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【第49話】勉強が大好きな彼女の憂鬱
東京湾沿いにどこまでも工場群が続いていた。
千葉県西部の国道16号線※1沿いには40km以上に渡って君津・市原の重工業地帯※2が続いている。
終始機嫌良く話し続けていたミドリだったが,交差点で停車している時,茜色に変わり始めた空を見ながら急に「お酒が飲みたい。」と言い出した。明らかに不機嫌そうだった。
「え?」と赤嶺君が戸惑った顔を見せた。「いや,いまドライブ中だし。」
「赤嶺君には悪いけど,私と水野君は飲んでも大丈夫でしょ?」
「そりゃまあそうだけど。でもどうして?」
「嫌なこと思い出した。さっきの看板。」と言った。
それが何の看板だったのかは不明だったが,赤嶺君は口を曲げながら国道沿いのファミレスの駐車場へ入った。
「飲み過ぎないでよ。お酒強くないんだから。嫌なことってどんな?」と赤嶺君がグラスを差し出す。
ミドリはビールを一気に飲み,チキンを食べながら言った。
「私が休み時間に本を読んでると,ほめ殺しみたいな言い方してくるヤツ。うわあすげえなあとか優秀なヤツは違うなあ、とか。」
さっき見た看板というのは,たぶんそんな昔の嫌な輩を思い出すトリガーだったんだろう。
この世界には,楽しい時間のピークになぜかそこをピンポイントで狙ってくる意地悪なスナイパーが隠れている。
今日のミドリは何度もそいつの餌食になってしまっているようだ。
「私ね,中学校の成績はいつも5番以内で,女子ではいつもトップだったの。おまけに太ってて運動もまるでダメだったから,なおさらからかわれてた。」
大きく頷いて赤嶺君はノンアルコールビールを飲んだ。
「ねえ,何でスポーツとか音楽で優秀な人はすごいすごいってみんなに賞賛されるのに,勉強だと“勉強ばっかりしやがって”みたいな目で見られるの?」
「確かにね。」赤嶺君はすかざす同意した。思い当たる節がある,という顔だった。
「そんなこともないと思うけどなあ。」という僕の言葉に二人はまったく反応しなかった。
「これ言うといつも呆れた顔されるんだけど,私ね,小さい頃から勉強が好きだったのよ。大好きなの。毎日知らないことが次々登場して世界が広がっていくことにワクワクしたのよ。特に国語の時間が一番好きだった。国語の教科書っていろんな人の人生の一部が切り取られてファイリングされているわけでしょ?デパートの試食コーナーみたいに。私はああこんな一口サイズじゃなくてもっとガッツリ食べたいなあって気持ちになって図書館で調べたりしてたのね。そういう時間がホントに楽しかったの。図書館だったら何時間でも過ごすことができるのに,ミドリはガリ勉,いい子ぶりっ子,とか言われたりするのよ。」
ミドリは追加でワインをデカンタで注文し「みんなひどいよ。」と唇をぎゅっと噛んだ。
アルコールで饒舌になることは知っていたけれど,今回はテンションが違っていた。
「私ね、小さいころからテレビあんまり見ない子だったのね。一人で本を読んだり絵を描いている方が楽しかったから。だから流行っている歌とかお笑いのネタでみんなが盛り上がってる時に,私だけ仲間外れになっちゃうの。ねえ、何でテレビを見てないだけで誰も話相手になってくれないの?酷くない?」
ミドリは明らかに涙目になっていた。
「そうねぇ。でもほとんどの学生は勉強が嫌いだからなあ。ミドリは少数派なんだよ。残念ながら。」
「分かってる。そんなこと。私が言いたいのは,何でスポーツとかダンスが好きっていうのと同じ目線で見てくれないのってことなの。水野君はどうだった?勉強好きだった?受験の時とか。」
そういわれて返答に窮した。
勉強が大嫌いになったという記憶はない。
中学の頃は成績は上位だったので高校もそこそこの進学校に入学することができた。
大学受験の時は苦手な英語に時間を取られてそれなりにキツかった。
でもこういうキツさは皆同じなんだろうな,と思いながら回り道もたくさんしたけど何とか乗り切ることができた。
じゃあ,勉強は好きだったかと聞かれると,好きだったもの〝も″ある,というのが一番正確な表現のような気がする。
「何よ,その中途半端な言い方。あなたっていつもそうよね。今はあなたが私を励ます時間なのよ。しっかりしてよ。ひどいょ水野君。」
ミドリの心の海底にはホットスポットがあって,そこから今まさにマグマが噴出しようとしていた。
ミドリ式活火山が噴火したらどうなるのか,ちょっと怖い物見たさもあるけれど,ここはファミレスだ,周囲に甚大な被害が及ぶかもしれない。ここは何とか赤嶺くんと2人で沈静化させなければいけない。
僕達は注文用のタブレットをソファーの隅に置き,今日は徹底的に聞き役になろう,と二人で目配せした。
〇 〇 〇
ミドリが地理に興味を持ったきっかけは小学校4年生の誕生日だった。
読書好きのミドリのために父親が本を3冊プレゼントしてくれた。
1冊は小説,1冊は大きな地図帳,そしてもう1冊がなぜか「日本国勢図会※3」だった。
なんでそんな本を私にくれたのか,今も謎なの,と彼女は言う。
まったく予備知識もないまま国勢図会をあけた緑はそこに掲載されている統計に衝撃を受けた。
たまたま開けたページが「第35章 保健衛生」の年齢階級別死因のページだった。
15歳から39歳までの死因の第1位が自殺となっていて,総数は年間2万人を超えていた。
その数は交通事故による死者の数倍もあった。
「結構ショックだったなあ。私すぐに電卓で計算したのよ,365で割って。毎日,この国で数十人が自ら命を絶っている,という事実がまず衝撃で,しばらく呆然としちゃった。一番モヤモヤしたのは主要死因別死亡数というデータだった。1位がん35万人,2位心疾患20万人とかわかるわけ。合計115万人とか。老衰とかの欄にもちゃんと数値が書いてあるの,1人単位でね。それを見ているうちに,ああ人間ってそれぞれいろんな事情を抱えながら生きていくけど,結局最終的にはこの15種類くらいに分けられておしまいなんだなあ,って思ったの。1人1人みな違う人生を送っても,そういうことは死に方には反映されないんだなあって。」
「そりゃそうだよ。大雑把に仕分けするのが統計の仕事なんだから。そもそも国勢図会の〝勢″というのはあらまし,の意味だよ。小説ならあらすじってことだよ。」と赤嶺君がいつものように反応する。
赤嶺君,今日はもうちょっとソフトな言い方でお願い,と僕は彼を見た。
「あらすじだけ集めて何が面白いのよ? 私ね,そのページ見てる時に思ったの。統計って津波と同じだなって。」
「津波?」
「そう。東日本大震災の日※4,覚えてる? 私たち小学生だったでしょ。金曜日だったわよね。長野は震度3くらいで済んだんだけど。かなり長く揺れたわよね。私ちょうど学校から帰る途中で,何だか乗り物酔いみたいな気分になって家に帰ってゴロっとしてからテレビをつけたの。お母さんと一緒に最初に見た画面が,真っ黒い津波が仙台平野のビニールハウスを飲み込んでいく映像だった。ぞっとしたわ。怖かった。現実に起こっていることとは思えなかった。」
「その映像は僕も見た気がする。」と赤嶺君が言った。僕も徳島の自宅でその映像を見た記憶がある。
「でね,統計もそれとおなじじゃないかなって。」
「どういうこと?」
「あのビニールハウスの中ではいろんなものが作られているわよね。イチゴ※5だったり,野菜だったり。そこには農家の人たちがいろいろ試行錯誤した創意工夫の成果が凝縮されているわけよね。でも,そんなの知ったこっちゃないぜ,ってまるで大きな刷毛で黒いペンキをス―っと上塗りするように津波はどんどん上から覆いかぶさっていくのよね。ペンキはヒトの痕跡をことごとく破壊するわけじゃない?全部瓦礫にして。」
「いや,それは違うな。津波は破壊に過ぎないけど,統計は整理整頓だよ。津波は何の恩恵ももたらさないけど,統計は役に立つ。」赤嶺君は冷静に言う。
「うん,それは分かるんだけど。私が言いたいのは…。」と彼女は言いかけて,しばらく無言の状態が続き「赤嶺君まで私をいじめるの? ひどいよお。。」と目から大粒の涙が流れ出した。
僕は何も言えずポケットからハンカチを取り出して彼女の前に置いた。
吸水力抜群の今治ブランドのハンカチ※6にミドリの涙は全て吸収されたが,そのハンカチで彼女は音を立てて鼻をかんだ。後で丁寧に洗うことにしよう。
「もちろん統計は役に立ってる,でもそこからこぼれ落ちていくものがあるってことをミドリは言いたいんだよね?」と僕は必死に火口に氷の塊を投げこんだ。
ミドリの耳にそれが入っているのか分からなかった。
彼女は下を向いたまま「何で分かってくれないの。ひどいよ。。。」と言ってテーブルの上に両手を乗せ解読不能な言葉を呟いてからストンと眠ってしまった。
ミドリを後部座席に寝かせて彼女のアパートまで送り届けた。こういう時はクルマはとても便利だ。
赤嶺君は言った。
「以前ネエネエに言われたんだ。」
「ネエネエ?」
「あ,お姉ちゃんていう意味。」
「ああ。沖縄の。」
「うん。あんたの性格じゃ女の子にモテないよ,って。あんたは自分が正しいと思うことを相手にすぐドンとぶつけてしまうとこがあるって。まず,相手の話を良く聞きなさい。女の子はね,まず話を聞いて欲しいの。正しいとか正しくないとかのジャッジはしてほしくないの。あんたは聞く力が全然足りない,って。」
僕は笑って「なるほどね。僕は逆に,話を最後まで聞いたのに何も言わず黙ったままで“何この人つまんない”って思わせちゃうタイプ。」
「ふふ,なるほどね。誰かに言われたの?」
「うん。いまベルギーに住んでいる姉ちゃん。」
「なんだ。ネエネエか。おんなじだ。」と苦笑した。
千葉から小一時間かけてミドリのアパートに辿り着いた。
東京ドームの近くの坂道の途中にある古い日本家屋だった。1階に大家さんが住んでいて,脇の外階段を上ると2階に彼女の部屋があった。
僕が荷物を持ち,赤嶺君がミドリをおんぶして階段をそっと上ろうとすると,大家さんが顔を出し「赤嶺君と水野君?」と言った。
僕らはびっくりして顔を見合わせた。
「でしょ?そうじゃないかと思った。」
まるで深夜の訪問をあらかじめ分かっていたかのような口ぶりだった。
「いつもミドリちゃんから話を聞いてます。うちは,今時ちょっと変わってて家賃を毎月現金でもらうことにしてるんです。その時に私たちと小一時間話しをするというのがこのアパートの入居条件だったんです。私たち夫婦は若い人と話す機会が中々ないので,ダメもとでそういう条件設定にしたんです。彼女は快くそれを受け入れてくれました。それだけでなくこのあたりの昔話にすごく興味を持ってくれて,いつも2~3時間は話し込んで結局夕飯まで食べていっちゃうんですけどね。妻もミドリちゃんは孫のように可愛いといってその日だけは手の込んだ料理を作ってくれるので私も大変喜ばしく思っております。」
「へえ。そうだったんですね。」
「大学の話をする時にお二人の話がいつも出てきます。凄く良い友達が出来て私はラッキーだって言ってますよ。」
「僕らには全然そういう素振りは見せないですけどね。」
「そんなもんですよ。」
彼女を部屋のベッドに寝かせて帰ろうとすると,大家さんは紙袋に入ったキウィ※7をくれた。
「福岡の親戚が毎年送ってくれるんです。たくさんあるので持って行ってくださいね。」
助手席でさっそく食べた。抜群に美味だった。
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※1 国道16号
東京の中心部からほぼ30km外側の郊外地域をぐるりと回る,総延長326.2kmの国道。日本で最も交通量の多い一般国道であり,通過する1都3県(千葉・埼玉・神奈川)の住民の生活を支え,日本経済の大動脈となっている。この国道が,古代から現在までの日本の政治・文化・経済を規定する重要な役割を持つものとして論じたのが『国道16号線』(柳瀬博一著:2020)である。貝塚・古墳・城・江戸時代の河川改修・黒船来航・生糸生産・航空基地・ニュータウン,などの分布と16号線が通る「地理的条件」を結びつけて論じており刺激的な内容になっている。是非ご一読を。
※2 君津・市原の重工業地帯
千葉県の東京湾に面した地域は日本最大級の重化学工業地域である。千葉市と君津市には巨大な製鉄所があり,その間の市原市には戦後造成された広大な埋立地に石油化学コンビナートが立地している。2021年の日本の都市別工業製品出荷額ランキングでは1位豊田市(愛知県)14.9兆円,2位倉敷市(岡山県)4.6兆円に次いで3位が市原市(4.2兆円)である(倉敷市水島地区にも石油化学コンビナートと製鉄所がある)。また,工場の夜景の名所でもあり,羽田空港に着陸する直前に機体の右側方向で確認することができる。
※3 日本国勢図会(ずえ)
政府関係機関の公表資料と各種業界団体,シンクタンクが実施した調査研究資料をもとに,日本の社会・経済情勢を統計表・グラフを使ってわかりやすく解説したデータブック。1927(昭和2)年に矢野恒太(1866~1951/第一生命の創立者)が発刊。初版の序文では「本書は講堂のない青年塾の一部である」と記して矢野恒太の教育への熱い思いを伝えている。日本で初めて国勢調査が実施された1920年当時は統計が十分に整備されておらず青少年が客観的な判断力を養うために統計の普及が求められていた。国土と気候,人口,労働,農業・農作物,各種産業,貿易,財政,金融,国民の生活など幅広いテーマで構成されている。各章には解説文や用語の説明・トピックスを配し,各章の重要なテーマについては世界各国との比較を試みている。巻末には主要長期統計・都道府県別統計も掲載。社会科の教科書・参考書・問題集などで多用されており,毎年中学・高校・大学の入試問題の出典元となっている。教育現場のみならず,ビジネスの場・学び直しとしても活用されている。1985年より姉妹版として『世界国勢図会』も毎年発行されている。「図会」の「会」には集合という意味もあり「図会」とはあることを説明するために図を集合させたものという意味で使われている(ジャパンナリッジHPより抜粋)。
※4 東日本大震災
2011年3月11日14時46分頃に発生したマグニチュード9.0(1900年以降世界で4番目の規模)の巨大地震。震源は宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で深さ約24km。宮城県北部の栗原市で最大震度7が観測された他、宮城県、福島県、茨城県、栃木県などで震度6強を観測。岩手・宮城・福島県を中心とした太平洋沿岸部を巨大津波が襲った。宮城県女川漁港で14.8mの津波痕跡が確認(港湾空港技術研究所)され,遡上高(陸地の斜面を駆け上がった津波の高さ)では,国内観測史上最大となる40.5mが観測された(全国津波合同調査グループによる)。国土地理院によると,青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉の6県62市町村における浸水範囲面積は561㎢(東京23区の面積の約9割)。仙台平野では海岸線から約5km内陸まで浸水していることが確認された。震度5強が観測された首都圏では,交通機関が不通となり大量の帰宅困難者が発生。徒歩で帰宅を試みる人々で歩道は大混雑し,帰宅できない多くの人々が勤務先や駅周辺,都が開設した一時収容施設等で夜を明かした。また,広い範囲で液状化現象が発生。マンホールが持ち上がったり道路が波打ったり,電信柱の沈下,水道電気ガス等のライフラインがストップする被害が生じた。緊急災害対策本部資料によると震災から3ヶ月後の6月20日時点で,死者約15000人,行方不明者約7500人,負傷者約5400人,避難生活者は12万人を超える日本史上最大級の地震災害となった。
※5 イチゴ
都道府県別生産量では宮城県は10位(3.0%)だが東北地方では最も多い〔ちなみに1位栃木県(15.1%)2位福岡県,3位熊本県〕。“仙台いちご”は,震災後の2012年に地域団体商標に登録され宮城県全域で生産されている。大津波で沿岸部の産地は甚大な被害を受け栽培施設の9割以上が壊滅した地域もあったが,新たな「いちご団地」の建設で復興に取り組み,震災前の生産量を取り戻しつつある。代表的な品種として宮城県で育成され平成20年に品種登録された「もういっこ」がある。大きな円錐形で果肉がしっかりとして日持ちが良く,スッキリとした甘さに定評がある。
※6 今治産のハンカチ
愛媛県今治市は国産タオルの約5割を生産している。今治は昔から綿織物が盛んな地域で「伊予綿ネル」と呼ばれる綿織物を製造していた阿部平助が1894年(明治27年)にタオルの製造を始めたのが始まりと言われている。2000年以降安価な外国製タオルの輸入増加で生産量がピーク時の5分の1まで減少したこを受けて,国の「JAPANブランド育成事業」の認定を受けクリエイティブディレクターの佐藤可士和氏を中心に「今治タオルプロジェクト」がスタートした。吸水性や脱毛率や耐性など12の厳しい基準をクリアーした製品だけが「今治タオルブランド」の認証マークが与えられる。
※7 キウィ
日本では圧倒的にニュージーランド産のキウィを見かけることが多いが(輸入量約9.6万tのうち96%がニュージーランド産),日本国内でも果樹栽培のさかんな県において栽培されている。2022年の国内生産量は2.3万tで,生産量最多は愛媛県(21%)次いで福岡県(17%)和歌山県(15%)である。もともと中国原産のキウィは20世紀初頭ニュージーランドに持ち込まれ,栽培当初はチャイニーズグリーズベリィと呼ばれた。1952年に輸出が始まり,その形状がニュージーランドの国鳥キウィに似ていることからキウィフルーツと改名された。1988年輸出の窓口を一本化し,これが後に「ゼスプリインターナショナル」に発展し,現在は世界中の生産者と協力し,ニュージーランドの端境期でも安定してキウィを供給できる体制が整えられている。