【Management Talk】「すべてのブランドがデジタルを駆使してお客さまとつながっていく」コーセーが取り組む21世紀型ブランド・コミュニケーション戦略
会社設立趣意書の第一行目に「新日本建設のために……」
別所:まずは、コーセーさんがどのような会社なのかお伺いできますでしょうか。
小林:コーセーは、私の祖父が昭和21年(1946年)に創業した会社です。おかげさまで2年前に70周年を迎えました。祖父は、家庭の事情で16歳の頃から化粧品会社に丁稚奉公していたのです。そこで、34年のキャリアを積み、終戦直後の焼け野原のなか、50歳のときに事業をはじめました。戦争から帰還して行き場のなかった仲間数人を誘って、日本の女性を明るく元気にしたい、日本は必ず復興するんだという強い思いを持って。ですから、化粧品会社なのに、会社設立趣意書の第一行目に「新日本建設のために……」と記されてあるんですよ(笑)。
別所:すごい!
小林:当時、化粧品は贅沢品でしたから、復興プロセスのなかでは、「衣食住の方が先だろ」と批判されたこともあったようです。けれども創業者は、自分がずっと歩んできた道を信じて進みました。派手な宣伝やプロモーションはできない代わりに、各地域の優良店とだけ直販取引をして、どこよりも質の高い原料を自らの信用で仕入れて商品を開発したわけです。そうやって、取引先様と共存共栄していったことで、業績を大きく伸ばしていきました。
別所:なるほど。
小林:当社は1991年にCIをして社名変更するまでは、「小林コーセー」という社名でした。そのとき、普通は、創業者が自分の名前が消えることをもっとも嫌がると思うのですが、祖父は「私はもともと、化粧品会社で自分の名前がついているのはハイカラだとは思っていなかった」と(笑)。社名を変えることに一番こだわらなかったのが創業者だったのです。そういう性格の人でした。
別所:素敵なエピソードですね。
一族の結束が固いのも強みの一つ
小林:そして、2代目としてその後を継いだのが私の父です。父はもともと建築家を目指して早稲田大学の理工学部に通っていたのですが、ある日突然、創業を決めた祖父に、「おまえは応用化学に部転部しろ」と命じられたわけです。つまり、商品の中身をつくって会社を手伝えと。ですから父はよく、「自分は2代目ではなくて1.5代目だ。創業時から祖父と一緒にやってきたのだから」と話していました。
そして私は、世代でいうと三世代目。その間に叔父が社長を務めていたので、社長としては4代目です。もともと私は、大学を卒業していきなりこの会社に入ることにすごく抵抗していました。けれど、弟が二人いたせいか、祖父が「とにかく、お前はすぐに入らなければ駄目だ」と頑なにこだわったのです。いま考えると、祖父は、三代の先代社長と私を一緒に仕事させたかったのかなと思います。
別所:幼い頃から、将来社長になることを見越した教育を受けてきたのですか?
小林:そうでしたね。祖父は、映画で言うと「ゴッドファーザー」のように(笑)、お正月、ゴールデンウィーク、夏休み、それから祖父の誕生日に、自分の子ども、嫁、孫を全員集めていました。それから、法事好き。祖母が亡くなった時には月命日を何年も続けるほどでした。私の父も同様でしたし、私自身も同じことをしています。つまり小林家は、一族がしょっちゅう顔を合わせるわけです。そういう意味でのファミリービジネスの結果、私の二人の弟もコーセーに入社しましたし、関連会社のアルビオンにもいとこが二人います。第三世代なのに、一族の結束が固いのも当社の強みの一つとして挙げられると思います。
別所:考えてみたら、そもそも会社の原点は家族にあるのかもしれませんね。
小林:昔は同族会社批判がありましたけど、いまは逆に見直されてきているような気がします。上場しているファミリーカンパニーは、ガバナンスも効いているうえに、中長期でものを考えられるためぶれない。ブランドビジネスにとってはメリットが大きいように思えます。
別所:では、ブランディングやマーケティングについても詳しくお伺いさせてください。
「もうコーセーはいらない」と言われた悔しさ
小林:私は、中学生から高校一年生まではサッカー漬けの日々で、その後はアイスホッケーばかりしていました。転機は大学の3年生になったとき。法学部法律学科だったのに、マーケティングの村田昭治先生の授業に出会ってしまったのです。すべてが実学の話、企業のブランディングやマーケティングのケーススタディで非常に面白かったわけです。
別所:慶應大学でマーケティングに目覚めたわけですね。
小林:ええ。当社ではいまも、「宣伝」「パッケージデザイン」「香り」を三大決裁と呼び、私が決裁しています。コーセーは、香りやパッケージデザイン、そして商品自体は、祖父や父の代から本当にいいものを作っていました。けれど当時のコーセーは、化粧品会社としてはどうも華がなかった。私は、学生時代の一番多感な時期に同級生から「お前の親父の会社のポスターだっさいな」と散々言われながら過ごしてきたわけです(笑)。しかも、ちょうどその頃、外資系のブランドがどんどん日本に上陸してきた時代だったので、大学では女性陣からも、「コーセーは外資に比べるとぱっとしないわね」と言われ続けて……。コーセーには、化粧品会社として大事なものが欠けているのだと感じていました。
別所:そんな時代があったんですね。
小林:それで、私は会社に入ってからも「うちの広告はなってない」と散々生意気なこと言っていたら、それなら自分でやれと、30歳で宣伝部長をすることになったのです(笑)。私は、創業45周年に向けて、約3年がかりで、コーセーの全社員から取引先様、お客さまにとって、コーセーという会社、ブランドがどう映っているかを徹底的に調査することにしました。その結果、決してイメージが悪いわけではなく、イメージが希薄だったということがわかりました。コーセーと言われても、商品が思い浮かばない。資生堂さんやカネボウさんと言われれば、特定の商品が思い浮かぶけど、コーセーってなにがあったっけ? という感じで。それはやっぱり化粧品会社としてはいかんだろうと感じました。
別所:どのような対策を?
小林:私は常々、化粧品会社に限らず日本の製造業は、新製品を乱発しすぎて、ブランドをあまり大事にしない、と考えています。だから、ロングセラー商品が少ない。当時、当社にも過去に売れた商品が数多くあったのに、ブランド担当者が次々に新商品を新しいブランドで出してしまうから定着していなかったのです。私は、そこに手を入れました。その結果、ロングセラー商品が生まれるようになりました。
別所:ブランドを大切に育てることで。
小林:また、もう一方で当社は、資生堂さんやカネボウさんとは異なる多ブランド戦略をとってきました。その背景には、百貨店から「もうコーセーはいらない」と言われた悔しい経験があります。それで、じゃあ百貨店で売るにふさわしいブランドはどんなものか? ドラッグストアで販売するブランドはどうなのか? といったように、それぞれしっかり考えるようになったわけです。日本の会社は、「企業=ブランド」と、一緒くたに考えてしまう傾向が強い。私は、30代の時にそれを変えていきました。それまで当社には、コーセーを冠にした商品名のものしかありませんでしたが、現在ではブランドポートフォリオの半分以上が、「コーセー」の名を隠しているブランドです。お客さまも、その商品をコーセーが出しているとは知らない。エスティ・ローダーやロレアルも同様の戦略を展開していますが、それが、いまの業績や利益を生むことになったと思っています。
別所:大胆な展開ですね。
デジタルマーケティング事業部を新設
小林:「化粧品」という一つの言葉でくくっても、スキンケアもあれば、メイクもあれば、ファンデーションもあります。スキンケアやファンデーションは、毎日使うので、一回気に入ったら長く使い続けていただける商品です。そこでは、機能や技術が重視されます。逆に、アイシャドウやマスカラといったポイントメイクの商品は、ファッションの流行り廃りで捉えていかなければなりません。ですから、化粧品の商売は、非常に感性的な右脳寄りのものと、美白やシワ対策といった機能が重視される左脳よりのものという、両極端を融合させた商売と言えるでしょう。
別所:機能や性能にこだわりながらも、その時代の気分やトレンドも反映していくと。そんななかでどのようにお客さまとコミュニケーションをとっていくかも大切ですよね。
小林:従来の化粧品は、百貨店、専門店、ドラッグストア、量販店という、大きく4つにチャネルが分けられていました。けれどいまではもう、百貨店が化粧品専門店を作ったり、ドラッグストアが専門店を作ったり、ディスカウントストアが高級ブランドを扱うようになったりと、売り場がボーダーレスになってきています。そこに、インターネット、SNSが加わってきました。日本国内だけでなく、アジアや欧米でも、いまや化粧品の情報はマスメディアよりSNSの方が影響力が強いのではないかと感じるほどです。当社では、この4月に組織改編してデジタルマーケティング事業部をつくり、すべてのブランドが、デジタルを駆使してお客さまとつながっていこうという試みを進めています。
別所:なるほど。
小林:これまで化粧品会社には、流通さんと直で取引してきた歴史がありますから、ECでメーカーから直売するなんてとんでもないという風潮がありました。けれども、アマゾン然り、それは世界的な潮流で、日本が一番遅れてしまっているわけです。たとえば、中国コーセーは、ネットの売り上げ比率が4割ある一方で、日本のコーセーは5%にも満たない。ですので、ネットやSNSへの対応は、日本国内だけで考えてもどんどん遅れていってしまいます。そのため、デジタルマーケティング事業部は各地域、各ブランド事業部にまたがるように、縦串横串でとらえていく組織にしています。別所:ネットやSNSを通してブランドのストーリーを発信していくことは非常に重要ですよね。僕が主宰する映画祭でも「ブランデッドショート」部門を作り、企業がブランドを物語るショートフィルムをフィーチャーしています。小林:そのブランドが誰のために生まれてきて、何をしてくれるのか、というストーリーがないとお客さまは手にとってくれないでしょう。いま日本には、約1兆5千億円のマーケット規模にたいして3,000社以上の化粧品会社があります。そのなかで「普通」の商品では選んでいただけないですよね。別所:商品やサービスの説明を超えて、ライフスタイルを提案することも求められていますよね。小林:どうしてわれわれがこんなにたくさんのブランドを展開しているのかというと、いろいろな価値観のお客さまに選んでいただけるように、あるいは、同じお客さまでもシーンごとに使い分けていただけるようにしているわけです。そういうスタイルを提案できなければ厳しいでしょうね。
化粧品の概念を変えていかなければならない
別所:21世紀初頭になり、映画産業もテクノロジーによって大きな変化が訪れています。御社は、最新テクノロジーとはどのように向き合っているのでしょうか?
小林:いま、化粧品業界ではパーソナライズに取り組み始めています。そのお客さまにあった化粧品やメイクを提案したり、カスタマイズするというものです。また、各社が人工皮膚などの新しい技術革新や生命科学に関する研究も手がけています。我々もいろいろなところにアンテナを張っていますから、将来、化粧品を超えたものができるかもしれません。
別所:それは楽しみですね。
小林:フランスのリヨンでは、ヨーロッパの製薬会社や化粧品会社が集まって研究を進めていますし、そこにゲームや映画の関係者も加わっているようです。日本企業は、業種を超えた取り組みが苦手ですが、我々としてもオープンイノベーションに取り組んで、化粧品の概念を変えていかなければならないと強く感じています。AIやIoT、生命科学の発展、iPS細胞といった技術と当社の事業は切っても切り離せない関係にありますから。
別所:たしかにそうですね。
小林:余談ですが、私の長男がシネフィルで(笑)、スタンリー・キューブリックが好きなのですが、「2001年宇宙の旅」が50周年だから一緒に観よう、とこの年末年始に誘われ、久しぶりに観ました。そうしたら、半世紀も前に作られた映画なのに、まさにいまの時代を予見しているなと感じました。
別所:HALの暴走が。映画にはそういう力もあるのかもしれません。そういう意味でも、御社と僕たちで一緒になにか新しい取り組みができたら面白いかもしれませんね。それでは最後に、これから御社が取り組もうとされていることを教えてください。
小林:当社は、売上規模の割に海外売上比率がまだまだ少ないという現状があります。資生堂さんが約6割を海外で売り上げている一方で、当社はようやく25%を超えて、3割になろうというところ。この出遅れは取り戻さなければいけません。また、先ほど申し上げた通り、デジタルでの展開については、大きな危機意識を持っていますので、単なるECという売り方だけではなくて、ネットを通じて世界中のお客さまとどのようにつながっていけるのかを考えていかなければいけないと感じています。
別所:もしかしたら、ショートフィルムがそのお役に立てるかもしれないなと思いました。ぜひ改めてご相談させてください。本日はありがとうございました。
(2018.5.10)