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【第36話】幸運な大陸・ヨーロッパ(中島ノート⑯)

ベルギー料理の店で小宮山と夕食をとる。
白ビール※1と豚の血のステーキが抜群に美味い。
イスラム圏では家畜の血を飲むことが禁じられているのでまずお目にかかれないが,ヨーロッパや中国・東南アジアなどでは,家畜の血の塊が食材として普及している。
血液を飲んだり食べたりすることは個体をまるごといただくことと同義だ。
血液にはその個体が食べてきたものの全ての要素が凝縮されている。
食の履歴書みたいなものだ。
沖縄にはチーイリチーみたいな料理もあるが,もっと日本でも普及してほしい。
 
「それにしても,この運河はボートハウスだらけだな。」
ボートハウス。水上家屋。
以前バンコク※2でも見たことがあるが,あれは川底にしっかり杭を打ち込んで作られている。
ここは違う。
要するにボートの上に家が乗っかっているフローティングハウス,つまり「浮き家」だ。
どれだけ水位が上がっても家が水面と一緒に上昇するから沈水することはない。
地球温暖化で南極大陸の氷が全て融けて海水面が60m上昇※3し,4万㎢のオランダ国土のほとんどが水没しても家を失うことはない。
 
「オランダ人のDNAにはすべてを人間がコントロールできるという自負があるのかもしれないな。」
小宮山がビールを飲みながら言う。
「なぜそう思う?」
「“他の国の土地は神から与えられたものだが、オランダ人の土地はオランダ人が作りあげたものである”」って聞いたことない?」
「ああ,ポルダー※4か。」
「そう。俺たちの生きるこの大地は俺たちが作ったんだから,全てコントロールできるぜ,って思うんだろうなあ。」
「なるほど。ポルダーは海面より低くて放っておくとどんどん水が流れ込んでくるから,常に排水し続けるシステムが必須だよな。その動力として風車を使っていたわけだ。たしか世界遺産になっていたはず。」
「うん。キンデルダイク※5ね。去年遊びにいったよ。でも,今オランダに残っている風車は観光用が多くて,排水目的の風車はほとんど無いらしいよ。今はモーターで水をくみ上げられるから。」
 
「なぜ全てコントロールできるって思うんだろうか。」
と小宮山の問いが続く。
「安定陸塊でかつCfb※6だからじゃない?」
 
ヨーロッパの大半は西岸海洋性気候(Cfb)に属する。
〝海洋性”とは簡単に言えば「海洋の影響を受けている」ということだ。その反対は〝大陸性気候”だ。
 
土と水は最初から性質が違う。
「比熱」が違う。
比熱とは1gの物質の温度を1℃上昇させるのに必要な熱量(カロリー),要するに「あたたまりやすさ」のことだ。
水は比熱が大きく、土は比熱が小さい。
水はあたたまりにくく冷めにくい。土はあたたまりやすく冷めやすい。
水のたっぷり入った鍋とフライパンをコンロで温めると,フライパンはすぐ熱くなるがお湯はなかなか沸かない。そういうことだ。
海岸地域は水の影響が強いので,夏は高温になりにくく冬は低温になりにくい。
気温の年較差は小さくなる。簡単に言えば過ごしやすい。
「水のあるところ安定あり」というのが自然環境を理解する上での最大のキーワードだ。
 
さらに,西ヨーロッパには大西洋側から暖流(北大西洋海流)が流れてくる。
海流というものも,神の視点で見れば地球を安定させるために流れている。
暖流が流れている地域では冬でも暖かくなり、寒流が流れる地域では夏でも涼しくなる。
カリフォルニアの夏がニューヨークほど暑くならないのは沖合に寒流(カリフォルニア海流)が流れているからだ。
 
ヨーロッパ人は我々の想像以上に高緯度で暮らしている。
南部に位置するスペインのマドリードが秋田と同じ緯度(北緯40度),パリとロンドンの間を通る北緯50度線は,北海道のはるか北、サハリンの真ん中を通過する。
サハリンにロンドン並みの大都市が形成される可能性はほぼゼロだ。冬が寒過ぎる。 
緯度だけで考えれば,ロンドンはロシアやカナダと同様,冷帯気候になって厳しい冬を迎えることになる。
ところがヨーロッパ西岸は暖流(北大西洋海流)のおかげで,温帯というカテゴリーに踏みとどまることができる(ケッペンの気候区分では冬の平均気温が-3℃を下回ると冷帯気候になる)。
 
リュックの中から「世界の気候区分」の図を取り出して小宮山に見せた。
「そんなの持ち歩いているのかよ。」
「一枚やるよ。これでヨーロッパ人を説得してやってくれ。」
「説得?」
「そう。君たちヨーロッパ人はたまたま運が良かっただけですよっ,てな。」  
「どういうこと?」
大西洋の幅が狭かったために,北アメリカのフロリダ沖を流れる暖流が冷やされる前に西ヨーロッパを直撃してしまったのだ。
暖流が沖合いを流れるロンドンは北緯51度に位置するにも関わらず,1月の平均気温は5.7℃で,北緯31度の上海(5.0℃)より高い。
 
おまけに,アルプス山脈以北の西ヨーロッパは低平な土地※7が多くを占めている。
暖かい空気が山地に遮られることなく内陸まで運ばれるのだ。
ヨーロッパにとって「大西洋の幅がたまたま狭かった」ことが最大の幸運だった。
「友だちに聞いてみてくれ。あんたらの中で大西洋が狭かったことに感謝している人はいったいどれくらいいるのか,ってね。」
「フフ。だいたい答えは予想がつくよ。」
「どんな?」
「〝それは神が我々に与えた特権である“って言うさ。」
「言いそうだな。」  
「西ヨーロッパは“運良く”西岸海洋性気候になった。夏の猛暑や冬の極寒がほとんどない。暑さ寒さを回避する努力をしない分,余暇活動に時間を費やせる。数多くの芸術作品がヨーロッパで生まれたのはこの気候のせいだと俺は思ってる。」
小宮山はニヤリと笑いながら頷いていた。
 
しかし,
人間に優しいヨーロッパの自然環境も,時々凶暴な牙をむくことがある。
その一つが,1755年のリスボン大地震※8だ。  
11月1日,キリスト教の祝日。
ポルトガルの西方の大西洋で,東日本大震災と同様の海溝型の地震が発生した。
大きな揺れとその直後の3度にわたる大津波,そのあとに続く大火災により,栄華を極めていた当時のリスボンは廃墟と化してしまった。    

当時31歳であった哲学者のカントはこの大災害に触発され地震に関する論文を次々と発表した。
〝人間は神が命じた自然法則から好都合な結果だけを期待するという権利をもたない″(地震の歴史と博物誌より)と述べている。 
 
地図帳でプレート境界の図を見ることのできる今なら「ポルトガルの沖合にはプレート境界が存在するのだから,大地震が発生してもおかしくない」と簡単に納得できてしまうが,当時はプレートテクトニクスなどという言葉は存在しない。
リスボン住民の多くはそんな危険と隣り合わせの地で自分達が生きているとは思いもしなかったに違いない。  
 
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※1 白ビール
一般にビールは大麦から作られるが,白ビールは小麦を多用する。さまざまな種類があるが,ベルギーとドイツで特に生産がさかんである。フルーティーな味わいに特徴がある。
 
※2 バンコク
東南アジア・インドシナ半島のタイ王国(人口6680万人/2022年)の首都。人口は880万人で,都市機能と人口が集中する典型的なプライメイトシティ(首位都市)である。タイ国内最大河川であるチャオプラヤ川河口部のデルタ(三角州)地帯に位置し,河川沿いには小舟の上で農作物が売買される水上マーケットもあり,観光ツアーで訪れることができる。また,東南アジアにおける自動車産業の中心地でもあり,郊外には多数の工業団地が形成されている。過度な人口集中による交通渋滞と大気汚染が深刻化したため,近年は高速道路・地下鉄・高架鉄道の整備が進められている。
 
※3 海水面が60m上昇
現在,世界の全陸地の約1割は氷(氷河)に覆われているが,そのうちの85%は南極大陸にある(北米大陸に含まれるグリーンランドに11%)。南極大陸の氷床(大陸氷河)の厚さは平均2000mほどある。もし陸上の氷が全て解けて海に流れ込んだとすると,海水面は60mほど上昇すると考えられている。
 
※4 ポルダー
オランダの干拓地。オランダは国土の2割以上が13世紀以降の干拓によって生み出された。入り江など水深の浅い場所を堤防(ダム)で締切り,内陸側の水を排水して陸地化する。オランダには首都アムステルダムの他,ロッテルダムなど語尾にダムの付く地名が多い。干拓地の標高は海水面より低くなる(アムステルダムの標高は-4mである)。オランダの正式国名のNetherlands(ネーデルランド)は「低地国」という意味である。
 
※5 キンデルダイク
『キンデルダイク-エルスハウトの風車群』は1997年世界文化遺産に登録された。19基の風車が並ぶ光景がオランダの歴史を象徴している。風車はもともとオリエント地方に起源があり,十字軍の遠征によって12世紀頃にオランダに伝わった。
 
※6 Cfb(西岸海洋性気候)
Cは温帯(最寒月平均気温が-3℃~18℃)。fはドイツ語の湿潤(feucht)の頭文字。ケッペンの気候区分は2文字表記が多いが,Cf気候はさらにCfa(温暖湿潤気候←日本の大部分がコレ)とCfb(西岸海洋性気候)に分類される。最暖月(夏)の平均気温が22℃以上ならばa,22℃未満だとb。簡単に言えば,「暑い夏がある」のがaで「暑い夏がない」のがbである。ロンドンやパリでは真夏でも明け方の気温が10℃前後などということもある。朝からうんざりするくらい気温が上昇する日本の夏とは体感が違う。
 
※7 低平な土地
大陸別の標高200m未満の土地の割合を見ると,ヨーロッパは52.7%でダントツである。以下オーストラリア(39.3%)南アメリカ(38.2%)北米(29.9%)と続く。最も低いのはアフリカで9.7%。
 
※8 リスボン大地震
1755年11月1日午前9時40分。マグニチュード8.5(~9.0)と推定される巨大地震がポルトガル沖の大西洋で発生した。地震による建物の倒壊によって亡くなった人々も多かったが,リスボンの街では無秩序な市街化によって避難場所となるような広場が少なかったため,多くの住民が海岸沿いのわずかな低地に避難したことで津波による犠牲者も多かった。津波の高さは最大で30mにも達し,リスボンでは人口の3分の1ほどが死亡したと推定され,イギリスやアイルランド,北アフリカのモロッコにも達し多くの死者を出した。津波の被害を免れた地区では火災が多数発生し,宮殿に飾られた歴史的に有名な画家の作品や,王立文書館に所蔵されていた大航海時代の貴重な資料が焼失した。ポルトガルはブラジルやインド,マカオなどへ進出していた国であるが,経済的に大打撃を受けたことで,これ以降海外植民地拡大の勢いは衰えていった。敬虔なカトリック国家であったポルトガルで,しかもキリスト教の祭日にこのような悲惨な災害が起こったことは当時の神学に大きな衝撃を与えた。また,地震後の街の再興は,国家が責任を持って復興に尽力する「近代的災害」の最初の例とも言われている。 
 

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