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中学2年のプチ冒険とプラナリア。

出典:https://www.felissimo.co.jp/youmore/blog/main01/collaboration/ymblg_721069/
実物の写真は抵抗ある方もいらっしゃると思うので実物画像はやめました。

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1.友人Eへの頼み

何かのテレビで見たのだろうか。
どこで仕入れた知識かは覚えてはいない。

ただ、私はある生物をどうしても見たい。いや、必ず見る。
そんな事を考えてながら授業を受けていた。
俺は意外とすぐ見つかるんじゃないか、そう考えていた。

そして仲良くしていた友人Eに頼んだ。

「学校終わったら、プラナリアを探しに行きたいんだけど、着いてきてくれないか?」


「行っても良いけど、そもそもプラナリアってなにさ??」

2.プラナリアとは

プラナリアには超能力がある。
もっと具体的に言うと、プラナリアは不死身なのである。

がゆらいプラナリアは「不死身の生き物」と呼ばれているのだ。

もっと具体的にいうと、例えば1匹のプラナリアがいる。
そのプラナリアを3等分にするとしよう。
①バラバラ
②成長
③復活

そうすると、もちろんプラナリアの体はそれぞれ別々のパーツごとにバラバラになってしまう。普通であれば即死だ。

だがしかし、プラナリアはバラバラになった3つのパーツがそれぞれ独立した形で復活する。体の足りない部分が生えてくるのである。

そう。時間が経てば、立派な元の姿のプラナリアが3匹そこにはいる。同じ遺伝子なので、クローンだ。

過去には1匹を200のパーツに分けたところ、100%の個体ではないが復活した個体が多かったようである。

ちなみに死ぬ時は、形状崩壊して一気に溶けた様になるらしい。そんな不思議生物、プラナリアをどうしても探したくなったのだ。

3.山道の先のT池と小川


俺が住んでいた町は人口数万人のものすごい田舎である。
そんな町の北東に位置する場所に、T池という池があり、小さな小川が池に流れ込んでいた。

プラナリアを探すならここしかないと思った。
しかし不安もあった。なぜなら、そこは山道を登っていくと山の上の窪地に池がある。そして小川が流れ込んでいる。
そう、その先は行き止まりなのである。

行き止まりという事は、人通りはないし、わざわざ町外れのそんな寂しいところに来る人もいない。
そして、池の周りには満遍なく木が生えている。かなり成長した木だ。

うわさがあった。T池の脇の木で女の人が首を括って無くなったことがあると。ただ、今みたいにスマホもない。子供の間の噂かも知れないし、どこかの親がもしかしたら子供を池に近づけたくなくてついた嘘が広がったのかも。

でも確かめる術をあいにく持ち合わせてはいない。段々山道を進んでいくと木が生い茂り、薄暗くなってくる。自転車2台が、鈍い音をさせながら坂を登る。息を切らしながらEに聞く。「このままT池でいいよね?」「問題ないよ。」
そんな確認作業をしながら向かう。

4.T池の先の小川の卵工場の噂

やっとついた。そして池の方は急に深くなっているので小川の方に行こうという事にした。図書室で事前に調べたところ、プラナリアはどこの川にでも池でも日本中にいそうだった。
とりあえず川にしよう。川の入り口に無造作に自転車を倒した。

そのまま川の中を探すがどこにもそれらしい生き物はいない。
イメージ的には平たいヒルの様な生物を一生懸命探した。
どこにもいない。それこそ、小魚1匹いないんじゃない?

段々と疲れてきた。そして気がついたら川の上流まできていた。今思うとだからなんだって話しだけど、T池の川の上には今は誰もいない卵工場があるとよく噂されていた。

今思うと卵工場って何だよ。養鶏場?って思うけど、山の中の人が手入れをしていない小さな川だから、両脇から木が生い茂っていて気がつけばかなり薄暗く感じた。

「この先って卵工場かな?」
「知らないよ。そんなの。」

そんな事を言いながらプラナリアを探した。
ふっと頭を上げると、何やら大きな建物らしき人工物が見えた。

(卵工場??)

そう思った瞬間、それまで我慢していた恐怖がせきを切った様にものすごい勢いで2人を飲み込んだ。パニック状態だった。

「うわぁーやべー。戻ろう!!!!」

訳がわからない状態で2人とも恐怖という大波に飲み込まれ、水が流れている中を思いっきり走って自転車を目指した。
よくパニックになるのが制御不能になって危険で怖いというが、全く持ってどこを走ってるのかわからないが、自転車の場所についた。

後は下り坂だからすぐ帰ることができるはず!

そう思いながら山を駆け降りた。おそらくそんなに時間がかからず、街まで戻れたんじゃないか。記憶ではそう思う。

5.そして

そんな事がもう25年ほど前の話しになるけど、印象深く記憶に残っている。全部誰かの嘘かも知れない。確証はないから。
でも、薄暗い山と、すり鉢状の大きな池。
恐怖を掻き立てるには十分だった。そんな事があり、それからもずっとプラナリアを見たみたい!許されるならプラナリアを刻んでみたい。

そんな事をたまに思い出すけど、プラナリアを探す場所も今の周りの環境では特に思い浮かばない。

あれから数年に一回多ければ一年に数回。プラナリアという生き物がいたことを思い出しては、プラナリアのことを恋焦がれる。そして思い出す。あの日の事を。1人じゃ無くくだらない思いつきに付き合ってくれる友達がいた事を。

きっと今後自分の目で、プラナリアという超能力を持った生き物を実際見る事はないんだろうな。そんな気がする。

でも、プラナリアに出会わなければ恐怖を共有できる友達がいて、あの日あんなに恐ろしい目にあった思い出。
山道のを半分は降ったあたりで恐怖心は薄れ、競うように坂道を降った。
その時の気持ちは、恐怖心はもうなく、実は友達よりまえを行き、後ろを走る友達を怖がらせてやろうっていうイタズラ心で一生懸命Eより前へ前へと頑張った事もわすれてしまう気がする。

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