20年間で人口14%増!町内外を次々に巻き込んだ「写真」の魔力とは?
こんにちは!
ブランディングテクノロジーの公式noteに寄稿をさせていただいております、山崎です!
今回も、日本全国にあるローカルな取り組みの成功事例を深堀りしてみたいと思います。
本記事で取り上げさせていただくのは、北海道のほぼ中央に位置する東川町。独自のブランディング戦略に注目が集まり、2018年に開催された第10回日本マーケティング大賞では「地域賞」を受賞しています。
人口増加、移住者増加、観光客増加を実現した東川町の取り組みは、一体どのようなものだったのでしょうか。
その裏側を探ると、誰もが身近に感じている「写真」を切り口に町内外の交流を生み出す仕掛けが見えてきました。
東川町とは?
“東川町は、北海道のほぼ中央に位置し、東部は山岳地帯で、大規模な森林地域を形成しています。また、日本最大の自然公園「大雪山国立公園」の区域の一部になっています。
北海道の峰といわれる大雪山連峰の最高峰旭岳(2,291m)は、東川町域に所在。豊富な森林資源と優れた自然の景観は、観光資源として高く評価されています。大雪山国立公園(面積2,267.64k㎡)は昭和9年(1934)12月4日に指定を受けており、そのうち東川町域は約102.55k㎡となっています。”
(東川町HPより)
人口減少傾向が一転…。20年間で人口14%増!
人口8000人の町に60を超える個性的なお店が集まり、それぞれのライフスタイルが息づく町となった東川町。以前は、人口減少に悩む町の1つでした。1950年に記録された人口10754人減少を続け、1993年頃には7000人を下回る人口に…。
それから約20年を経て、東川町の人口は8000人超(14%増)。
(出展:北海道東川町に見る小規模都市の地方創生 - 富山国際大学)
観光客数も数年間増加傾向が続いています。
(出展:北海道東川町に見る小規模都市の地方創生 - 富山国際大学)
産業の柱・観光業衰退の中に見た新たな兆し
このV字変化を実現した要因として第10回日本マーケティング大賞でも注目を浴びたのが、写真の町としてのブランディング。
町の主要産業だった観光産業が衰退していた当時、札幌にあった企画会社から提案を受け、東川町は「写真の町」としての町を創り上げてきました。かつて役場の職員として「写真の町・東川町」のまちづくりを牽引していた山森敏晴氏は、『東川スタイル 人口8000人のまちが共創する未来の価値基準 | 玉村雅敏・小島敏明』の中で当時の背景をこう語っています。
「東川の経済は、農業に続き観光業が2つ目の柱です。しかし、当時は観光客がどんどん減っていて、対策しなければならなかった。映画やテレビに出る、旭岳温泉にロックバンドを呼ぶという案もありましたが、どれも一過性で観光客はゴミだけ置いて去ってしまう。その点、カメラなら誰でも持っているし、風光明媚な写真を撮るためにリピートしてくれるのではないかということから『写真の町』が浮上したと思います。」
取り組みがスタートすると、「写真の町宣言」を皮切りに写真の町にふさわしいまちづくりを行うための「写真の町に関する条例」の制定や「写真甲子園」の開催が行われるように。
全国約500校から高校生が集まり、青春を過ごす夏
1994年から開催されている全国高等学校写真選手権大会「写真甲子園」は、高校生が町を訪れ、暮らしや風景、人を撮った写真で競い合う場。2019年に開催された第26回大会には約500校が参加し、全国11ブロックから作品審査・プレゼンテーション審査を通過した優秀校18校が東川町に集まりました。
第26回大会の優勝作品は、こちら。
(画像:写真甲子園 HPより)
大会参加者は、7日間の滞在期間のうちに民家に滞在する期間もあり、地元住民との交流も深めています。2015年には、地元のお祭りを訪れた参加者数が38000人を超え、この滞在経験を経て成人後に移住した人もいるのだといいます。
一方で、地元住民には徐々に「被写体」「見られている」との意識が芽生え、自らの暮らしや振る舞い、町の姿を見つめ直すきっかけにもなっている。
20年以上、写真の町として取り組みを続けてきたことで町内外にイメージが浸透してきた東川町ですが、それまでの道のりはそう容易ではなかった…。
3つの“ない”はない。東川の「脱・公務員発想」
文化的活動は理解されにくく、すぐ数字に現れにくい。そのことから、住民からも「費用が多額すぎるのでは?」「お金儲けのためにやっているだけでは?」との声が上がったといいます。一方で、写真に精通する人が役場内にいたわけでもなかった…。
そのようななかでも役場職員は道内外の写真家、企業関係者、専門家らを巻き込んでいき、取り組みに必要なリソースや知識を集めていきました。
この職員の行動力の根源にあったのは、東川町役場独自の「脱・公務員発想」。
こうした考え方を胸に営業活動に取り組んだ当時の職員たちの活躍があり、写真の町は第一歩を踏み出しました。そのフロンティア精神は今の役場にも息づいており、あらゆる制度や姿勢に落とし込まれています。
・国の助成金頼りではなく、どうしたら資金調達できるかを考える。
・民間企業で研修を受けられる。
・「写真の町・東川町です」と電話に出る。 など…
まとめ
『ブランディング 7つの原則 | インターブランドジャパン』で掲載されているフレームワークに沿って、これらの取り組みを整理すると。…
《東川流・シティブランディングの成功要因》
・ハードルが低い「写真」を媒介とした。
・写真を介したプロジェクトの舞台を町に、主役を住民にした。
・町外の人が東川にくるインセンティブ(写真コンテストと評価)を用意した。
・「写真」の伝わりやすさ、広まりやすさを活かした。
・役場職員を奮起させた「脱・公務員発想」。
こうしてみると、町内外の人々が能動的に関わりたくなるような巻き込み戦略を効果的に展開したことが東川流・シティブランディングの成功要因の1つだったことがわかります。
特別なものは何もない…。人口が減り続ける中で何かしなければ…。そのようにお考えの方々こそ、ぜひ東川町の事例をご参考にいかがでしょうか。
言葉が通じなくても伝わる「写真」を介した国際交流活動を積極的に展開していくという、東川町のさらなる活動の広がりにも注目です。
参考記事・図書
北海道東川町に見る小規模都市の地方創生 - 富山国際大学
https://www.tuins.ac.jp/library/pdf/2019gensha-PDF/201903-05taniwaki.pdf
写真の町 宣言
https://town.higashikawa.hokkaido.jp/town-of-photograph/declaration.php
東川スタイル 人口8000人のまちが共創する未来の価値基準
https://www.amazon.co.jp/dp/B01HG3J04U?_encoding=UTF8&isInIframe=1&n=2250738051&ref_=dp_proddesc_0&s=digital-text&showDetailProductDesc=1#iframe-wrapper
一般社団法人ひがしかわ観光協会
http://www.welcome-higashikawa.jp/about/