Brasileiro(森脇豊一郎)

大阪体育大学、大阪体育大学大学院、JICA日系社会青年ボランティア(体育教師・ブラジル)2年間、サンフレッチェ広島17年間、AC長野パルセイロ 事業部長 スポーツを手段に地域活性化に貢献できる人間を志ています。※発言は個人の見解です。

Brasileiro(森脇豊一郎)

大阪体育大学、大阪体育大学大学院、JICA日系社会青年ボランティア(体育教師・ブラジル)2年間、サンフレッチェ広島17年間、AC長野パルセイロ 事業部長 スポーツを手段に地域活性化に貢献できる人間を志ています。※発言は個人の見解です。

最近の記事

フットボールの理解と本質

ご縁から広島県人・元プロフェッショナルレフェリーの家本政明さんのお話をがっつり聴かせていただく貴重な機会を頂戴した。 沢山のことを質問させていただいて、これまでの経験から自分が学んだことを意見として述べさせていただいた。 おかげさまで仕事上、ピッチ脇から何度も家本さんのレフェリングを観る機会に恵まれてきた。常に選手と笑顔でコミュニケーションを取り、試合終了後は、両チームの監督スタッフ、選手らが「納得した表情」で引き上げてくる光景を何度も観てきた。 プロサッカーの世界の勝敗

    • ビッグマッチから得られる経験値&学び

      以下、個人の感想/個人の意見です クラブスタッフの経験値の積み上げ、急成長には、ポジティブな経験が欠かせません。 すなわち、優勝や昇格といった大一番の試合運営を経験すること。 その先は、ACLなど国際試合の試合運営を経験することです。 たまたまですが、5/27(土)レディースチームの浦和戦。浦和さんが勝利すればWEリーグ優勝が決まる条件でした。 もちろん、ホームの長野が意地を見せて勝利するために全力を尽くすのは言うまでもありません。 試合結果は、首位浦和さん相手に2-1の

      • 森保監督「団結」秘話

        2011年12月、森保監督の就任記者会見が広島市内のホテルで開催された。 森保新監督が最初の記者会見でどのような想い、メッセージを発信されるのか。司会をしながらメモを取った。 チーム作りを進めるうえで、チームが、組織が1つの方向を向くために、コンセプトとなるキーワードは、重要なポイントだ。 出てきたキーワードは2つ。 『挑戦』と『団結』だった。 数日後、事務所に監督が来られたときに聞いた。 「来シーズンのチームスローガンを、『挑戦』か『団結』にするか、決めかねているんです

        • カメレオンサッカーの本質とは

          WEリーグのプレシーズンマッチ4試合が終了した。AC長野パルセイロ・レディースは2勝2敗。プレシーズンマッチ=プレシーズンであるからこそ、試合結果に一喜一憂することなく、自分たちの現在地(現在の実力)がどこにあるのか、本質を見極めることが最も重要だと思う。 プレシーズンとは、そういう時間。チーム作りの時間だ。 はじめに、プロクラブでの20年間での様々な経験を基に、あくまで広報の立場から個人的に感じている部分、個人的な視点である旨を記します。かつ、レディースのサッカーに特化

          オススメ本「行動の品質」

          自分が40代後半になったからか、中間管理職であるからか、これまで自分が経験してきたこと、学ばせていただいたことを、若手に伝える機会が年々増えてきた。 逆にそういった機会、環境をいただいていることに感謝している。若手に言葉で伝えながら、実は自分にそのまま言い聞かせている感覚だ。若手に言ったからには、まずは自分が率先して範を示さないといけないと思う。 行動の質を上げるためには、根底には学ばせていただくという謙虚な姿勢、物事の本質を見極めることが重要だ。オススメ本「行動の品質」

          オススメ本「行動の品質」

          最後のなでしこリーグ・ホーム最終戦を終えての個人的な想い

          AC長野パルセイロ・レディースの、最後のなでしこリーグ・ホーム最終戦でした。コロナ禍の中、1644名の沢山の方が長野Uスタジアムにご来場を頂き、熱いご声援をいただき心より感謝です。まだアウェイ戦2試合を残しており、チーム一丸・クラブ一丸となって、勝利のために全力を尽くすのは言うまでもありませんが、事業の人間にとっては、ホーム最終戦というのがひとつの節目でもあり、感じたことを書き記しておきたいと思いました。 今シーズンのここまでの流れが、昨日のことのように思い出されます。本田

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          日本女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)参入決定について個人的な想い

          10月15日(木)来年2021年秋に開幕予定の日本初の女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)の参入可否の発表があった。 おかげさまで我がAC長野パルセイロ・レディースは、初年度からの参入が決定、心から安堵しました。ご支援ご声援いただいてます、すべての皆様に心より感謝申し上げる次第です。 クラブの新たな歴史のいちページを、クラブ関係者全員、非常に喜んでいると思いますが、一方で誰も浮かれていないものと思います。 来年の準備は粛々と進めつつ、まずはトップチーム・レディースチーム

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          日本で長く活躍できるブラジル人選手の共通項から本質を考える

          サンパイオ、リカルド、マルセロ・ラモス、ウェズレイ、ドウグラスetc...数多くのブラジル人Jリーガーを間近で見たりサポートしてきた経験から、日本で長く活躍できるブラジル人選手には「まじめである」という共通項がある。もちろん、チームで活躍できるか活躍できないかには、その時の監督やチーム戦術に合わなかったりなどの外的要因も影響するので、一概には言えないが、ただ単にサッカーのプレーが上手ければ活躍できるか、といったらそんなものではない。 「まじめな性格である」「日本という国、日

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          勝者のメンタリティー

          仕事柄、おかげさまで、これまで多くの素晴らしいプロサッカー選手たちと一緒に仕事をさせていただく機会に恵まれた。個人名を挙げればきりがないが、今回は世界を代表する選手、人格者、元ブラジル代表のセザール・サンパイオから学んだエピソードを書いてみたい。 私がブラジルから帰国後、ご縁をいただき、サンフレッチェ広島に入社させていただいたのが2002年。残念ながら初めてのJ2降格となり、2003シーズンはJ2での戦い。1年でのJ1復帰が大命題のシーズンを迎えた。新チーム編成の中で、クラ

          勝者のメンタリティー

          慈愛と平和とスポーツと

          今回も後進の体育系の学生に向けて、参考になるかならないかは不明だが、「スポーツについて深く考えてみる」1つのきっかけとして、私の経験談を書いてみる。 昨年、非常に短い期間だったが、長崎で仕事をさせていただく機会に恵まれた。その長崎には、体育大学サッカー部の後輩がいる。その彼が「ちょっと時間ありますか?ぜひ見てもらいたい場所があるんです」といって、最初に案内してくれた場所が「日本二十六聖人殉教地(西坂公園)」だった。 JR長崎駅からも近い丘の上に史跡「日本二十六聖人殉教地」

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          温故知新:川中島古戦場とスタジアム

          この記事(note)は、誠に勝手ながら、後進の体育系の学生に読んでもらって、「スポーツの本質を考える」という意味で、何か伝わるものがあればいいかなと思って書いてみる。 温故知新(おんこちしん):古いものをたずね求め新しい事柄を知るという作業は、物事の本質を理解するために必要だと思う。別の言い方・事例を言うと、国際協力の現場でもそうなのだが、外国に行って支援をする場合に、まずはその国の歴史、気候、風土、文化、食文化、風習、価値観、宗教、社会構造など、「その国・その土地・そこに

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          オリンピックレガシー

          昨年ご縁を頂戴し、長野に来させていただいて、プライベートな時間で学びたかった、感じたかったのが、1998年長野冬季オリンピックの記憶と感動だ。いわゆる「オリンピックレガシー」を感じたかった。 感動の記憶を挙げればきりがないが、清水選手がスピードスケート男子500mで金メダル。モーグル女子で里谷選手が金メダル。スキージャンプで船木選手が金メダル。とりわけ脳裏に焼き付いているのが「ふなきぃ~」と祈る原田選手らが率いたスキージャンプ男子団体の金メダルだ。その感動の映像は、白馬村ス

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          ブラジル日系社会から学んだこと

          一昨日、自分にとって残念な寂しい知らせが入ってきた。お世話になったブラジルの親戚がお亡くなりになられた。順番とは言え、寂しく思う。親戚の顔を思い出しながら、感謝の念とともに書いてみる。 もう何年前になるだろうか、祖母が100歳で亡くなった。祖母は祖父と結婚することで日本に一人残ったが、家族は全員ブラジルに移住した。現在日本人のブラジルへの移住の歴史は一世紀を超えている。祖母が亡くなる前の94歳の時、94年間手紙と電話でのやりとりだけだった肉親が初めて訪ねてくれて、念願の感動

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          1993年5月15日Jリーグ開幕を振り返って

          1993年5月15日に日本に初めてのプロサッカーリーグが開幕。当時大学3年生だった私が、将来Jクラブスタッフを志した、その出発点を振り返る。 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、所属クラブのJ3リーグ開幕、なでしこリーグ2部は、未だ開幕を迎えることができていない。コロナ終息後に「サッカー(スポーツ)を通じて、地域・社会へ元気の源を発信したい」願いは関係者共通の想いだと思う。 今日5月15日。Jリーグが開幕した日をきっかけに、続くかどうかは非常に不透明、かなりの不定期になる

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