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生存航路:完全に方向性が変わったアークナイツ
注意
「生存航路」「狂人号」「潮汐の下」を含むアークナイツについてのネタバレを多く含みます。ご留意ください。
この記事は解説ではなく、主に「生存航路」を基にして、本編や情報に対して勝手に考察するだけのものです。公式の情報とは食い違っている可能性があります。シーボーンやアークナイツ自体に関する解説は他の方の記事や動画など参照ください。(O4sisさんのとか詳しくておすすめです)
ケルシーと「シーボーン」
今回の期間限定イベント「生存航路」にて。多数のキャラクターによるレスバトルがアークナイツらしく繰り広げられたわけですが、特にアツかったのはまあ闘知場での〈ケルシーVS「シーボーン」〉だったと思われます。個人的には。
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「文明なくして、いかに存続を語るというのか?」
「存続なくして、いかに文明を語るというのか?」
これはどちらにも理があるでしょう。「存続」を「存続」と捉え認識し、意義を付与して語る。担って繋ぐ。それは文明を持つ生命体にしかできないことです。対して、その「文明」も、存在する生命体(「保存者」などの例外はいますが)がいなくては語られることすらできない。
しかし、我々人類的にも、アークナイツのプレイヤーとしても、特に先の〈BABEL〉を通ってきた「ドクター」としても、考え方はケルシーの方に共感しやすくあると思います。
当事者である彼女らにとっては、優先度が違うのでしょう。価値観が、その土台が異なっているのだとわかるやり取りです。
文明から生まれ、先史文明の復活のためという責務を負っているケルシーと、巨獣という生命から生まれ、本体の成長のために栄養と進化、情報の蓄積という本能に従うシーボーン。先史文明であろうと、今のテラの文明であろうと、その護り手となり文明の存続を優先させるケルシーと、先史文明でさえ避けられなかった「滅び」を乗り越えるために、大群の生存を優先させるシーボーン。視点も目的も手段も違うために、互いに協力も言い負かすこともできない、隔絶した関係であったと言えます。
つまり、ケルシーは既に存在している現文明を守り導き、最善の方法でもってあらゆる困難に立ち向かおうとしているのに対し、シーボーン(マルトゥス)はいずれ来る滅びを乗り越えるために、乗り越えられるような生命(今回の場合シーボーン)に全てを託してしまおう、と主張しているのです。
ひたすら問題の対処とバランスの維持に努め、より良い選択肢や解決法、希望を探し続けているケルシーは、命というものに敬意を払い、生命自体の意義を肯定し続ける道を選んでいます。
「命を以て命を養うことも、破滅を以て破滅を積み重ねることも、生命の意義を否定することにほかならない。」
シーボーンは「紺碧の樹」「蔓延の枝」という巨獣の代謝機能から生み出された仕組みだと明かされました。(働く細胞のようなものを想像すれば良いのでしょうか?) 本体は星の核に触手を伸ばしマグマをエネルギーとして取り込み続けています。しかし同時に、更なる栄養を求めて地上へシーボーンを派遣しました。そのため、外敵を喰らい乗り越え成長し、侵略するための機構であるシーボーンには「異常な速度の進化」「大群としての個」「環境改変能力」という機能が備わっているのだと考えられます。
それに触れ、先史文明の滅びを垣間見てしまったマルトゥスは現テラ人の限界を感じ、代わりにシーボーンのその特性に未来への希望を見出したのでしょう。いわば相乗り、賭け先を人類種からシーボーンへと変更したわけです。
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しかし。ライフボーンの例もありまして、巨獣に死という概念は存在しないとされています。それでもどうしようもない滅びを、シーボーンはどう乗り越えるのか? その答えを、推測を、マルトゥスは持っていません。
「万物が滅びたかの未来において、いかなる形であれ、存続しうる生命があるのなら……」
「いかなる犠牲を払ってでも、そのために奮闘する価値がある。」
「ここに正義はなく、ただ前路のみがある。」
なんか難しそうなことを言っていますが、つまり彼は、マルトゥスはシーボーンに「丸投げ」をしたと言えてしまう。ケルシーやドクター、オラクル、プリースティスたちと異なり、彼は滅びを回避したり阻止したり、乗り越えることを早々に諦め、シーボーンのその異常な性能に明確な活路を見出したのでもなく、思考停止して現状の良さげな択に飛びついたのです。
とはいえ、それはそれで悪と断ずることもできません。基本的に生命には死という期限が存在し、そのために子孫を遺し後世を託していくものです。それは文明に対してあまりに短く儚い瞬間でしかなく、それを凌駕せんとするシーボーンに底知れない光を見たことは否定できないでしょう。一介の人類には、遥かな時間の流れとそれに沿う宿願、あまりに多くの喪失と変遷は耐えられるものではないと、マルトゥス自身も語っています。
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あるいは、ケルシーと同じだけの悠久の寿命があれば。マルトゥスも人類として更なる貢献に身を捧げられたのかもしれません。
シーボーンは信頼できる後継たり得るのか?
では、積み上げてきた文明、そして現在と未来の生命を犠牲にして進化するシーボーンは、人類の倫理的観点での欠点を除けば、より優れた生命であると言えるのでしょうか?
まず生命とは何か? から考えなくてはいけませんが、そこは簡単に検索してまとめてみます。
・一つ以上の細胞で構成されている組織であること
・自身の身体の恒常性を保つこと。
・恒常性を保つためにエネルギーを変換できること。
・複製や生殖によって他個体を生み出せること。
大体こんな感じではないでしょうか。専門ではないので詳しくはわかりませんが。まあ、シーボーンもこれに当てはまるでしょう。「進化」については、世代交代の際の適応の結果と解釈することにします。つまり奴らも生命であることには変わりないわけです。本編ではシーボーンがDNAを有しているのかどうかなどはわかっていませんが。
上の方で述べたシーボーンの特徴である「異常な速度の進化」「大群としての個」「環境改変能力」のうち、「異常な速度の進化」は極めて優れている点であると言えるでしょう。しかし、それはランダムな遺伝子の複製変化による突然変異、という形ではなく、主にエーギルとの交戦による適応変化によるところが大きいと考えられます。
「環境改変能力」も優れている点でしょう。人類も自然を制圧し改変し利用し、人類にとって快適な環境を作り出すことができますし、それと方向性はそれほど変わらないと言えます。
「大群としての個」は、おそらく現存する生命にはない特性です。シーボーンは全個体が「血で繋がって」おり、全個体を合わせてシーボーン、全てが一体であるとされています。そのために大群の意志に逆らうことは基本できません。しかし、それはどちらかというと本質的なことであり、物理的なものではありません。ディヴィニティエンドが得た独自の適応が他個体にも瞬時に伝達されていれば人類は終わりでしたし、故にこそ巣に帰す、及び他個体と接触させることが許されなかったのでしょう。
そう考えると、「大群としての個」は、シーボーンが巨獣の代謝機能であることを補強しているように考えられます。ファーストボーンが脳と仮定すれば、その意思決定、伝達を受ける体、その内部機能としての個という形式は割としっくりくるのではないでしょうか。
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進化についてですが、生存航路ではエーギル式の兵器に耐性を持った個体がどんどん複製されていく様子が描写されました。形式としてはおかしくないですが、その速度はやはり驚異の一言に尽きます。
しかし。「狂人号」(愚人号) に登場した個体、ディヴィニティエンドという明らかにおかしいやつもいます。深海教会からは「使者」と呼称されていました。こいつはアルフォンソやアイリーニ、アビサルハンターたちとの戦闘の過程で(ゲーム描写的には他個体を捕食することで) 圧倒的な敏捷性や強靭な耐久力を獲得していき、最後には深海司教アマイアと対話を経て彼女を捕食し、最終第四形態に変貌しました。
こいつが
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こうなるわけです。
これは「進化」ではありません。変異、変態、変化。どちらかといえばポケモンやデジモンのそれに近いでしょう。そして戦闘の中で必要であると考えられた敏捷性、耐久力を得て、リーベリであったアマイアの特徴である羽や、アマイア自身の知識、知能を獲得したことからして、シーボーンとしても異質であることがわかります。世代を経ることすらなく適応するディヴィニティエンドは、明らかに特異点たり得る存在であったと言えるでしょう。仮にこいつが阻隔層の外に出たとして、即宇宙空間に適応してしまえる可能性すらあったわけです。
他にこのような個体は確認されていませんが、もし「使者」が複数体生まれるのであれば、それはもう終わりでしょう。
これに対し、ミヅキローグライクのEND4「星空を堪えた群青」においては、イズミックと化したミヅキの先導によって数千年かけてシーボーンは進化し続け、ついに特異点に到達し、宇宙へ適応し旅立っていくIFの可能性が描かれています。そこで人類は「最後の都市」にしか存在しないため、シーボーンの進化、及び特異点への到達には人類の存在は必ずしも必要ではないことが示唆されています。
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こうした生物として優れた性能、適応能力、特異個体、特異点への到達の可能性を考えれば、「存続」という本能を載せる生命体として、これ以上ないものであると言えてしまうでしょう。いずれ全てが本体である「蔓延の枝」に吸収される可能性もありますが。
しかし、それらもまた可能性の一つでしかなく、IFはIFであるうえに、本編時空のキャラクターはそれらを認識することもできない以上は、シーボーンに存続を託すことも、人類を信じていくことも、どちらにせよ賭けであることは変わりないと言えます。ケルシーはシーボーンを「本能に突き動かされるだけの非知的生命体でしかない」と一蹴していますが。
信頼できるかできないか? については、生存という本能に従う性能は確かに信頼できるところです。しかしその進化の不安定性や、「使者」や人類が変異した例でない限り非知的生命体であるという点より、「シーボーンを信頼はできないが、人類を信頼できる、とする根拠もない」と考えられるでしょう。詰まるところ、今回の生存競争を勝ち抜いた方が、最後にシードとして待っている「滅び」と戦うためのトーナメントを登っていくだけなのでしょう。
シーボーンと共存する道も、「星空を堪えた群青」では描かれています。ブランドゥスやウルピアヌスのような人物たちの見解が、何でもない一人の少女によって根本から覆される奇跡が、しかし人類が敗北した世界において実現するのは、どうにもやりきれないことです。
深海教会ってなんだよ
なんなんでしょうね。
深海、シーボーンを崇め、進行する集団です。人もシーボーンの一部になるべきであるとする考えと、シーボーンはより良い人類になるための手段であると考えがあるようです。前者は深海司教アマイアやクイントゥスなどが、後者はキケロなどが挙げられます。ミヅキとかハイモアがその被験者にあたります。
しかし、生存航路の中で、深海教会はマルトゥスが興した宗教であることが明かされます。それだけでなく、マルトゥスは先史文明の崩壊についてや本来の目的である「蔓延の枝」の復活、シーボーンへの「存続」の渇望の委託を明かさずに扇動していたことも示唆されています。
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深海教徒はそんな教祖様の思惑なんて知らず、勝手にシーボーンへ妄想を押し付けるだけの迷惑集団と化していたのです。
しかし、そこはエーギル人。「生存航路」では、カシアがネームドの深海教徒として暗躍していました。その動機は「エーギルの弱さを正すため」でした。
エーギルが、人類が積み上げてきた価値は、特定の価値観に紐づけられてしまっているために、依拠する文明の崩壊によって無意味に崩れ去ってしまうのだ、と。それによって人々は生存意欲を失ってしまうだろう、だから自らの思想や行い、存在そのものに価値を感じられるようになれば、生存する理由が無条件に得られるだろう、と考えたのです。
だから生存の本能にただ従うシーボーンに傾倒する、という論理はちょっとよくわかりませんが、要するに彼女は「生きていく上での不安がなくなった」状態であり、寿命が余っていたために「存続」を、未来を憂うことができるようになっていたのでしょう。
「生きていく上での不安がなくなると、人間は価値を気にし始めるものです。我々は自らの思想や行い、ひいては存在そのものに価値があることを期待しているのです。」
つまり、深海教徒たちはそれぞれ独立した思想と信念のもと、自分たちが悩んでいる様々な謎や困難に対する「答え」として教えを得ていたのでしょう。そこは昔の哲人、昔の優れた思想家であり人類学者でもあり、先史文明の研究者でもあり、とスペック盛沢山なマルトゥスにはそう難しくはなかったと考えられます。
人は低きに流れる傾向があり、自分の信じたいもの、見たいもの、聞きたいものを優先的に選び取る傾向があります。それが乗じれば宗教にもハマるし、そこではエコーチェンバー現象が起きやすいのも相まって、思想も先鋭的になっていくのはなかなか避けにくいものだと考えられます。これは現実の宗教と同じですね。
彼らは宗教の援護を受けて、自分が正しいことをしているという確信犯的行動に陥っていた。そのために、ビーコンの異常を見つけただけのトゥリアを当然のように排除し、そのうえで自身の正当性を叫ぶなどという倫理観に悖る行為をしていたのです。
陰謀論や新興宗教に関して言えば、厳しく弾圧される立場であること自体に「真実が隠されている」「妨害されるということは自分は正しい」と捉える思考の歪みや、宗教以外で居場所がないことでますます宗教に傾倒してしまうなど、心理的メカニズムや宗教学の話題にも移れそうですが、今回はそんなに関係ないのでまたの機会に。
要するに深海教会ははた迷惑な勘違い集団であり、こいつらの工作によってイベリアもエーギルも多大な損害を被っていたわけです。しかし、それも元を辿れば深海教会の事実上の創設者であるマルトゥスのせいであると言えます。被害者の側面を持つとしても、加害者になったことが減免されるわけではないですが。
シーボーンを解き放ち、エーギル及びテラの文明自体との大規模な戦争を引き起こした張本人であることを踏まえると、シーボーン関連の問題は大体マルトゥスのせいでした。何してくれてんだこいつ……。
エーギルの傲慢
「 ……我々は、陸海の隔たりや天災の脅威をはるかに凌ぐ難局に直面しております。共に、運命共同体として……エーギルのもとに力を合わせれば、必ずやこの難局を乗り越えることができるでしょう。
繰り返します。エーギルは全ての陸上文明に呼びかけます。今こそあらゆる偏見と怨恨を手放し、人類一丸となって我々エーギルとともに防衛線を築きましょう。母体は既に封鎖を破り、海面を割りました。重要情報と演算結果は間もなく陸上に送り届けられます。
我々が面している危険は、陸海の隔たりや天災の脅威を遥かに凌ぎます。我々は運命共同体として団結せねばならないのです。エーギルのもとに力を合わせれば、必ずやこの難局を乗り越えることができるでしょう。」
以前、見たことがある文章でしたね。
「DISCOVERED TERRA 3.0」にて、最後のアナウンスで公開された文章です。公開日2023/08/07なので、グローバル版だと実に15か月以上かかったわけです。仕込みがすごい。
この全世界放送や、「生存航路」内でのホラーティアやカシア、ブランドゥスなどの描写では、エーギルの民に明らかな慢心、驕りがありありと見て取れます。
終盤でホラーティアが語る陸の国家への「交渉」の内容は、イベリアには復興の協力、イェラグにはいずれ無くなるであろうイェラガンドの庇護の代わりを。サーミには悪魔の穢れ祓いの助力やスターゲート再稼働を、ウルサスやカズデルには、戦火を鎮め紛争の一掃を。ボリバルや極東の国家統一を進め、それらの指導を行うと。
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ご、傲慢……。だからグレイディーアとの関係が良好でなく、クレメンティアに隠し事されるのでは?
ケルシーはホラーティアが語った、陸の各国に対するアプローチ案に対して苦言を呈していました。反発が起こるとか、信用できないとか、そんなの政治素人の私たちにだってわかるくらいの当たり前のことでしょう。それを執政官である彼女らが想定できないわけがないので、「それで問題がない」と考えているというわけなのです。力と知識は確かに隔絶するほどあるけども……。
もちろん、エーギルという種族自体がそうなのではなく、彼女らの状況と立場からこうした発言や態度がでてきてしまっているのだと考えられます。ジョディ・フォンタナロッサやウィーディ、ソーンズを見習ってほしい。
エーギルは別に特別優れた種族、というわけではありません。シーボーン因子を持つアビサルハンターは例外として、おそらくウルサスやヴィーヴルにもフィジカルでは劣るでしょうし、サンクタやレヴァナントのような特異性も持ち合わせてはいません。
では彼らは何を持っているのか? それは単純に、先史文明の遺産を発見し読み解き、その技術を模倣し利用することができているからに他なりません。更に、彼らの祖先が選んだ「海」という環境には、源石の浸蝕がまだ及んでいないという幸運も絡んでいることも、今日まで (比較的) 高度な文明を築けている要因の一つと言えるでしょう。
クルビアの国家プロジェクトとしての偽装を用い、先史文明の遺産である保存者、石棺の力を借り、時代を牽引する天才たちがその知恵と能力を総動員してようやく引き裂いた「星のさや」も、エーギルにとっては破壊しようと思えば簡単にできたことであると話されていましたね。それよりシーボーンの脅威が目下の問題であるとして、マイクロホバーマシンでの「航路」設置を断念していましたが。
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圧倒的な技術力の一部 (借り物) を継承し、まあおそらくは万能感を得てしまったのだと考えられます。強さを持ったものが優越感、全能感に浸ってしまい傲慢さに身を亡ぼす、という話は古今東西様々な所で語り継がれています。エーギルもまたその例に漏れなかった、というところでしょう。たまたま先史文明の遺産が源石の脅威に苛まれなかっただけの凡夫……。 まあそんな感じで技術力に雲泥の差ができてしまうことで、現テラ人がまるで原始人に見えるような感覚が生じてしまったのかもしれません。実際陸文明全てとの全面戦争になったとしても、エーギルが圧勝しそうな感じはあります(ザ・シャードやアークワンなどがあったとしても)。そのため、彼らの自信は実際に能力的にも実力的にも裏打ちされたものである、というところが実に厄介ですね。これは現実世界でいうと近代ヨーロッパ諸国のような「先進国」が、アフリカなどの「途上国」を見る視点に酷似していることを考えると、やはりどの世界でも共通の問題なのでしょう。アークナイツは本当に社会問題を扱うのが上手い。
だとしても、長年海の底に引き籠って交流をほぼ絶っていた (のでケルシー先生は交流を試みて海を漂流したりもしていた) ため、陸の文明からは「あいつ誰?」状態なわけです。エーギルと陸文明の相互理解は皆無に等しいと言えるでしょう。そんな状態でシーボーンの侵攻を抑えきれなくなったから世界の危機だ、協力しよう! とか言われてもな……という感じです。イベリアはほぼ唯一「海」の脅威を知っていましたが、そもそも他の国には「海」との接触自体がないので、エーギルがシーボーンという新たな脅威を持ち込んできた、とも見えてしまうので一般人からの心象も良くはないでしょうし。
それに対して、クレメンティアはケルシーたちとの交流を通じて、ドクターやスカジの中のIshar-mlaの存在をホラーティアから隠匿し、ケルシーたちとの本つ域への同行を表明しました。また、アウィトゥスはジョディとの問答を経て、自身の価値の崩壊を乗り越え、未知への探求に再び向かうことを決意しました。セクンダもアイリーニと行動を共にする過程で彼女に確かに敬意を払い、陸文明との交流についての意見を求めるまで信頼を築きました。ウルピアヌスはシーボーンや先史文明との接触の中で、自分たちは巨大な先史文明にしがみつく苔のような存在であるかもしれない、と勘付いています。交流や知見の拡大で、その認知は確かに変化していくのです。
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彼らも変わることができるし、変わろうともしている。そうでなければ、陸文明への接触やミリアリウムの浮上も行われなかったはずです。それがいかに窮地に追いやられている中での話だとしても。
そう考えると、ホラーティアやカシア、ブランドゥス、マルトゥスなども適切な他者との巡りあわせがあれば、救われていたのかもしれません。
鉱石病という「運命」
エーギルという種族を理解するうえで、「生存航路」にて、興味深い記述があった。
「運命?」
「興味深いな。古の先哲は、いわゆる「運命」という概念について議論していたものだが、その言葉に再び言及する者は長い間存在しなかった。」
「ご覧の通り、海には鉱石病が存在せず、ほかの病気もほとんどは治療可能なものでね。」
「我々の人生の道は我々が選び、我々の文明の行く末は我々自身が決定づけるものというのが当然なんだ。」
「ゆえに長きにわたって、我々は「定め」の何たるかを忘れていた。」
「しかし今、狩人たちの血に刻まれた不治の病は、私の手を以てしても医学的な手段によって根絶することはできなくなっている。」
「あなたの言う概念を拝借するなら、この病は「運命」と呼べるのかもしれないな。」
ローレンティーナの鉱石病に関してのブランドゥスの発言には、現状エーギルの技術力を以てしても鉱石病の完治は不可能であるという絶望と、人類が寿命以外の「死」を克服したことによる価値観の変化が含まれていた。
技術力の発展により、エーギルは約150年という寿命を持つ自らの人生を、自身の意志によってある程度自由に選択することができるようになったのである。スカジは歌、ローレンティーナは彫刻、グレイディーアはダンス、ウルピアヌスは作曲……など、おおよそ誰もが芸術を解することができるほか、自身の適正と希望が考慮され、ある程度自由度が担保された転職も可能とされています。
外部要因によって人生が歪められることなく、自身の道を自分で選び取ることができる社会は自由と共に不安定性を抱くものですが、おそらくその環境が何百年も持続していることで、エーギル人にとってはそれが当たり前となり、自由による安定を得るまでに発展できたのだと考えられます。
人は低きに流れる傾向があり、苦を避け楽をしたがる性質を持ちます。生物の本能に基づくその特性を、エーギルは概ね克服しているのです。
それゆえに、エーギル人は自身に関して生活や将来への心配事を軽減したために暇を持つことができ、自身のみならず、自身を包括した「文明」の行く末を案じることすらできるようになっているのでしょう。
人類が皆シーボーンの因子を得ることで、シーボーンと共存できるのではないか? と考えたブランドゥスが独断で第四級兵器へ干渉したことも、エーギル人は自身の価値の崩壊を前に無力であると考えたカシアが、シーボーンによって価値の無条件創出を促そうとしたことも、やり方は議論の余地がありますが、いずれもその動機は自身を含むエーギルを、エーギルという文明そのものを「救おう」とした、というものであることは明白です。
自由であり、できることが多いからこそ、自身が取れる行動に対する責任を誤認し、独りよがりに「救ってあげよう」とするのかもしれません。これは陸文明に対するエーギルのスタンスと同じです。自分の考えに及ばない未熟な他エーギルに代わって、自分が導いてあげようというのです。
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これは、「運命」に歪められたひとからは生まれにくい考えではないでしょうか。
「人や物事に定められた傾向と結末のことだ。」
ドクターはブランドゥスとの話の中で、「運命」をこう表現しています。今回は主に鉱石病という不治の病について話していますが、避けられない、変えられない「定め」と言い換えても良いでしょう。ブランドゥスに言わせれば、それは人の理想と人生を歪める外部要因であり、つまり本来は「定められていない」ということでもあります。
鉱石病に罹患した人は、鉱石病の痛みや苦しみに苛まれ、治療して僅かにでも寿命を延ばすか、抗わずに源石粉塵となって死ぬかの選択を強いられます。罹患していなければそれ以外の生き方も死に方も、ある程度自由に選べるでしょう。
その違いを生む要因を、「運命」と捉えているのです。
「運命」について、過去にも言及していたキャラクターがいます。
ルナカブが、定まった道を脱してくれるよう私は試みた。だが、慣性の力は私たちが考えるよりずっと大きい。例えばお前たちが「レッド」と呼んでるやつがそう。お前たちはできる限り影響を及ぼそうとしているけど、それでもあの子はなかなか抜け出せていない。あれが彼女が唯一知る生き方だからだ。あの子はシラクーザに戻った。お前たちのところの医者が、彼女は必ず帰ってくると教えてくれたが、本当にそうだといい。
ルナカブには、新しい生き方を見つけてあげたい。それはすなわち、私も本性から湧きあがる衝動に抵抗しなければならないことを意味している。エンペラーだってできているのだから、私が彼に及ばないことなんてありえない。
お前なら私たちを助けてくれるかもしれない。お前なら方法を知っているかもしれない。どうか見せてくほしい。本能を、運命を振りほどく方法を。「ドクター」。
全ての文章を把握しているわけではないので、他のキャラクターもまた言及しているかもしれませんが、今はこの「アンニェーゼ」が書いたと思われる付箋の文章について取り上げます。
アンニェーゼという獣主が語る「運命」とは、生物が持つ本能であると考えられます。シーボーンであろうと獣主であろうと、本能に従って生きることを強いられているのです。これがバグると自殺願望が生じたりします。
本能に従って生きることは、欲望に突き動かされることよりも下であり、コントロールすることができない無意味な行動傾向から生まれるものだとしています。その衝動が自らが抱く衝動であると吹聴し、楽しみだと、栄誉であることだと見なすことが笑い話でしかないと言います。その例として哀れなザーロにいきなり流れ弾が行くわけですが。
しかし、アンニェーゼは知っています。獣主でありながらもペンギン急便のボスとして、芸能界の大物としてテラの文明に溶け込んでいるエンペラーの存在を。
彼は我々の世界でいうところのいわゆるペンギンです。その本能に従って生きるのであれば、凍原で腹で滑りまわるのが存在意義だということになりますし、獣主の衝動に従って「牙」を育て、競い合わせるゲームに興じるべきである、ということになります。
しかし彼はそうではありません。会社を興し経営するほか、音楽に没頭し世界的なミュージシャン兼ラッパーとして名を馳せています。これは既存の獣主はおろか、比較的文明に溶け込んでいる大祭司やダック卿、ゴプニクらとも明確に異なる存在であると言えます。
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その差異はどこから生じるのか、についてはまた別の話になりますが。
アンニェーゼはエンペラーの例から、本能やそれに伴う衝動を克服する術があることを確信しており、それこそが「運命」に抵抗する手段であると考えているのです。
それは先に挙げた、エーギルが既に克服している「運命」に対するものと同様であると考えると、『病や外的要因によって人生や理想が妨げられないうえで、限りなく「自由」な環境が整えられること』というエーギルの発展要因そのものが、「運命」を克服し、真の「自由」を得る前提条件なのではないでしょうか。
その結果として、アンニェーゼがルナカブに与えてあげたかった「定まった道を脱する」「新しい生き方を見つける」ことを、エーギルは間接的に実現しているのです。それは裏を返せば、当然先史文明はそれを実現していた、ということにもなります。
多分、エーギルに関してアンニェーゼが言及するようなストーリーは描かれないでしょう。しかし、こうしたキーワードに関して、類推できる話が出てくるのがアークナイツという世界です。
こうしたキャラクターの苦悩、問題に対していつの間にか回答を示しているアークナイツは、世界観設定の前に価値観の設定、共有が凄まじく緻密に行われているのだと感じられます。「生存航路」でドクターがいきなり「運命」についてブランドゥスと話し出したときはめちゃくちゃ興奮しました。探せばきっと他にも、こうした考え方の繋がりは描かれているのでしょう。
しかし、それだけで話は終わりません。
エーギルと鉱石病に関して。最初のイベント「騎兵と狩人」にて登場したオペレーター、スカジのプロファイルを覚えていますか?
【血液中源石密度】0.013u/L
何だ? どういうことだ? どうして?! ま、まるで温室から出てきたばかりで、源石とはどんな接触もしたことがないかのようです! 数値が低いどころの話じゃありません。はっきり言ってありえません!
私はオペレータースカジを医療部から手放しては絶対にいけないと思います。絶対に。たとえ作戦小隊と戦うことになるにしても、この意見は曲げません! 彼女は特例中の特例です! 生物学と医療科学を愛しているオペレーターで、スカジの体の神秘を探りたくない者などいません! 我々には彼女への更に多くの測定が必要です! それから、彼女の全ての解析と、臨床観察を要求します! それから、それから……
違います、ケルシー先生ッ、今回だけです、お願いします!
──医療オペーレーターJ.A.
申請は却下した。
──ケルシー医師
実装当時なら、このプロファイルも「そういうキャラもいるんだな」程度に読まれていたかもしれません。スペクター (前衛) が普通に感染者でしたしね。しかしエーギルの特異性、アビサルハンターの性質が詳らかになると共に、やはりこれが異常なことであると判明していきます。
エーギルは海の中にあるため鉱石病に感染しない。しかし、源石に触れたり注入されたりすれば感染する。
【血液中源石密度】0.34u/L
源石感染の進行度は極めて遅い。我々にとっては通常考えられないことではあるが、非常に喜ばしいことでもある。また、その原因は、アビサルハンターが受けたという改造にあるものと推測される。
スペクターの医療ファイルは権限の高いデータベースに移行された。本件の担当関係者は機密保持を心がけること。
――医療部内部告知より
アビサルハンターであるスペクターは鉱石病の進行が極めて深刻であるにも関わらず、以降の進行度がなぜか極めて遅いとされています(アーミヤが0.27u/L、イフリータが0.51u/L)。以前はこれがエーギルの技術か海の力か何かだと考えられていたようですが……。
推論ではありますが、おそらくアビサルハンターは改造手術によって鉱石病への耐性ができているものだと考えられます。それはつまり、アビサルハンターの中にしかないシーボーンの因子による可能性が高いということで。シーボーン自体に、源石への抵抗が備わっている、という仮説が成り立ちます。
確かに「星空を堪えた群青」では、シーボーンはテラを楽園に作り替えたとしています。源石に覆われていて、天災も襲い掛かってくる理不尽を乗り越えたということです。増殖し続ければ双月までも浸蝕してしまうあの源石をです。
また、イェラグに天災が無いというところとも繋がります。イェラグは巨獣「イェラガンド」によって庇護されている土地であるということから、巨獣は源石及び天災に対する抑制手段を持ち合わせている、ということが考えられます。シーボーンもまた巨獣「蔓延の枝」の一部であることから、源石及び天災に対する何らかの耐性を持っていても不思議ではありません。
シーボーンは鉱石病、源石という「運命」にどう作用するのか。それは今後のストーリーで語られるかもしれません。
【血液中源石密度】0.005u/L
まあ、アビサルハンターたちを見てきてるから、エーギル人が血液中源石密度の最低値を更新しても今さら驚かないわ。でも、あの人たちを見れば見るほど、わからないことが増えていくのよね…… たとえば、陸上の水脈に微量の源石が含まれている以上、水が循環する過程で海にも源石が入るはずよね。……それなのになぜ、海中には源石がまったく存在しないのかしら?それに、エーギル人が海の奥から持ってきた鱗獣のサンプルは、海水と同じでまったく源石を含まなかったんだけど……それならどうして、エーギル人の体内には必ず極めて微量の源石が含まれているのかしら?
――某医療部オペレーター
エーギルは鉱石病からは運よく偶然逃れられていても、源石そのものからは全く逃れられてはいなかった。いずれ全てを源石が覆うだろう。
さあ、テラの明日はどっちだ。