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「『省・小・精』で社会課題を解決し世の中に貢献していく」信州発のグローバル企業の目指す先

セイコーエプソン株式会社 代表取締役社長 小川 恭範

米国アカデミー賞公認短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル &アジア」は、2018年の創立20周年に合わせて、対談企画「Management Talk」を立ち上げました。映画祭代表の別所哲也が、様々な企業の経営者に、その経営理念やブランドについてお話を伺っていきます。
第52回のゲストは、セイコーエプソン株式会社代表取締役社長の小川 恭範さんです。信州発のグローバル企業として世界で評価されるセイコーエプソン(以下、エプソン)。ブランディングへの取り組みから製品の開発ストーリーまでじっくりお話しいただきました。


セイコーエプソン株式会社
1942年、時計部品製造の有限会社大和工業として信州・諏訪湖畔に設立。時計製造で培われた「省・小・精の技術」をベースに、インクジェットプリンターやプロジェクター、ロボティクスなど、多岐にわたる製品を開発・販売しています。現在、世界60以上の国・地域に拠点を有しています。また、持続可能でこころ豊かな社会の実現に貢献するため、環境活動に積極的に取り組み、社会課題を解決し、人と地球が豊かに彩られる未来の実現に向けて前進しています。

時計の発展とともにさまざまな技術を開発

別所:本日はお時間いただきましてありがとうございます。僕はショートショートフィルムフェスティバル & アジアという映画祭を主宰しているなかで、テクノロジーとクリエイティブは切っても切り離せないと考えていますので、御社の手がける事業に大変興味があります。まずは、会社の成り立ちについて小川社長からご紹介いただけますでしょうか。

小川:当社は1942年に長野県の諏訪湖のほとりで創業しました。もともと味噌蔵だった場所で創業者と9名の従業員からはじまったと聞いています。当時は、服部時計店さん(現・セイコー)の工場の一つとして、時計の修理や部品作り、組み立てを行い、その歴史のなかで発展してきました。1964年の国際スポーツ大会でセイコーさんが公式計時を担当した際には、当社もそれを支援したという実績もあります。そのときに共同で開発したスポーツ競技用の電子記録システム「プリンティングタイマー」は、私たちがプリンター事業を手がけるきっかけとなった製品です。

別所:時計がはじまりだったんですね。

小川:そうなんです。世界初のクオーツ腕時計を実現したのはエプソンなんです。ほかにも、時計をデジタル化するために水晶や半導体の技術を開発したり、液晶パネルの開発をしたり、時計の発展とともにさまざまな技術開発に取り組んできました。そうしたさまざまな挑戦のなかで、液晶パネルに光を透過させると幻灯機のように拡大して画像や動画の投影ができることに着目したわけです。プロジェクターのはじまりです。

別所:プロジェクターの誕生にはそういう経緯があったんですね。エプソンさんというと、いまご説明いただいたようにプロジェクターとプリンターのイメージが強いですが、現在、事業としてはどのようなところに注力しているのでしょうか?

小川:現在においてもプリンター事業がエプソンの柱です。会社全体の売上の7割ほどを占めていまして、そのうちの半分ほどが家庭用や小規模オフィス向けです。ただ、家庭用の印刷市場の伸び代はそれほど大きいわけではないので、やはりいまはオフィス用や商業・産業用に注力しているところです。

別所:なるほど。

小川:現在、オフィス用途では、レーザープリンターが主流です。私たちはそれを、インクジェットに置き換えていきたいと考えています。インクジェットはレーザーのように熱を使わないので、電力消費が少なく環境にいいです。しかも、トナーを頻繁に交換する必要もありません。私たちはインクジェットに大きな可能性を感じています。さらに、私たちが持っているプリンティングのインクを細かく吐出する技術を海外を含めた多くのプリンターメーカーさんに供給して、インクジェットを世界各国に普及させていくという目標も持っています。

別所:いいですね。

小川:また、紙へのプリントだけではなく、布地へプリントする捺染(なっせん)という技術の開発にも力を入れています。これまではアナログの版を作って大量に印刷をするというやり方がほとんどでした。それをデジタルに変えていくことで、オンデマンドで少量でも印刷することができるようになります。そうすると、用途が大きく広がるわけですね。もちろん、環境にも非常に優しいので大きく注目しているところです。

別所:一口にプリンターといってもさまざまな用途、未来がありそうですね。

小川:ほかには、ロボット事業も手がけています。私たちには精密な時計の組み立て技術がありますから、ロボット事業においてもそれを活かすことができるわけです。この分野にも大きく注目していますね。

ビジネス、教育分野で一気にブレイク

別所:時計からはじまってさまざまな分野に進出されているわけですね。素晴らしい。では、小川社長ご自身のお話もお伺いしたいと思うのですが、そもそもエプソンさんに入社されたきっかけはどんなところにあったのでしょうか?

小川:私は1988年に新卒でこの会社に入社しました。当時、エプソンを選んだ理由はいくつかあります。まずは、ものづくりが好きだったということ。そして、信州が非常に自然豊かなところだったということが挙げられます。私は名古屋の出身で大学は仙台でした。それで、就職活動の際、製造業界を見渡してみると、地元の名古屋近辺は自動車産業が盛んですし、関東地方にもたくさんの企業が本社を構えていました。ただ、私は、地元に帰るよりもどこか別の土地で働きたいと思ったのと、テニスやスキーなどのスポーツも好きだったので、自然豊かな土地がいいなと考えたんです。また、当時の従業員平均年齢が30歳程度と若かったのも後押しとなりました。

別所:若手時代はどんな会社員生活を送られたんですか?

小川:入社してはじめは研究開発本部に配属され、FAXの読み取り装置を開発する部署にいました。ただ、なかなか商売としては難しく、その部署は閉じられてしまったんですね。その後、映像機器事業の部署に異動になり、プロジェクターの開発に関わることになります。プロジェクターも当初はビジネス的にはうまくいっていませんでした。テレビの映像を拡大する用途で売り出したんですけど、当時の画質ではまだなかなか満足できるものにはならなかったわけです。まだハイビジョンも放映されていない時代でしたから、現在の8Kや4Kのように綺麗ではなかったので拡大しても粗くなってしまって。

別所:そうでしたね。

小川:そうしたなかでチャンスが訪れます。アメリカでパワーポイントを使ってプレゼンをする文化が生まれてきたんですね。ちょうどWindows95の出る少し前あたりからだったと記憶しています。私たちはそれを目の当たりにして、きっとここにニーズがあるのでは、とビジネスや教育分野の用途として売り出したんです。そこで一気にブレイクしました。その後、プロジェクターの性能がだんだん良くなってきたので、改めてホーム向けにも売り出したんです。

別所:そうしますと、小川社長ご自身のターニングポイントというのはやはりプロジェクターの事業に関わられたことですね。

小川:そうですね。当時は先行する技術がそれほどありませんでしたから、私たちがなにか新しい技術を加えると、それがどんどんデファクト・スタンダードになっていきました。私たちは特許をとっていましたが、他社さんは特許料を払ってでも私たちの技術を使ってくれたんです。非常に楽しかったですし充実していましたね。

別所:プロジェクターについては、僕たちが関わっているエンターテインメントの事業とも親和性が高いんだろうと思います。

小川:ええ。ホームシアターはやはり映画好きな方がターゲットになります。私たちもホームシアターを売り出そうというときに、クリエイターからも学ばなければということで、映画の撮影監督の方に集まっていただいたんです。私たちのプロジェクターを見ていただいて、いろいろ厳しく指摘していただこうと。

別所:なるほど。

小川:けれども「意外にいいじゃん」と褒められてしまって(笑)。それまでのプロジェクターはコントラストがあまり出なくてフィルムの画質を出すのが難しかったんです。だから、ある程度コントラストが出るだけで、プロジェクターにしては良いものだと思われてしまったんですね。

別所:わかります(笑)。

小川:ただ、やはり厳しい目で見ればフィルムの画質には至ってなかったわけです。その後、様々な方からご意見をお伺いしながら、試行錯誤をして画質を進化させていきました。また、当時使用していた水銀ランプは、突然切れたり明るさが不安定になったりしたので、映画館で使うのは難しかったんです。そこも工夫してなんとか改良を進めていきました。2000年になる前ぐらいの話です。

別所:そのあたりの事情はすごくよくわかります。僕は1999年に映画祭を立ち上げました。当初はまだフィルムを税関を通して輸入して、字幕を焼き付ける時代でしたけど、2000年以降のところで、あっという間にデジタライズされて、大きなプロジェクターで投影するようになっていったのを覚えています。まさにプロジェクターの歴史と僕達の映画祭の歴史は重なっている。本当に勉強になります。そして、今日はさらに、ブランディングのお話もさせていただきたいと思っています。まずは、御社のパーパスである「『省・小・精』から生み出す価値で、人と地球を豊かに彩る」について。『省・小・精』という言葉には個人的にも非常に惹かれますが、この思いは一体どういったところにあるのでしょうか。

サステナブルな社会の実現に向けて

小川:私たちは、精密機器である時計からはじまったものづくり企業として、無駄を省き、より小さく、より精緻な製品を作ること、つまり『省・小・精』にずっとこだわってきました。そして同時に、諏訪湖のほとりで事業をスタートした歴史から、創業以来、諏訪湖を絶対に汚さないという強い信念を持ってきたわけです。たとえば、1980年代後半にフロンガスが社会問題になった際には、世界に先駆けてフロンレスを宣言、その使用を全廃(1992年国内、1993年全世界)しています。そして、そうした環境への思い、環境先進企業としての姿勢と『省・小・精』は合致するだろうということで、長期ビジョンにおいてそうしたメッセージを発信しています。

別所:まさにブランディングにつながる話だと思います。

小川:ありがとうございます。さらに、もう一つ目指していることは『省・小・精』で社会課題を解決していきたいということです。私たちはこれまで、どうしても技術ありきで、技術を先に開発してからそれをどのように使うのか考えていました。しかし、やはりこれからは社会課題や社会のニーズを汲み取ったうえで技術を開発するように発想を転換しなければいけないと思っています。優れた技術が必ずしも社会の役にたつとは限りませんし、優れた技術だけで製品が売れる時代でもなくなっています。ですから、私たちは、『省・小・精』で環境問題をはじめとするさまざまな社会課題を解決し世の中に貢献していくことを目指していく。こうした思いもメッセージには込めているつもりです。

別所:環境への取り組みについてはエンターテインメントの世界でももちろん強く意識されていますけど、御社はものづくり企業として、その最前線にいらっしゃるんだと感じました。そして、『省・小・精』はまさに、無駄を省いた小さな物語を精緻に作るショートフィルムのことを指す言葉でもあると思いました。「精」は精神性にもつながりますし。本当にいい言葉ですね。それではその具体的な発信についてはいかがでしょうか?

小川:日本国内で一時期テレビコマーシャルを流していなかったところ、エプソンの認知度がかなり下がってきてしまったので、一昨年頃から再開しています。そこでは『省・小・精』や環境への取り組みとともに、信州を拠点にする私たちが世界へ広がっていく、というイメージを発信しているつもりです。実際、エプソンの売上は海外比率が約8割なんですね。

別所:まさにグローバル企業ですね。

小川:ありがとうございます。そして、今まさにもう一つ動画を企画しているところです。どうして私たちが環境問題に取り組もうとしているのか、そこでエプソンがどういう価値を発揮できるのかをストーリー仕立てにしようとしています。社内のメンバーで取り組んでいますけど、短いストーリーで伝えようとするのは難しいですね(笑)。

別所:楽しみにしています(笑)。私たちの映画祭でも、動画制作のお手伝いや発信の場のご提供をさせていただけますのでぜひ完成したら教えてくださいね。さらに、情報発信でいうと御社の取り組みで素晴らしいと思うのが、麻布台ヒルズで展開中の「エプソン チームラボボーダレス」です。これはどういった経緯で?

小川:私たちのプロジェクターの性能が上がり用途も広がってきたなかで、チームラボさんとのコラボレーションの話が生まれました。ただ、最初は本当に苦労しましたね(笑)。数百台のプロジェクターを使っていただくとなったときに、当時はまだ品質がそこまで安定していなかったため、並べると微妙な色の違いや明るさの差がどうしても出てしまったんです。けれども、作品としてそれは許されないですよね。私たちは相当研究を重ねて課題を克服しました。エプソンの特徴の一つは、お客様の要望を素直に聞くところにあるので、いろいろ言われたほうが頑張れるんですよ(笑)。チャレンジですね。そういうなかで、技術の発展や発見があるのだと思います。

別所:きっとショートフィルムのクリエイターも、エプソンさんがどういう考えで何を作っていて、自分たちはそれを使って何ができるのかを知りたがっていると思います。ぜひなにか映画祭でもご一緒できるといいなと思います。映画で言うと、エプソンさんは「燃えるドレスを紡いで」というドキュメンタリー映画に特別協力されていますよね。これについてはいかがでしょう?

小川:私たちはファッションデザイナーの中里唯馬さんとさまざまな取り組みをおこなっていまして、その活動の一環ですね。先ほど少しご紹介した捺染、つまり布地へのデジタルプリンティングの技術について、環境問題へ強い意識をお持ちでらっしゃる中里さんに共感していただいたところからこうしたコラボレーションが始まったんです。

別所:御社はやはりクリエイターとの親和性が非常に高いですね。そして、中里さんについては、環境というキーワードが結びつきのきっかけになったと。

小川:そうですね。環境への取り組みにおいても、捺染はまださまざまな可能性があると考えています。たとえば、それを応用して、捨てられた布地を細かく砕いて糸をリサイクルするという技術も開発しています。まだ少し時間はかかりますが、そこでも中里さんにご協力をいただいているんです。

別所:ぜひ実現してください。それでは最後に、エプソンさんのこれから、未来について小川社長が思い描いていらっしゃることを教えてください。

小川:やはり社会課題、環境問題に『省・小・精』の技術を使って積極的に取り組んでいきたいと考えています。今お話しした布地の再生もそうですし、それ以外にもさまざまな挑戦をしていくつもりでいます。サステナブルな社会の実現に向けて活動していきます。

別所:楽しみです。そういった物語をぜひこの映画祭やショートフィルムで発信することができればと願っています。

小川:ありがとうございます。個人的に私も学生時代から映画は本当に好きですから。なにかご一緒できるといいですね。

別所:ぜひまた改めて映画談議もさせてください。本日はありがとうございました。

(2024.6.19)


セイコーエプソン株式会社 代表取締役社長 小川 恭範
1962年生まれ。愛知県出身。東北大学大学院工学研究科修士課程修了後、1988年セイコーエプソン入社。 ファクシミリの読み取り装置となるイメージセンサーの設計を担当。1993年からプロジェクターの設計に携わり、1994年エプソン初のビジネスプロジェクターの商品化を実現。2017年ビジュアルプロダクツ事業部長。2018年 取締役執行役員 技術開発本部長。2019年取締役常務執行役員 ウエアラブル・産業プロダクツ事業セグメント担当を経て、2020年4月代表取締役社長に就任。現在に至る。62歳。