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事実は小説よりも奇なり-24:Spark製Chaparral―2
24.01.06事実は小説よりも奇なり-20:Spark製Chaparral-1を記載して、ほぼ半年の07.08にChaparral 2Dと2F(No.7)が発売さて当然購入した。そこで、最初の2F同様にminichamps(MC)の2Dとの比較と、種々の2Dについて記載する。
モデルは1966年のLe Mans 24h参戦のPhil Hill / Jo Bonnierが駆ったNo.9。 予選10位、決勝はスタート後8時間・111周でDNFとなった車。Le Mans 100周年記念でSpark(SP)からの発売となった。
モデルでの違いは、ドアと後方のウインドウの縁、MCは黒地にリベットが浮き出ているが、SPは白いシールドで覆われている。Le Mans本の写真ではフロントライトも白いシールドで覆われている、因みにSPではライトの部分、主ライトは黄色い網目の覆いがあるが、先端ライトは何も無い。一方MCは先端ライトに未だシールドが貼られたままで主ライトは黄色の網目である。またリアフェンダー前のエアインテークはMCの方がやや大きい、この辺は設計者の感性の問題だろう、目くじらを立てる程ではない。
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ドアの窓周囲、後方のサイドウインドウも同様
それでは2Dの歴史を語ろう。
1966年、Jim Hallは耐久レースの世界選手権に参戦、ドイツのNurburgringで初優勝を納めた。
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このアイデアはHallが考えたのではなく、同朋Hap Sharpの考えらしい。なぜなら後にも出てくるが、Hallは長距離レースを得意としない、しかし彼は若い頃ヨーロッパでF-1に挑戦したし、ヨーロッパ車に慣れ親しんでいた。また1950年代のBriggs Cunningham がLe Mansに挑戦したのも知っていてアメリカ製のマシンでの挑戦を決意した可能性もある。
2Dは取り敢えず車体が2Aの改造型(2D001と2D002)、ウインドスクリーン・ルーフ・ドアなどが追加し、ロールバー、スペアタイヤや荷物室も装備しレギュレーションに合致する様にした。
最初は2Aのフリッパーが付いたまま、ルーフを作製、太くなったタイヤのため前後のホイールアーチが大きくなり、グラマラスなスタイルとなっている。
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車はレース毎に改造された。
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このキットは持っているが箪笥の肥やし状態で溝呂木氏より譲って頂いた
No.11の後の2つ目のウインドウは嵌め殺しか
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ライトが一般的な位置になり、屋根には大きなエアスクープを装備したが(後端はエンジンルームの換気用アウトレット)、ヨーロッパラウンドに出てからは大きな改造はなくなった。
前述の様にHallは長距離レースが苦手だったらしく、ステアリングを握ったのはPhil HillとJo Bonnierであった。
温故知新、以前の書籍を見直したら、知らなかった(当時は興味の無かった)事実を発見した。それが7ℓの2Dだ。
エンジンを5.36ℓから2F の7ℓに変更、エンジン拡大からラジエーターが拡大されフロント形状が変わり、Daytona 24hでフロントにあったオイルクーラーがリアパネルに移動し、エアアウトレットがSebring 12hでは両サイドに開口となった。またエンジン拡大によりリアエンドに移動したラゲッジスペースは蓋がなく単なる四角い筒であるのが興味深い。ドライバーはBruce Jennings / Bob Johnson、この筒、FIAの役員からクレームが付いたが、Hallがラゲッジスペースは大きさの記載のみで蓋や底の記載は無いと堂々意見を述べて通したとの記載を見た。(Daytonaではリア左にエアアウトレット、Sebringでは左右に変更)
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No.14は左のみのエアアウトレット、No.5は両サイドのエアアウトレット
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編集後記
結局、Chaparral 2Dは全6戦(延べ7グループ)を戦い、優勝1回(他は全てDNF)はまあまあの戦績か、しかしその優勝1回が曲がりくねったNurburgringとは、びっくりしたのは駆ったPhil HillとJo Bonnierであった様だ。
2024.07.16
参考文献
・Richard Falconer with Doug Nye CHAPARRAL Motorbooks International
Osceola USA 1992
・檜垣和夫 SPORTSCAR PROFILE SERIES 4
シャパラル 二玄社 東京 2008