見出し画像

<ロシア史①>ロシアの起源(主に西ロシア)

 新年明けましておめでとうございます。ドイツです。年を越し、皆様いかがお過ごしでしょうか。正月を満喫されてる方もいれば、勉学に励んでおられる方など十人十色かと思います。殊に僕もまた勉学、特に歴史学(高校範囲外をやりまくるアホ)に励み日々精進しております。これがやってみると想像以上に楽しい…未知を探究することの享楽さたるや、勉学の楽しさを再発見できたと思います。

 そして、これに関する今年度の目標の一つとして、受験勉強と並行して歴史学の勉強も進み、情報を発信していくことを目標に設定してみたいと思います。完全な自己満足なので、まあ勉強や生活の合間にさらっと読んでいただける程度でもいいです。皆様の生活の1ピースになれば幸いです。

 さて、第一回はロシア史、殊にキエフルーシまで

1.ロシア基本情報


(i)ロシアの定義


さて、まずはロシアの基本情報についてまとめていきます。そもそも、この「ロシア」の定義が如何なるものかご存知ですか?そもそも今のロシア連邦は32年前に同地域以上の領土を誇っていたソ連邦が崩壊してできたCISの一国です。また後述しますが、古来よりロシアの定義はその語源とともに変わって来ました。現在の版図でロシアと呼べるのは、ロシア連邦に加えウクライナ,ベラルーシが加わると思います。まあ、理由については後ほど…

(ii)ロシア民族とスラヴ人の起源


 その理由の一環としても、お次は民俗について紹介します。今回は議論を簡略化するために西ロシア地域のウクライナ,ベラルーシ,ウラル以東のロシアを同一視するとしましょう。ロシアは大きく分けてウラル山脈で分けられます。西ではスラヴ人が、東ではサハ人などをはじめとした多くの少数民族がシベリア・極東に点在しています(ロシアが連邦制なのもここから)。ところがこのスラヴ人、どうやら原子民族を辿ると一筋縄ではいかないそうです。

 スラヴ人は原始、ルーマニア地域のカルパティア山脈をはじめとした森林地域を本拠地に置いていました。それが8世紀以降に各地域に分かれていきました。西スラヴ人はドイツ東やポーランド領に在住し、南スラヴ人はバルカン半島のブルガリア,セルビアなどの国家の先祖となりました。そして最後、東進した東スラヴ人が現ロシアの地域の民族の起源であることは明らかです。

 ところがどっこい、この話には続きがあります。10世紀になるとスカンディナヴィア半島(北欧)のノルマン人の動きが活発化し、その一派であるリューリクを長とする軍団がバルト海からロシア地域に進出を始めました。実はこのノルマン人こそがルーシ,そしてロシアの語源になのです。それが時を経るごとにマイノリティの東スラヴ人に同化していき、現代のスラヴ人として構成されました。

(iii)ロシア地理


 では最後に、ロシアの地理情報をお話しします。シベリアはどう開設してもシベリアなので省略は割愛。西ロシアについて解説します。まず民族は先述の通りスラヴ人がメインで構成されており、その気候は黒海沿岸を除いてDf。黒海のみBsとなっており、いずれにしよ日本に比べるとかなり厳しい気候だと予想されます。 


 その一方土地は安定陸塊で平地と広大な河川が広がっており、都市を形成するのには十分好条件です。またウクライナ地域は屈指の穀倉地帯であるため農業にも向いています。これが昨今のウクライナ情勢のせいでカスになりかわりました。

 …まあ、平坦な地形であるが故に敵戦車が突撃するにふさわしい地帯であり、逆に冬の厳しい気候でそんな侵攻を何度も防いできたんですがね。

最後に

はい、今回はロシアの外観をお話ししたところで終わりたいと思います。本当はもう少し書きたかったけど時間の関係で次回に持ち越しかと…次回はキエフ成立からお話できたらなぁと思います。それでは



いいなと思ったら応援しよう!