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八重山病院 與那覇副病院長と面会

R5年6月7日
やっとここまできました!という感じでした。
安全対策室リスクマネージャーの方が同席し副医院長と1時間話しました。

NO医師が5年もの間私ががんを再発している事を教えてくれず
故に当然治療をしなかった事
電子カルテが改ざんされていた事などなど
ここで今まで書いてきた事やそれ以外の事も話しました。

副医院長は、NO医師は京都大学から来た良い医師だったんですよ
と言ってましたが、
私は、いいえ、あの人は白衣を着てそこに座っているだけの人でした
と言いました。
だってそうでしょ、肩書よりも適切な診療をしてくれてこそ
真のお医者さんでしょ。
なので、診察室にいたのは白衣を着てそこに座っていただけのお年寄りです。
がんを治療しないこの医者が診ていた他の患者さんたちは
大丈夫だったのでしょうか。
そういった事も副医院長に話しました。

副医院長の話では
NO医師は60歳で退職したかったらしいのですが
医者が足りないので引き留め、70歳まで八重山病院にいてもらった。
そして無理に引き留めた事でやる気をなくしたのだと思う。
それが〇〇さん(私)にしわ寄せがきたと思う。
という事でした。

私はNO医師に診てもらっていた当時
検査結果を見せてもらった事がほとんどありませんでした。
検査後診察室でNO医師に結果を訊くと
大丈夫、大丈夫と毎回私に言い
その後で必ず少し雑談をし…..怖いことに、笑いながらデス。
更に怖い事に
NO医師が辞める前の最後の検査日、
診察室で一緒ににこやかに写真を撮りました。
今でも時々その写真を見ます。
どんな人間なのかと。
信用してたんです。
普通お医者さんががんの治療を放棄します?
しかも、人当たりが良く好感がもて
良い医師だと思っていたので
長年診てくれてありがとうと感謝すらしていました。
ですからNO医師から病院を辞めると聞いた時
来年の検査の日を早めて辞める前にもう一度診てほしいとお願いしました。
ですがNO医師はそれを断りました。
私は退室する前に何度かお願いしたのですが
頑なに断られました。
私はなんでだろう?と思っていました。
そしてNO医師退職後
年に一度の検査の日にNO医師が長年隠していた私のがん再発が分かったのです。
天地がひっくり返ったような驚きでした。

副医院長から何故検査結果を見なかったの??と訊かれましたが
先ほども書きましたようにNO医師を信用してたので
その医師が大丈夫と言えばそれ以上こちらとしてはなく
あー、良かった、となりました。

NO医師の診察室ではPCのモニターはNO医師を囲むように向けられていて
患者側からは画面が見えないようになっていました。
その時はその事が気にならなかったのですが
NO医師は倫理に反し道徳心もないまま
退職までの残りの日々を送っていたのだと思いました。
不幸なのはそんな人間に診てもらっていた私たち患者です。

この事に対して副医院長は
検査結果を患者さんに見せて話す事を義務ずける。
それを怠っていれば他の医師がチェックできてわかるようにする。
(どうやって?)
と話してくれました。

次にカルテの改ざん。
医事課から取り寄せた診療記録の文言や(大きく変わってはいないが)内容が書き換えられていた事を話しました。
診療記録をどのPCで改ざんしたのかどうかが分かるようになっているので
もしそんな事が行われていれば違法になるので調べてみると言ってました。

副医院長とは限られた時間内で色々と話をしました。
最後に副医院長から
病院側としては何かあれば謝るしかないけど
人命を考えればそれだけで許されるわけではない
と聞き私の気持ちが少し和らいだのを覚えています。

是非その気持ちを失うことなく
改善できることは改善していってほしいです。

そして6/22にこの時話したことに関する中間報告の為
再度副医院長とお会いしました。

私は明らかにNO医師のせいで左乳房を全摘する事になりました。
私自身が”自分の死”に恐怖を感じる為
那覇の主治医にははっきりと具体的なステージなどは聞いていません。









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