地理Bな人々(28)ミズノモノローグ① 日本列島の紹介
確か中島先生もマリアと似たようなことを言っていた(ナンパをしろということではなく)。
「いいか,外国に行くと,日本のことをたくさん聞かれる。例えば,もしエスワティニ※1に旅行に行って,周り全員現地人で自分だけポツンと一人日本人,という状況になったら何を質問されると思う?『ねえ日本でどんな所?』『毎日何を食べるの?』『日本の王様※2ってどんな人?』てな具合だ。彼らにとっては君らは日本代表選手なんだ,広報課の職員といってもいい。そういう風に見られるんだ。好むと好まざるとにかかわらず。」
「そうなんですか?」
「当たり前だろ。例えば,この男が(と言って隣で酔いつぶれているゼミの桐原先輩の肩を叩いた),こんにちわ私はガイアナ※3からきました,よろしくお願いします,って突然挨拶したら何か聞きたくならないか? まず,ガイアナってどこだ,って話から始まって,英語お上手ですけど公用語は何ですか,とか,暑い国ですか,とか話しながら情報収集していくんじゃないか?」
「まあ,そうかもしれないですね。」
「それと同じだ。みんなも時々練習してみるといい。『日本のことを知らない聴衆に15分で日本を説明する』練習だ。ただし一つ条件がある。その説明を聞いて“へえ,日本てそんな国なんだ,行ってみたいなあ。”って相手が思ってくれるような話をするっていうことだ。」
その日の夜,部屋で先生の言う通りに架空のスピーチ練習をしてみた。
僕が現地の人々の前で「日本てこんな国」を伝えなければいけない,そんな場面だ(果たして僕の今後の人生にそういう瞬間が訪れるかどうかは甚だ疑問だが)。
僕は教科書的な地理の知識を総動員して話しはじめる。
――えー,ナミビアの皆さんこんにちは。
僕は日本から来ました。
日本という国について皆さんはどのくらい知っていますか?
日本はここナミビアとは全く自然環境が違います。
まず,日本は島国です。6000以上の島※4で構成されています。
そして,国土の3分の2が森林に覆われています。
この割合は世界的にみても高い方※5です。
でも,人口の大部分は森林のない低地に住んでいるので,普段は森林が多いということは実感しないで生きている人が多いです。
そして,日本は雨の多い国でもあります。
東アジア地域だけにみられる“梅雨”※6という時期と,夏の終わりから秋にかけて日本列島を襲う“台風”のシーズンにはものすごい量の雨が一気に降ることがあって,その時には川の水があふれて土砂災害が発生することもあります。
短時間に降雨が集中することに加えて,国土の6割以上が高峻な山地なので川の流れが速く,そのため沢山の土砂が削られて流されてくることも影響しています。
そして世界的に見ても地震や火山の多い国です。世界の活火山の1割近くが日本に集中して※7います。
火山の噴火や大地震で過去に多くの人々が犠牲になりました。――
つまらない。
聴衆からブーイングが起こるかもしれない。
だいいち,こんなに災害の多さばかりを強調したら日本に行きたいなんて誰も思わないだろう。
こんなスピーチをするより,黙って富士山や京都のスライド写真を見せたほうが確実に聴衆の目が輝くはずだ。旅人は自国では経験できないような風景や味や体験を求めてやってくるのが普通だからだ。
別にその国の災害史を学びにくるわけじゃない。
中島先生曰く,日本を紹介する文章を書かせてみると,学生の性格が分かって面白い,ということだ。
「自己紹介で何を話すのか,と同じくらい,日本てどんな国ですかと問われて何を話すか,が重要なんだ。」
でも,僕にとっては,日本の紹介よりも,自己紹介の方がはるかに難しいミッションだ。日本について書かれた資料はたくさんあるけれど,僕について書かれた資料は全くないからだ。
とりあえず。これはいったん保留。
いざ正式にスピーチの日程が決まったら詳しく文言を詰めるとしよう
(そんな日が来れば,の話だが)。
今の僕には他にやるべきミッションがいっぱいだ。
僕は熱いコーヒーを淹れ,PCの前に向かった。
先生の部屋にあった小瓶に入った砂漠の砂を僕は恭子さんからもらいペーパーウエイトとして使っていた。
その小瓶を片手にナミビアについて調べていると,
「8000万年前に形成された世界最古の砂漠」という表記が目にとまった。
8000万年――――。
ふいに大城先生のことを思い出した。
僕が中学生のころ一番好きだった社会科の先生だ。
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※1 エスワティニ王国
アフリカ南部,南アフリカ共和国の東部に位置する内陸国。面積1.7万㎢,人口118万人(広島市と同じくらい)。1968年イギリスより独立。2018年にスワジランドから国名を変更した。エスワティニとは「スワジ人の場所」という意味の現地語である。
※2 王様(王国)
王国とは君主制のうち,国王を元首(→対外的に国を代表する者)とする国家のこと。アジアでは,タイ・カンボジア・マレーシア・ブルネイ・ブータン,中東ではサウジアラビア・バーレーン・オマーン・ヨルダン,アフリカではエスワティニ・モロッコ・レソト,オセアニアではトンガなどがある。ヨーロッパでも,イギリス・オランダ・ベルギー・デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・スペインなど北部に多い。
※3 ガイアナ
南米大陸北部に位置する,面積21.5万㎢,人口77万人(新潟市と同じくらい)の国。ラテンアメリカでは珍しく旧イギリス領で,英語が公用語である。植民地時代に移住したインド系住民が人口の4割を占める。そのため,キリスト教の他ヒンドゥー教を信仰する住民も多い。
※4 6000以上の島
日本の島の数は1987年に海上保安庁から発表された6852島が用いられてきた。しかし,国土交通省国土地理院が2023年に発表したところによると,14125島(うち有人島は421)で一気に2倍以上に増えた。測量や調査の技術の進歩が影響していると言われている。ただし面積が1㎢以上の島は約300である。
※5 世界的にみても高い方
日本の森林率は68.4%で,世界平均の31.1%を大きく上回る。日本より森林率の高い国は数カ国しかなく,フィンランド(73.7%)スウェーデン(68.7%)の北欧2国,アジアでは,ラオス(71.9)ブータン(71.4)
アフリカではガボン(91.3),南北アメリカ大陸ではスリナム(97.4)ガイアナ(93.6)である。ちなみに大半が砂漠のナミビアでは8.1%である。
※6 東アジア地域だけにみられる“梅雨
なぜ東アジア(日本・中国・朝鮮半島・台湾など)だけに梅雨があるか?それはズバリ「ヒマラヤ山脈」のせいである。〈梅雨の発生はざっくり以下のようになる〉 ①春から夏にかけて偏西風帯が北上しヒマラヤ山脈にぶつかる。→②山脈によって空気の塊が北と南に大きく分けられる。→③2つの空気の塊は東アジア地域でぶつかり前線が形成される(前線とは性質の異なる気団がぶつかりあう場所のこと)→④前線では暖かい空気が上昇して雲ができやすくなる。
※7 世界の活火山の1割近くが日本に集中
日本はプレートのせばまる境界に位置し,活火山が多い。気象庁によると日本の活火山の数は111で,世界全体では活火山は約1500と言われており,日本は約7%ということになる。日本より火山が多い国としては,アメリカ合衆国(ハワイ諸島だけでなく,本土・アラスカの太平洋側に多い),ロシア(環太平洋造山帯に位置するカムチャッカ半島に火山が集中),インドネシア(日本と同様に新期造山帯に属する島国)がある。