ドイツ・オスナブリュック─平和の街
1648年─この年、この街から、世界史の新しい時代が始まりました。ヨーロッパ中を荒廃させた長い長い三十年戦争がここで終結し、近代主権国家体制が本格化し始めました。
ご存じの通り、ドイツのオスナブリュック(Osnabrück)は、ウェストファリア平和条約(ドイツ語:ヴェストファーレン条約)の締結の地です。この条約は、そこまで戦争による荒廃の目立たなかった2都市; 対フランス条約締結をミュンスターで、対スウェーデン条約締結をオスナブリュックで行いました。神聖ローマ帝国、スウェーデン王国を始めとするヨーロッパ中の主権国家を巻き込んで行われたこの会議は、世界初の国際会議と言われています。ここで対話による和平が行われたこと、戦争の近代国際法の出発点となったことに重要な意義があります。そのため、オスナブリュック・ミュンスターは今でも平和の街として知られています。
Die Friedensstadt (平和の街)
Altstadt(旧市街)は、残念ながら第二次世界大戦で焼け落ちてしまいましたが、その後再建され、重要な歴史を伝えるべくオスナブリュックの昔の姿を留めています。市庁舎の中には条約締結に使われた小さな部屋も再現されており、無料で中を見ることができます。他にも会議の参加者の肖像画や、座席表を見ることができます。
2023年は条約締結から375年の記念年で、オスナブリュックではたくさんの平和に関するイベントが開かれました。
私もこの平和の街に住み平和について勉強していることを誇りに思っているので、この街の魅力を写真とともに紹介します。
University of Osnabrück
オスナブリュックは学生都市でもあり、実に人口の10%が学生とも言われます。落ち着いていて、開かれた雰囲気がお気に入りです。広い芝生が学生たちの憩いの場となっています。
大学は日本のように敷地が決まっているわけではなく、ドイツではメインキャンパスに加えて街中に大学の建物が点在しています。街全体がアカデミックな雰囲気を纏っているところも、この街の良いところです。日替わりのランチを低価格で提供するMensa(学食)も美味しいです。
Westerbergキャンパスでは、学生たちがモダンで綺麗な建物で勉強や研究をしています。いつでも空いていて誰でも座れる公共スペースが至るところにあるところも、このキャンパスの良いところです。図書館は旧市街のものよりも…大きくて綺麗です。
オスナブリュックの位置するニーダーザクセン州は比較的リベラルで開かれた州だと言えます。市長のカタリーナ氏をはじめ、管理職に多様性があることも理由の1つです。オスナブリュック大学にも世界中から多くのInternational Studentが(交換/正規)留学に来ており、多様性が受け入れられていることを実感できて安心します。
(SPDのショルツ首相が生まれたのもオスナブリュック)
昨今のドイツでは極右の台頭が心配されていますが、2024年6月に行われた最近のEU選挙において、ニーダーザクセン州ではCDU(キリスト教民主同盟)約30%、SPD(社会民主党)が約20%*の票を集め、極右勢力を抑えました。
Museums
アウシュビッツ強制収容所の犠牲者であるオスナブリュック生まれのユダヤ教徒の画家、フェリックス・ヌスバウムのミュージアムがあります。ホロコーストの痛ましさを独特の絵画表現で伝えています。
同時にオスナブリュックは、「西部戦線異状なし」の作者エーリヒ・マリアの生誕地でもあります。彼は1898年にこの地に生まれ、オスナブリュックで在学中に第一次世界大戦へと動員されました。彼のミュージアムも、市庁舎のすぐ近くにあります。
新しいミュージアム「The Villa_」はナチ党政権下の本部だった場所に開かれ、若者の学びと議論の場所として考える機会を提供しています。
小さい街でちょっと年中天気が悪いですが、誰がなんと言おうと、オスナブリュックがドイツで一番良い都市です。
アムステルダムまで電車で3時間と、ドイツとオランダの玄関口のような都市でもあります。ドイツ国内の近隣の都市・ブレーメン(1.5時間)やミュンスター(30分)から日帰り観光に来るだけでも、オススメします!ミュンスターの旧市庁舎もウェストファリア条約の歴史を遺しているので、そちらも必見です。
*参考:
オスナブリュックのローカルニュース: