異能β-17 空力の鬼才 Adrian Newey
Adrian Newey (エイドリアン・ニューウェイ) (1958.12.26---)は、イングランド出身の自動車技術者。F-1やIndy carにおいてカーデザイナー・空気力学専門家・レースエンジニア・テクニカルディレクターとして活躍。空力開発の要職を歴任し、コンストラクターズタイトルやドライバーズタイトルなど数多くのタイトル獲得に貢献した。美しいデザインと高い空力性能を兼ね備えたシャシーを開発し、「空力の鬼才」の異名を持つ。
1977年、大学進学後航空宇宙工学を専攻し、風洞施設を用いた研究をした。グランド・エフェクト・カーの登場でレーシングカーの空力研究が飛躍した時代、Neweyはグランドエフェクト空気力学のスポーツカーへの適用という学士論文を書いた。
1980年の大学卒業後はF1のFittipaldiでHarvey Postlethwaiteの下でF8の開発からキャリアをスタートしたが、チームは運営が破綻し離職となった。
1981年にMarch Engineeringに転職、最初に設計したマーチMarch 83G( 1983年型 IMSA GTP及びGroup C用シャーシ)は Al Holbert が駆ってMiamiのRaceでIMSA GTPクラスを制覇。
Al Holbertの事を知りたい方は「note」の「異能β-11: Al Holbertって知っていますか」を参照願いたい。
Indy 時代
1984年、Indy Carプロジェクトに移動し、Team PenskeでAl Unserが駆ったMARCH 84Cが優勝
1985年にはTeam Penskeの American Special March 85CでDanny SullivanがIndyを制し、同TeamのAl Unserが年間チャンピオンを獲得している。
1986年、Neweyはクラコチームに移動したが、この年はNeweyの設計したMARCH 86C BUDWEISERを駆ったBOBBY RAHALがIndy 500と年間チャンピオンを獲得した。
1987年、NeweyはIndy CarではNewman/Haas RacingでMario Andrettiのレースエンジニアを担当しながら、LEYTON HOUSEのスポンサードでF1に復帰したMARCHの翌年用マシンの設計に取り組んだ。
この年のIndyはTeam PenskeのAl Unserの駆ったCummins MARCH 86Cが優勝し、結果的にNeweyの設計 MARCH 86CがIndyの4連覇と2年連続のシリーズチャンピオンを生んだことになる。
Penske Racingをもっと詳しく知りたい方は「Note」の「事実は小説よりも奇なり-21 Penskeスポンサーの遍歴」を参照願いたい。
F1のLEYTON HOUSE時代の内容は「note」「レアモデル列伝-36 バブルの遺産 LEYTON HOUSE」を参照願いたい。
Williams Grand Prix Engineering Limited時代
1989年、WilliamsはNeweyをチーフエンジニアとして招聘、Patrick Headが駆動系やサスペンションを担当し、Neweyがシャーシや空力担当するという、共同開発体制となり、両者の個性が上手く噛み合うことで、ウィリアムズの戦闘力が向上した。
1991年、FW14は新たに投入したセミオートマチック・トランスミッションが上手く作動せず、McLaren MP4-6に遅れをとり、その年の終盤までタイトル争いは縺れた。
1992年に投入したFW14Bはアクティブサスペンションとトラクッションコントロールシステムを搭載したマシンで全16戦中10勝し、Nigel Mansellは初のワールドチャンピョンを獲得、チームは1987年以来のコンストラクターズチャンピョンを獲得した。Neweyが手掛けたマシンがF-1タイトルを獲得したのもこの年が初めてであった。
1994年、新たにAyrton Sennaがチームに加入したが、第3戦のサンマリノGPでアクティブサスペンション禁止による空力的な不安定さが原因で事故死、原因はステアリングコラムの改造とされ、裁判となったが、2005年に無罪が確定された。
1996年にFW19の設計を終えた後、シーズン終了を持って、Williamsを退職した。このWilliams時代に手掛けたNeweyのマシンは通算51勝を挙げている。
McLaren時代
1997年、WilliamsとMcLarenの間で示談が成立し、Neweyは8月から現場で働き始めた。合流後はNeil OatleyによってデザインされたMP4-12の改良を行いながら翌年に使用するMP4-13の改良とMP4-14の設計に携わり、1998と1999年の2年連続のワールドチャンピョンを生んだが、コンストラクターズタイトルは信頼性の低さから1999年と2000年はFerrariにコンストラクターズタイトルを奪われた。その後Neweyは残留しているものの、他に移るとかレースから離脱する等の話題が広まり、モチベーションの低下が大きかった様だ。それでもMcLaren時代に手掛けたマシンは通算43勝を挙げている。
Red Bull時代
McLarenを離れたNeweyは2005年にRed BullのChristian Hornerから2006年にMcLarenの契約終了後に移籍の話し合いがされ、最高技術責任者(CTO)でマシン開発を行うことを承諾、2009年までは姉妹チームのScuderia Toro Rossoにもマシンが供給された。Red Bullはすぐには結果がでなかったが、2008年のイタリアGPでSebastian VettelによりToro Rossoに初勝利が持たらされた(Vettel自身もF1初優勝)。
2009年、空力規定の大幅な改訂により RB5を開発し、中国GPでVettelがRed Bullの初優勝を飾った。同年のブラジルGPでMark Webberが優勝し、Neweyの手掛けたマシンが通算100勝目を達成した。
2010年以降はRB5を進化させたマシンを投入しプルロッドやブロウンディフューザー等の開発で空力設計に独創性を発揮、同年にはSebastian Vettelのドライブもあって初のワールドチャンピオンを獲得。RB6を擁してダブルタイトルを制覇した。
2011年、RB7で19戦中18回のポールポジションを取り、またもやダブルタイトルを連覇した。
2014年からは、新レギュレーション導入と同時にMercedesが圧倒的な強さを手にすることとなり、Renaultエンジンの競争力低下が彼のモチベーションにも影響したようで現場から離れ、2014年以降は2020年までドライバーとコンストラクターズのタイトルをとっていない。
2019年、ホンダとのパートナーシップを開始する頃から再び業務に本格的に復帰を画策しそれと同時にモチベーションも復活しRB15を作り上げたと言われている。
2021年にMax Verstappenがドライバーチャンピオンになり以後連続で獲得コンストラクターチャンピョンは2022年から再び獲得し、2024年もダブルチャンピョンとなりそうだが、2024年5月よりF1デザイン業務から離脱、2025年第一四半期をもってRed Bullテクノロジーから離脱する方針が発表されている。
ところで、2009年まで姉妹チームとしていたScuderia Toro Rossoはその後、Scuderia Alpha Tauriとスポンサーと名称を変更、車の形はRed Bullと同じだが、トップは元レーサーのFranz Tost。
Red Bullの1年落ちの部品を使用し、Red Bullのセカンドチームとして機能し、Sebastian VettelやMax Verstappenらの名手を輩出している。なおこのチームは2024年からVisa Cash App Red Bull F-1 Teamに名を変えて参戦する。
Newayの今後の去就については、大きな注目が集まっている。候補としては2026年からホンダ製のパワーユニットを使用するAston Martin。2024.06.14にはScuderia Ferrariと165億円の3年契約との情報がBusiness F1 Magazineからあり、7度のワールドチャンピオンであるLewis Hamiltonと手を組むことになると報じている。
さて、今後はどの様に変わるであろうか、Verstappen以外にも活躍するドライバーもでるだろう、後は角田裕毅の初優勝がいつになるかが問題だろう。
2024.07.06
編集後記
表題のモデルはSP製 2021年のDriver's Championの1/18モデルである。
ここに面白い写真がある。Adrianの息子のHarrison Neweyはレーシングドライバーの道に進んでおり、2018年12月7日にはHarrisonのSuper Formulaのルーキーテスト参加に合わせて来日し、息子の乗ったSFマシンのスケッチに励み、息子がホテルに先に帰った後にも六本木の居酒屋でチームスタッフとミーティングを重ねるといった行動を取り話題となった一コマ。
別名「空力の鬼才」でとんでも無い人間を思わせるが、どこにでもいる(分けがない)家族想いの酔っ払いのオッサンを思わせる佇まいこそが、彼の本性かとも思えるのは、筆者の思い過ごしか。
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