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【第9話】世界最大の穴チュキカマタ(中島ノート⑥)

カラマ※1のホテルで朝7時起床。
手配しておいたクルマでチュキカマタ銅山※2に向かう。
ここの鉱山事務所に朝9時までに行くと無料のツアーに参加できるのだ。
 
事務所の前には数人の先客がいた。
日本人も。
札幌から来たワタナベ君。25歳。
司法試験に合格し,4月から研修に入るのでしばらく長期休暇はとれないだろう,と思い立ち南北アメリカ縦断の旅に出たという。
宙ぶらりんなオレとは大違いだ。
ここからチリを南下し,アルゼンチンをまわり最後はウスワイア※3がゴールだという。
同い年の日本人と会うのは久しぶりだ。
人類が掘った最大の穴だしね,見ないわけにはいかないね,と意気投合。
 
皆数㌦ずつ寄付をしてバスに乗り込む。
ヘルメットと安全ベスト着用が義務付けられている。
銅山で働いている人だけが住む人口1万人の町(チュキカマタ)を少し見学し,鉱山の巨大な露天掘りの穴の横に作られた展望所へ。  
バスから降りられるのはここだけのようだ。
ここで自由に写真を撮っていいよ、とガイドが言う。
 
目の前に世界最大の露天掘り鉱山の巨大なすり鉢状の谷が現れる。
きな粉色をした壁面に幾筋もの線が見える。
鉱石を積んだダンプカーが走る道を確保するために階段状に整地されているのだ。
圧巻という言葉が陳腐に聞こえるほどのとてつもない巨大空間だ。
東京ドーム何個分とかいう表現はここでは何の意味も持たない。
ファインダーを覗く。
巨大すぎてフレームに収まりきらない。
ワタナベ君もデジカメを持ったまま口をぽかんと開けている。
砂埃の中に黒い点が動いているのが見える。
草を食む小動物にも見えるが,ここはアタカマ砂漠※4のド真ん中だ。
草木ひとつ生えていない。

動いているのはダンプトラックだ。
ぐんぐんこちらに近づいて来る。
展望台のすぐ脇を通過する。
タイヤだけでビル2階くらいの高さがある。
ありえないほど高い位置にある運転席からサングラスを掛けた髭もじゃのオッサンが右手でサムアップのポーズを取り,笑顔で車体の側面を指さす。
〝KOMATSU”※5 の文字がハッキリ見える。
俺たちが日本人であることを察したようだ。
このダンプカーは世界で数千台が活躍しているが,日本では見ることができない※6
オレも見るのは初めてだ。
 
銅※7は我々の暮らしになくてはならない金属だ。
建物の内外装,給湯や冷暖房用の配管などにも使われるが,とりわけ重要なのが電気機器関係だ。
電導率が高いという特製を生かして,電線ケーブル・PC・オーディオやゲーム機器・エアコン・冷蔵庫など家電製品には不可欠の素材だ。
「暮らしが豊かになる」ということは日常生活に銅が入り込んでくることと同義なのだ。
銅の消費量の推移を調べればその国の経済発展の度合いがおおよそ分かる。
 
俺様のおかげでおまえはこんなに便利な世界で暮らせているんだぜ,と穴の底から声がする。

国の経済を支えるというのはこういうことなのか?
 
チリの輸出品※8の多くは銅・銅鉱石が占める。
特定の一次産品の輸出に頼る状態をモノカルチャー経済※9というが,この国はその状態がもう何十年も続いている。
モノカルチャーを語る時,「特定のものに依存しすぎると,価格の変動などによって国内経済が不安定になりやすい」というお約束の説明が付く。
それは同時に“そんなことではダメだ,経済は安定させなければいけない,産業の多角化※10を進めなければいけない”,という言外の意味が拡散される。

でも、
と俺は思う。

モノカルチャー,いいではないか。
何か一つでも売れるものがあるならそれでいいではないか。
何の取柄もないより何倍もマシじゃないか。
安定? そんなものクソくらえだ。
オレは地球の裏側まで突き抜けてやるぜ,お前はどうだ?
どこに何の穴を掘るんだ? 
穴は俺にそう言っていた。  
 ――――――――――――――――――――――――――――――――

※1 カラマ 
チリ北部,アタカマ砂漠にある都市。人口15.8万人(2017年)。チュキカマタ銅山や観光地サンペドロ・デ・アタカマへの中継地。住民の多くが鉱山関係の仕事に従事している。 
 
※2 チュキカマタ銅山
チリ北部,アンデス山脈の西側の標高2700mに位置する世界最大級の銅鉱山。アメリカ合衆国の資本によって1915年操業開始(現在は国有化)。南西220kmにあるアントファガスタ港(南回帰線が通る)へ鉄道で運ばれ輸出される。近年は産出量が減少し,チリ国内ではラエスコンディーダ,エルテニエンテなどの鉱山の方が産出量は多くなっているが,長年チリの経済を支え続けた功労者ともいえる。なお現在のチュキカマタの町には住民は住んでいない。 
 
※3 ウスワイア
アルゼンチン最南端フエゴ島(隣国チリとの国境が通る)にある世界最南端の都市。人口7万人。南緯約55度に位置し,ケッペンの気候区分ではET(ツンドラ)~Cfc(西岸海洋性気候)となる。  
 
※4 アタカマ砂漠
南米大陸の太平洋側,ペルーからチリ北部にかけて続く海岸砂漠。沖合を流れる寒流(ペルー海流)の影響で海面付近の大気が冷やされ上昇気流が生じないために海岸線に沿って数千㌔にわたって乾燥している。地形的には新期造山帯のアンデス山脈が走っており起伏が大きく,海抜0mの海岸地域からチュキカマタのある山岳地域まで標高差の大きい砂漠である。
 
※5 KOMATSU
株式会社小松製作所(本社:東京都港区)。日本を代表する建設・鉱山機器メーカー。石川県小松市で1921年設立。建設機械の日本でのシェアは1位。南北アメリカ・ヨーロッパ・中東・アフリカ・東南アジア・オセアニア・中国にもグループ企業を展開している。
 
※6 日本では見ることができない
鉱山で稼働している状態を見ることはできないが,JR小松駅(2024年北陸新幹線駅開業)のすぐ目の前にある「こまつの杜」の入口に巨大ダンプトラック930E-2が展示されている。全国の重機ファン必見の場所。
 
※7 銅
地下のマグマの上昇によって地表付近に運ばれた銅や銀は取り残されて銅山や銀山を形成することがある。世界の著名な銅山・銀山は火山活動が活発な新期造山帯に多く分布している。
 
※8 チリの輸出品
2020年は銅鉱石(29.3%)銅(22.6%)で,合わせると輸出総額の半分を超えている。その他には野菜・果物(9.8%)魚介類(7.2%)ワイン(2.5%)などがある(世界国勢図会2023年度版より)。 
 
※9 モノカルチャー経済
一つあるいは少数の特定の農作物だけを栽培する農業経営をモノカルチャー(単一耕作)と呼んでいたが,そこから,特定の一次産品(鉱産資源や農作物)の生産と輸出に依存する経済状況のことをモノカルチャー経済と呼ぶようになった。生産量の減少や価格の下落などが起こると,その国の経済に大きな打撃が生じてしまうので,経済的に不安定になりやすい。アフリカやラテンアメリカの発展途上国に広くみられる。
 
※10 産業の多角化
モノカルチャー経済から脱して経済の安定化を図るために,従来の主力産業とは別の産業を発展させること。国家を一軒の家に例えれば,一本の柱ではなく複数本の柱で支えることを意味する。原油・天然ガスの輸出に依存していた中東諸国でアルミニウム産業に注力する例など,国内外を問わず従来の主力産業とは全く別の業種の生産が増加している事例が増えている。
 
 

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