【Management Talk】「他人の利益をまず考える」YKK社長が累計再生回数1,300万回以上のショートアニメに込めた哲学
海外赴任が当たり前の環境
別所:まずは、YKK入社前のお話をお伺いできればと思います。兵庫県出身、上智大学卒業という猿丸社長は、どのような大学生活を過ごされたのでしょうか?
猿丸:上智というと華やかなで国際的なイメージを持たれるもしれませんけど、私はそういうタイプではありませんでした。学生時代は、一度も海外旅行をしたことがなかったですし、住まいは、中野にあった六畳一間、風呂無し・トイレ共同のアパート。専攻が語学でしたので、必修が厳しかったのですが、時間をやりくりしてアルバイトに励んでいましたね。そこで様々な会社の方々に出会った経験は今でも生きていると思います。
別所:YKKに入社されたきっかけはなんだったのでしょうか?
猿丸:就職を考えた時に、特別関心のある分野はなかったのです。ただ、漠然と、ものを作るというプロセスがあって販売する会社、つまり、メーカーが面白そうだなという意識がありました。YKKに入社したのは、私が受講していた経済学のゼミの教授がたまたま当社と縁があり、その方からお話を伺って興味を持ったことがきっかけです。
別所:入社されたのは、1975年。高度経済成長期を経て日本経済が元気だった時代ですよね。
猿丸:ええ。ですから、同期も多かったですね。そして、当時のYKKは、海外進出がもっとも加速していた時代で、海外赴任が当たり前のような環境でした。私自身は、大学で英語を専攻していたものの、海外志向が特別強いわけではなかったのですが、そういう時期でしたから、入社して3年も経たないうちにアメリカに赴任することになりました。それから1994年3月まで、17年間アメリカで暮らしました。
別所:17年!? 長いですね。
猿丸:いえ、当社のなかでは短い方です。平均すると二十数年。36年間海外という同期もいました。長く海外赴任する場合、通常は、A国からそのままB国へという形で、国を渡り歩くケースが多いのですが、私はアメリカ一国という稀なケースでした。最初にニューヨークで、そのあと3年半をフィラデルフィアで過ごし、再びニューヨークに戻って計17年です。
別所:御社は国際色溢れていますよね。グループ会社は、世界71カ国/地域で114社、従業員数44,250名のうち、国内勤務は17,402名、海外が26,848名と伺っております。(*数字は、2016年3月末現在)。
猿丸:日本国内で生産されている衣料品というのは本当に僅かですので、どうしても当社では海外勤務が多くなります。外・内・中衣、ソックス、帽子等も含めて、日本で一年間に消費される広い意味での衣料品は、約40億点ありますが、そのうちの約97%は輸入品です。特殊な例を除いては、縫製産業は海外がベースなのです。
別所:世界中で御社の社員がご活躍されている。
猿丸:海外の方が仕事の範囲が広いので経験が積めますし、現場があるので面白いと感じる社員が多いようです。海外の事業会社でキャリアを積んで責任者になると、なかなか日本に帰りたくなくなるのですよね。戻って来て、本社の大きな部署の一つの課に配属されたりすると、やはり物足りなくなってしまう。
別所:なるほど。
猿丸:ただ、もちろんローテーションで日本に呼び戻したりもしています。といいますのも、営業系や管理系ならば海外でも充電できるのですが、技術者、製造技能者は、外へ出ると放電しっぱなしになってしまいますから。日本での充電期間を設けて、新しい技術や技能を習得し、再び海外にという仕組みがいいかなと考えています。
できると約束したことはとことんやり遂げる
別所:猿丸社長がアメリカにいらっしゃった17年間は、どんなお仕事をされていたのですか?
猿丸:その頃はまだ、ニューヨークの摩天楼のなかにも縫製工場があったのです。私は、営業系でしたので、御用聞きからサンプルの配布、製品の配送まで、汗だくになりながら駆け回っていました。「ニューヨークで働くビジネスマン」という華やかなイメージとは全然違う世界ですね。
別所:海外の現場で日本との違いを感じることはありましたか?
猿丸:当時は、日本製品が世界を席巻していました。つまり、日本の国の力が評価されている時代だったのです。一方で、アメリカには、日本人に初めて会うという方もたくさんおられました。そういう状況のなかで、私がありがたいと感じたのは、アメリカの人々が、自分の言動に責任を持ち、英語でコミュニケーションができさえすれば、誰でも受け入れてくれたということです。自分が外国人だということでのハンディキャップは感じなかったですね。
別所:そういう懐の深さはありますよね。
猿丸:そして、あの時代のニューヨークの繊維産業の大多数を占めていたユダヤ人たちに学んだ価値観は、後々の商売にも役立ちました。彼ら彼女らは、契約書に記載されたこと以外の約束、信義をとても大切にします。歴史的に迫害を受けてきた流浪の民なので、おそらく、役所があって、登記があって、書類に残すという手続きが踏めないことが多かったからでしょう。そして、非常に仲間意識が強い。だから、そのなかに飛び込んでいって、信頼を得られれば非常によく面倒をみてくれるのです。
別所:仲間だと認めてもらえれば。
猿丸:私がビジネスの秘訣を質問されたときにいつも答えるのは、「自分は常に誠実でいた」ということです。できないことはできないとはっきり言う。その代わり、できると約束したことはとことんやり遂げる。それは、ニューヨーク時代に、仕事を通じてお付き合いしていただいた方から得たものだと思っています。
青函トンネルを支える防水ファスナー
別所:YKKさんというとやはり技術力の高さがイメージされます。水が漏れないファスナーや宇宙でも使えるファスナー……素晴らしいテクノロジーで科学や文明を支えていらっしゃいますが、これまでの歴史を振り返って、猿丸社長の印象に残っているものがあれば教えてください。
猿丸:たくさんありますが、一つには今おっしゃっていただいた、完全防水ファスナーですね。これは、青函トンネルが建設される際に要請があって開発したものです。トンネルの壁に設置されている排水溝にはゴミが溜まりますから、それを簡易的に清掃するという目的で作りました。
別所:完全防水というのはすごい技術ですよね。
猿丸:開発には相当な時間がかかっていますが、その技術がベースとなって、宇宙服にも使える空気を通さない気密ファスナーの開発にも成功しました。そのほかに開発案件で多いのは、スポーツアパレル系の会社さん用のものや、車載関係のもの、そして、アメリカの官需向けの開発などがあります。
別所:その技術力を背景に、御社はファスナー業界で圧倒的な世界シェアをお持ちですよね。現在の生産量は、地球50周分以上(200万km以上)という。
猿丸:我々はグローバルでは後発で、世界ナンバーワンと言われるところまできたのは、おそらく1984,5年頃です。「おそらく」というのは、実は、我々の商品の業界には、第三者的な統計資料が無いのです。たとえば、自動車でしたら、何CCの車が世界で何台作られたという統計が存在するのでシェアがわかります。ところが、ファスナーの場合、生産量や販売量の明確な統計資料が無い。もちろん社内では、過去からの蓄積で市場推移を算出していますけど、そういう意味ではナンバーワンと言っても実際にはよくわからないのです。
別所:なるほど。
猿丸:しかも、私がアメリカに赴任していた頃は、ニューヨークや他の先進国の都市でも繊維産業は盛んでしたが、90年代になってからは、中国に集中していったわけです。2000年代半ばには、世界の縫製業の約6割が中国に集中したと言われています。そのときに、中国のファスナー産業が一気に成長した。現在でも、世界でもっとも生産量の多い国は中国です。
つまり、我々は、中級以上の商品や機能商品を多く販売しているから、金額ベースでは、たしかにナンバーワンかもしれません。ただ、販売数、生産数ベースで比べると、中国に数千あると言われているメーカーさんの合計の方が、我々よりはるかに多いという現状なのです。ですからYKKとしても今後、より幅広いニーズに応えていくためにも、中級から下の部分を本当に真剣に取り組まなければならないと考えています。
ショートアニメに託したYKKブランドの哲学
別所:僕の主宰する国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」では、昨年から「Branded Shorts」という部門を設立しましたが、近年、企業がブランディングのためにシネマ的な動画を製作することが増えています。御社もショートアニメを作っていらっしゃるので詳しくお伺いしたいのですが、その前に、まずは、猿丸社長がブランディングについてどのようにお考えかお話しいただけますでしょうか?
猿丸:私自身は、YKKというのは、商品ブランドではなく、会社としてのブランドだと認識しています。ファスナーは購買の決定要素ではありません。たとえば、服を買おうとする際、好きなブランドだし、デザインや色もいいし、値段も手頃だ、となったときに、「ファスナーがYKKではないから買わない」という人はいないでしょう。一昔前ならば、ファスナーが壊れものだったので気にされる方もいらっしゃったかもしれません。しかし、最近では、全体の品質も上がっていますし、特にファストファッションが普及してからは、サイクルが早いのでファスナーが壊れることはまずなくなった。だから、ファスナーに対して消費者の目が向かない。ほとんどの人がファスナーを意識していないのです。けれども、我々は、取引先の皆様には、商品の質はもちろんのこと、YKKから買っているということに信頼を持っていただいていると思っています。我々が持っている何万という商品の全てに共通しているのが、「商品の品質にこだわり続ける」という考え方なのです。それを損なうことなく守りつづけていくことが、我々にとってのブランディングにつながると考えています。
別所:まさに御社のコアバリューには、「品質にこだわり続ける」という言葉がありますね。そうしたブランドの発信手段の一つとして作られたショートアニメ『Fastening Days』(2014年公開)『Fastening Days 2』(2016年公開)は、国内外で500万回以上、850万回以上という再生回数を記録しています。こうした取り組みにはどのような背景があるのでしょうか?
猿丸:非常にお恥ずかしい話ですが、YKKという会社は、10代や20代前半の認知度が非常に低いのです。就職活動を始めたり、経済誌を読むような年齢になると上がってくるのですが、どうしても若年層が低い。彼ら彼女らは、ポテンシャルな消費者ですし、将来の採用対象者でもあるわけですからもちろん無視はできません。そこで、若年層へのリーチを高めるために、今の時代に合った新しいメディアを使って挑戦するのがいいのではないかと考えたのです。それで、入社2、3年目の若い世代に、企画から中身までを考えるよう指示を出しました。ユニバーサルに通用するもので、宣伝色は強くなく、でも、当社の活動と一貫したものを作るようにと。そして、彼ら彼女らが先輩のアドバイスを受けながら作ったのが、『Fastening Days』と『Fastening Days 2』です。
別所:素晴らしいですね。今は、宣伝を全面に押し出すのではなくて、共感をどう生むのかということが問われている時代だと思います。様々な企業が、自分たちがどういう存在なのかを物語で伝えるということに取り組まれています。
猿丸:そうですね。当社には、「Little Parts. Big Difference.」というタグラインがあります。我々が扱っているファスナーは小さな部材だけれども、お客様の商品についたときには大きな違いをもたらしますよ、我々の商品は小さくて地味な存在かもしれないけれど、しっかりとお客様を支える存在ですよ、という意味の言葉です。また、YKK精神「善の巡環」という考え方もあります。他人の利益をまず考えたら、それはいずれ必ず自分のところに戻ってくるという、創業者が若い頃にカーネギーの本を読んで、自分なりに解釈して作った言葉です。私はそれらの言葉が大好きですし、ファスナーという部材を売ることに誇りをもっています。ショートアニメを作ったのは、当社のそういう考え方や、我々が作る商品とそこに込めた思いを、若年層をはじめとした皆様に理解していただきたいという気持ちがありました。
別所:ショートアニメには、YKKさんからのそうしたメッセージが込められているわけですね。しかも、『Fastening Days 2』は8ヶ国語(音声:日本語・英語、字幕:スペイン語・フランス語・中国語(簡体字/繁体字)・インドネシア語・タイ語・ベトナム語・ヒンディ語)で配信されています。きっとグローバルな採用活動にも影響していくことになるでしょうね。
猿丸:先々のことにはなるでしょうが、そうなってほしいと願っています。いま、先進国では、繊維産業に新しく飛び込んでくる人は少ないです。一方で、ベトナムやカンボジア、バングラデシュといった東南・南アジアの国々では、まだ繊維産業や縫製産業が国の基幹産業なので、相当レベルの高い学生さんたちがきてくれます。そうした国々の若年層に、『Fastening Days』シリーズを観ていただいて、彼ら彼女らの頭に多少なりともYKKという社名が残って、将来、思い出してもらえたらありがたいなと思います。
別所:それでは、最後に今後のビジョンをお伺いできますでしょうか?
猿丸:やはりメーカーですから、技術に裏打けられた価値を提供できる企業、技術を誇りに持てる会社であり続けたいです。そのなかで、企業の成長も踏まえて、先ほどお話ししたように、高級品以外でも、様々な分野で我々の製品を使っていただけるようにしたいと考えています。そして、時代を経るごとに変えるべきこともあれば、一方で変わらないこと、変えるべきではないこともあると思うのです。現在、YKKで働く44,250人の社員のうち、おそらく6〜7割が創業者を直接知らない世代です。私は、自分が彼ら彼女らにこれまで連綿と受け継がれてきた創業者の言葉や考え方を伝えられる最後の世代であると自覚しています。私自身の立場は変わりますけれども(*2017年4月に代表取締役副会長に就任予定)、そうした会社の哲学を、次の世代の社員たちに伝えられるようしっかりとサポートしていきたいと思っています。
別所:ありがとうございました。
(2017.2.15)