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自分の力の限界
子供の頃から負けず嫌いだった。
負けず嫌いと言っても、ケンカに負けたくないとか、競争で良い順位が取りたいというわけではない。
そりゃ、良い順位に越したことはないけど。
(あー、無理だなぁ)
って思う事ってありますよね。
それが同僚などとの人間関係なのか、仕事量なのか、
それとも納期なのか。
それはその時にならないとハッキリ言えないけど。
例えば、中学の時に転校をし、なかなか馴染む事ができず、自分からコミュニケーションを取る事を諦めた。
そうすると、みんなのおもちゃとして突然殴られたり、物が無くなったり、陰口を聞こえるように言われたり。
そういう事があった。
中学の頃には胃痛の薬が手放せなくなっていた。
そういう環境だから胃も痛くなろう。
そういう時には選択肢はいくつかある。
・登校拒否をする
・保健室にいく
・その環境から離れる
・逆に強気に出る
などなど。結果を恐れなければいくらでも選択しを生み出せるはずだと信じる。
だけど、自分が選択してしまうのは、その場で出来るだけ平常心でいるように、自分を取り繕って耐える。
そうすると、胃が痛くなってくるし、その環境から離れたくなる。
だけど、それを許さない。
そんな弱い自分を見せたら逆に惨めな思いをするんじゃないか。そう思ってしまう。
そんな気持ちがあって、逃げる、投げ出す。
根本的に変化を起こす、そういう事はできなかった。
社会に出て会社で働くようになった。
理不尽な事を言う上司、その時々でいう事が変わる先輩。
納期までにどうやっても終わらないであろう仕事量。
そういう理不尽を言われたり、頼まれたりしても特に断る事はなかった。むしろやってやるという気持ちになった。
でも、相変わらず胃痛は起こるし、気持ちは焦っている。
おそらく、あまり親から褒められなかった子供時代、95点のテストを父に見せても、一番じゃなきゃ意味がないんだ。
95点は一番なのか?そういう感じで褒められなかった。
比較的絵がうまかったので、コンクールに入賞したり、銀賞を取る事はそれなりにあったが、一位でないなら意味がないと言われた。
俳句で小林一茶賞を受賞した事がある。その時も小林一茶賞はランクは最高だったが、確か何人か受賞する賞だったため、褒められなかった。
町の広報誌におれの作品が一面に掲載された事があったが、母親は喜んだが父は出せば誰でも掲載されると言われた。
力を抜いてその賞だったわけではなく、自分なりに真剣に打ち込んだ結果の賞だったので、悲しい気持ちになった。
そういう幼少期から、成長するに連れ、自分を受け入れる事も途中で逃げ出す事もできなくなっていた。
よく印象に残るのが、例えばその企業に合わなかった場合。
普通は転職活動する人が多いのではないだろうか。
冷めているわけではない。自分はもう限界、やめたいと思った後、その気持ちを抱いたまま一年半ちょっと普通に働いてしまう。ここはもう無理だよ。って思いながら。