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高校3年目前の、春休み前後の後悔。

高校1年2年と、担任の先生は同じ先生だった。
仮にA先生としようと思う。

本題の前に、高校の卒業までの仕組みを説明したいと思う。
俺が通っていた高校は、必修科目とあとは好きな教科の単位を合わせて一定の単位を取ることができたら、学年が上がり、最終的に卒業。という高校だった。

なので、クラスはもちろんあったが、授業は人によって選択科目によってバラバラなので、教室もバラバラ、席もいつも違う席で、教室にクラスのみんなが集まるのは朝のホームルームと帰りだけだった。

そんな学校だったので特定の人と常に同じ行動をするわけではなかったので友達もなかなかできなかった。
ただ、あまり気を使わなくていいところは気が楽だったと思うし、人付き合いがそんなに得意な方ではなかったのでそういうシステムの方があっていたかもしれない。

そんな学校だったと説明が終わったところで、担任のA先生の話しに戻ろうと思う。
A先生は内部障害を抱えていて、その影響で早く移動したり、あまり重いものを持つことができなかった。

なので、気がつけば荷物を代わりに持ったり、他愛もない話しをしたりA先生との関係は決して悪くなかった。

そんな様子で約2年が経過した。

うる覚えだけれど、確かカリキュラムをどうするか春休み前には来年度の事をを決めて、必修科目の単位がちゃんと取れるようになっているか、合計単位はどうか、卒業する上で単位に過不足はないかを確認し、最後に担任が最終チェックする仕組みだったと思う。

3年にどういう科目を取るか、学校と自宅とで一生懸命考えた。そして提出した。
しかし、自分で選択した科目では必須科目が被っているものがあり、全科目単位を取得しても卒業するのには足りなくて、卒業できないというのだ。完全に見落としていた。

そして、最終チェックの担任も見落としてしまい、そのまま選択科目が決定してしまった。しばらく経ってから発覚したので既に修正できない状態になっていた。

「卒業できない??」

怒りを担任にぶつけた。頭が真っ白になった。
怒りが収まらず、全てを先生のせいにした。
そして、最後に言ってはいけない言葉を言った。

「死ねばいいのに!」

そして、言い合いになり、和解することも謝罪することもなく、春休みになった。
春休みが終わり、3年になって初めての登校日、いつもいた先生の姿はなかった。

「顔も見たくないから清々する。」

そんな気持ちでいた。そして3年生になり担任が変わった。
ホームルームで新たな担任が言った。

「春休み中にA先生の調子が悪くなり、そのまま亡くなってしまい、春休み中だったため、学校からは教師のみ葬儀に参列した。」と。

A先生が死んだ?いつも通りだったじゃないか。それにまだ言いたいことはあるのに、死ぬなんて。色々考えたと思う。
上の空だった俺に新しい担任が言った。卒業できるようにちゃんと引き継いであること、A先生がカリキュラムの訂正もしてくれていたこと。色々掛け合ってくれたこと。

その日授業を受けたか記憶にないけど、帰りの電車の中で涙が止まらかったのは覚えてる。
そして、人に死ねばいいなんてことはもう絶対に言わないと心に決めたこと。

3年の時は学校の統廃合の関係で、今までとは違う高校で1年を過ごした。なんとなく、まだ前の学校にA先生がいるんじゃないかという気持ちだった。

謝ることも和解することもできなかった。
自分のために色々と手を尽くしてくれていたことも知らなかった。どういう言葉でまとめたらいいかわからないけど、俺が通っていた学校の隣には動物園があり、よく授業中に像の鳴き声が聞こえてきた。

その度に窓の外を除いてはまた授業にもどる。
あっという間の3年間だった。無事卒業もできた。
そして今でも像の鳴き声を思い出す。

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