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【第55話】死のカケラが生をうむ(中学・高校時代⑤)
「なんだか私も大城先生の授業を受けたくなっちゃいました。」
「ああ,そうだね。たぶん滴ちゃんの好みだと思うよ。」
「大城先生は今どうしているんですか?」
「それが音信不通なんだ。」
「え?」
「僕らが高校一年生の時に先生は沖縄に戻っちゃったんだ。家の事情ということだった。その後も年賀状のやりとりをしていたんだけど,浪人中に暑中見舞いを書いたら宛先不明で戻ってきちゃったんだ。」
〇 〇 〇
「ああ,いい土ですね。ホクホクしていますね。」
と大城先生は子供のようにはしゃぎながら言った。
「良い土は,やわらかくて空気と水がたくさんあってふかふかと布団みたいなんですよ。」
僕らは学校の課外授業で広島市郊外の農場体験に来ていた。
「ほら,この土には少し隙間があるでしょう。これが大切なんです。柔らかい土には隙間がたくさんあります。土っていうのは人間の体で言えば筋肉なんです。筋肉には酸素が必要ですよね。身体中に酸素を送るのは血管ですが,土の場合はこの隙間が酸素を運んでくれます。」
先生はそういうと両手で大きく土を掴んで顔に近づけ,少し匂いを嗅いでから綿菓子を舐めるみたいにぺろりと食べてしまった。
びっくりした。
「先生,虫が口にはいっちゃうよー」と声がした。
「大丈夫,大丈夫。」
農家の山本さんが草刈り鎌を持つ手で汗を拭いながら「このおいしい土にするのに5年かかりました。」と先生の言葉に反応した。
山本さんは農場経営の傍ら,スイーツが人気のカフェをすぐ近くで経営していた。
最近注目されている農業の6次産業化※1の実践者だ。
カフェの名前は「ミストラル※2」と言った。
田村君が「山本さんも絶対地理好きだよね。」と耳打ちした。
「先生のおっしゃる通り,は筋肉です。昔から“やせ地”とか“肥えた土”とかいうでしょう。この辺りは最初ひょろひょろの土しかなかったんです。やせっぽちですね。そこから少しづつリハビリして筋力が復活するまでにだいぶ時間が掛かってしまいました。」
「どうやってリハビリするんですか?」田村君が質問した。
「たくさんの“死”を投入します。」と山本さんは笑った。
皆がえっという顔をした。
「はは,そういうとみんなビックリしちゃうよね。説明しますね。みんな,砂と土の違いは分かるかな?」
山本さんのミニ講義が始まった。
「砂はさらさらしているけど,土はしてない!」と誰かが言った。
「お,いきなり正解が出たね,すごい。そうなんだ。砂というのは岩石が細かく砕けて小さくなっていったツブツブのこと。ただそれだけ。校庭の砂場の砂ってさらさらしているでしょ?あれは砂であって土ではありません。土はほら,このサツマイモにぺたぺたとくっついているでしょ?砂が土になるにはネバネバした接着剤が必要なんだよ。」
「納豆みたい。」
「そうそう,そんなイメージ。その接着剤の役目をするのは“腐植”※3っていいます。」
「フショク?」
「そう。腐植は植物が腐ると書くんだけど,落葉とか小枝とかが地面に落ちてそれを微生物が少しずつ時間をかけて分解してようやく出来上ります。落葉だけではなくて,動物とか昆虫の死体が地面の上にあると少しずつ腐植に変わっていくんだね。ただ,それってものすご~く時間が掛かるんだ。」
「何日くらい掛かるんですか?」
「1cmの土ができるのに何百年も掛かるって言われているんだよ。」
一斉に驚きの声が上がって「でもじゃあ何で5年でできたんですか。」と質問が飛んだ。
「この畑には堆肥を少しずつ投入しました。」
「タイヒ?」
「堆肥は,落ち葉や雑草の他に生ごみとか家畜の糞などを微生物の働きで発酵させて作るんだよ。」
「え? 動物のウンコってこと。」
「そう,家畜のウンコは大事な肥料になりまーす。」
何人かが鼻をつまむ仕草をしてぐええと声をあげた。
「落葉やフンももともとは生き物の一部だったわけだよね。そうした残骸を少しずつ痩せた土地に加えることで土が活き活きとしてくるんだね。だからさっきたくさんの“死”を投入するって言ったんです。」
ニコニコと話を聞いていた大城先生が,小さなホワイトボードに「砂+死=土」と書いてから説明した。
「生き物が生きるためには別の生き物の死が必要,ということですね。たくさんの死が新しい命を支えてる。皆さんも毎日鶏とか豚の死体を食べてますよね。」
「死体とかっていうと食欲なくなる-。」
「でも事実じゃん。」
その後,幾つかの班に分かれて芋掘りや野菜の収穫作業をした。
僕と田村君は山本さんのすぐ隣でゴボウの収穫をしながら次々と質問をした。
「枯れた草をたくさん砂の上におけば肥沃な土になるってことですか?」
「うん。でもね,ただ多ければ良いってわけじゃなくて,微生物が活動できるくらいの温度と水がないとダメなんだ。シベリアあたりのタイガ※4とかだと,気温が低くてバクテリアなどの微生物があまり活動できないから,地面を少し掘ると何十年も前の枯葉がそのまま出てくるらしいよ。」
「じゃあ,熱いところで雨が多ければ腐植も多いってことですか?」
「実はね,雨が多過ぎても栄養分がザーっと流れていっちゃうからダメなんだ。暑過ぎもせず寒過ぎもせず,雨が多すぎず少なすぎず,っていう場所が一番良いんだよ。」
「日本は温帯だからちょうど良いですか?」
「うん。気温の面ではすごく良いと思う。でも降水量はちょっと多いかな。土壌の肥沃度でいうと年降水量500mmくらい※5がベストって言われているんだよ。」
その日の夕飯はとれたての根菜※6で母が煮物を作り,2人で食べた。
デザートは蒸かしたサツマイモだった。
あまりの美味さに驚いた。
「土っていうのはね,死の集合体であり,接着剤であり,筋肉なんだよ。」
と僕は言ったが,母はキョトンとしていた。
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※1 農業の6次産業化
第1次産業(農業),第2次産業(工業),第3次産業(サービス業)を組み合わせて農村の活性化を図る試み。農作物を生産する(1次)×加工する(2次)×販売等を行う(3次)=6次,という掛け算の考え方で経営の多角化を行う。昔から農家が野菜を漬物にしたり,漁師が魚を干物にしたりして販売をすることは行われているが,近年は地域資源を生かすさまざまなサービスが登場している。一例として,とれたて野菜を道の駅やインターネットで販売する,地域食材を使ったカフェ経営,農村体験ができる「農家民宿」の経営,などがある。これにより,農家の所得向上,地域での雇用機会の創出,伝統文化の保存,地域の活性化などが期待できることから近年注目が集まっている。
※2 ミストラル
特定の地域に吹く局地風の一つで,地中海北西部に冬から春にかけて吹く寒冷で乾燥した北風のこと。フランス南部を流れるローヌ川周辺で吹くことが多く,河口近くにあるアルルにかつて滞在した画家ゴッホは,風が強すぎて絵が描けないといった内容の手記を残している。アルルや貿易港マルセイユ,保養地として有名なコートダジュール海岸のモナコ・ニースを含む地域はプロヴァンス地方と呼ばれ,ヨーロッパを代表するリゾート地域として有名である。
※3 腐植
動植物の遺骸からなる有機物が,土の中の微生物の働きによって適度に分解された粒子のこと。一般に落ち葉が分解されたものは茶色(褐色)に近く,草が分解されたものは黒色に近い。岩石などの母材(ぼざい)が太陽熱・水・動植物・微生物などの働きによって細かく砕けて(風化されて)変化し砂となり,そこへ有機物(おもに生物の遺骸)が混じることで形成される。一般に土壌の肥沃度は腐植を多く含むかどうかで左右される。
※4 タイガ
ロシア語で「北方の原生林」を意味する,ヨーロッパからシベリアにかけて分布する針葉樹林帯の名称(広義にはカナダなど北米大陸北部の針葉樹林も含む)。カラマツ・モミ・エゾマツ・トドマツ・トウヒなどの樹種の少ない単一な森林を形成し,おおよそ北緯55~65度の地域に分布している。
※5 年降水量500mm
世界全体の年降水量の平均はおおよそ800~900mmくらい。年降水量が250mm未満の地域は砂漠の地域がほとんどなので,土壌のもととなる枯葉などの有機物が生成されにくい。年降水量500mm前後の「半乾燥地域」は草原地帯が多く,雨が降ると草が生えるが乾季になるとそれがすぐに枯れてしまう。植物が次々と生まれては死んでいくというサイクルを繰り返す地域である。そうした自然条件を反映して,年降水量500mm前後の地域には肥沃な土壌が分布している。代表的なのは黒海北部のウクライナからロシア・カザフスタンにかけての黒土地帯(ロシア語でチェルノーゼム)や,アメリカからカナダにかけて分布するプレーリー土(プレーリーは草原の名称)などがある。
※6 根菜
根や地下茎などの地中にある部分を食用とする野菜のこと。じゃがいもやさつまいもを根菜類に扱うこともあるが,主食的傾向も強いため,通常はイモ類として別に扱うことが多い。大根・にんじん・ごぼう・かぶ・さつまいも(根の部分を食べる),れんこん・にんにく・たけのこ・しょうが・じゃがいも・里芋(地下茎の部分を食べる)などがある。最も生産量が多いのは大根で,日本では年間約130万t生産されており,野菜全体でもキャベツ(145万t)に次いで第2位である。