先生がやこのあまりの体力のなさに気を遣ってくださり、それでもなんとか活動できていました。
ところがです。
2年生に進級したところで、顧問の先生が変わり、初老の厳しそうな先生になりました。
2年生になったところで、相変わらず体力はないので、部活は休みがちでした。
あるとき、部活を休む理由を他の部員がいる前で追求されました。
理由があやしかったのか、言い方がしどろもどろだったのかは覚えていませんが、あの時のなんとも言えない、背筋がゾッとするような、体が熱いような寒いような感覚は、今でも覚えています。
そこから、やこは不登校になりました。
補足しておきますと、同じ部活の部員と顔を合わせるのが嫌で、怖くて部活の時間だけではなく、授業の時間も行けなくなりました。
きっかけに至るまで
先ほど、きっかけを書きましたが、実はきっかけはきっかけであって原因の全てではないのです。
やこが中学2年生の時、やこのお家の中がそれはもうどったんばったんしていました。
まず、やこの家は二世帯住宅で、父方の祖父母と同居していました。
そして両親は共働き。朝ご飯と両親が休みの日以外は祖母がほぼ家事を担っていたんです。両親は共働きの正社員でしたので、帰りも早くはなく、やこの幼少期には祖父母に面倒を見てもらっていました。
しかし、祖父の介護が必要になってしまい、祖母は祖父につきっきりになりました。
そしてやこには兄がいるのですが、その兄が不登校になり、大きな声を出したり、家の中で暴れます。
こんな状態なので、やこの母は仕事を辞めて家にいることになりました。
さて、ここで問題です。
この時、やこのために手を割ける大人がやこの周りにいたでしょうか。
いたとして、やこは周りの大人が大変なのを知っています。
その状況で、やこは大人を頼れるでしょうか。
答えは否。
無理です。幸いなのか不幸なのかやこは周りの大人の空気、大変なことが察することができてしまう力がありました。
要は、自分が我慢すればその場は丸く収まることを理解していたのです。
ずっと、ずーっと我慢をしていたのですが、我慢というものは無限にできるものではありません。
それが、きっかけで噴出してしまったのでした。
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