第6話 「いい(NO)」
母が病気になりました。
病名は急性骨髄性白血病です。
年が明けました。
母は、病室で新年を迎えました。
2018年の始まりです。
母の入院している病院の面会時間は、平日15時から20時。
休日は、13時から20時。
私が毎日会いに行くとは言え、平日は仕事が終わった後の1時間30分程。
休日も長く居ると気を遣うのかすぐに、「帰っていいよ」と母は言いました。
孤独に年を越すということが、77歳の母にとってどんなに辛く寂しいことか私には想像がつきません。元旦のお昼にお見舞いに行くと母は、いつものように皮肉交じりに病院の食事について報告をしてきました。
「今日は、新年だから、こ~んな小さなおせちが出たのよ。」
私は、母にスーパーでおせち売ってるから買ってこようか?と提案しました。母は、短く「いい」とだけ言いました。
母は弱っていました。
地下にアイスを買いに行こうと誘っても「いい」と断る日が増えました。
入院から順調に下がってきた悪い白血球の数値も、年末年始で治療がストップしたことにより、またどんどんと増えていきました。
あっという間に入院前の数値に逆戻りでした。
ただ単に無菌室に閉じ込められた分、ストレスが溜まり、歩かないので筋力が著しく衰えた分、この2か月が損だったように思えて仕方ありませんでした。
お気に入りだったナンプレも進まなくなり、大好きだったテレビドラマ「陸王」も終わってしまい、私は、母と会話をするときに勇気づけたり、共通の話題を探すのが困難でとても苦しみました。
違う病院へ移ることもすすめましたが、家のそばがいいと母はかたくなに拒絶しました。
体調が良くて会話が続く日もあれば、喋るのも辛そうな日もありました。そして、ここから数週間、特に治療という治療もないまま月日は流れました。
容態は数字上は横ばいという感じでしたが、母の気力はそがれていったように思えました。
2度目の抗がん剤治療を行うことを決断をし、母は歯を食いしばって病魔と闘っていました。
10階にある病室は常に温かく、母は私の服装でしか外の気候を知ることはできません。私が毎日着ていく黒のダウンジャケットを見て、「寒いのに毎日来なくていいよ」母は、毎回そう言いました。
その度に私は、春になって暖かくなったら母の大好きな桜を観に行こうと言うのが精一杯でした。
(続く)
イラストは元吉茉莉花さんです。twitter(@marika_3o210 )
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