見出し画像

レアモデル列伝-24:Denis Hulme最後のCan Am車

 1月1日の午前2時8分37秒が期限のeBayオークション。15件の相手に対し購入金額の2倍程提示し何とか落札、今年初のお年玉であった。
 面白かったCan Amの第1期はMcLarenの活躍に、Chaparralが挑み、Ferrariやその他諸々の車が競り合い、ドライバーの技量も大いに話題となった時代だった。

 Chaparralの技術革新(あのGordon Murray も真似をした)が否定され、Porscheの大排気量エンジンにターボ過給で1,000hpを出すようになると、段々興味が薄れ終焉を迎える様になった。
 1972年、McLarenは新たにM20を開発、ラジエーターからの排熱対策と重量配分等を考慮し、ミッド・ラジエーター化した車を用意し、Denis HulmeとPeter Revsonのコンビで72年と73年を戦った。72年D.HulmeはMosportとWatkins Glenで優勝し、65点を獲得したがシリーズは2位に留まり、Porsche 917/10Kを駆ったGeorge Follmerが130点を獲得しシリーズ1位に輝いた。

 McLarenはこの年限りでワークス活動を中止(F-1活動に集中するためとの理由)、プライベート勢が73・74年を戦い、74年に”Scooter” Patrickの1勝が最後となった。(「note」「事実は小説よりも奇なり-6:たかが1勝、されど1勝」を参照願いたい)

1/43 8台のM20 後列右端が今回の切掛モデル
1/43 Marsh Models製(MM)  最後の優勝モデル

 さて、所有のモデルは全部で8台、Sparkが5台(No.3はInterserieのNurburgringに参戦した1台でSparkを改造しMarsh Modelのデカールを使用)、3台がMarsh Models製である。No.73はDavid Hobbsが駆ったBlack Label、Watkins GlenのモデルはSpark製、フロントのBlack Labelが細い赤線で囲まれたモデルは73年の最終戦であるRiversideで行われたL A Times GPを戦ったMarsh Model製、後部の構造が変更され、ウイングの位置が低くなっているのはモデルを比べてみないと分からない。

1/43 Spark製(SP)のモデルを改造したとされる、ウイング位置が一寸高いか、デカールがMM製
1/43 左SP製、右MM製、フロントの赤線の縁取り、
2台を並べるとウイングの位置が異なるのがわかる
SPのモデル
MMのモデル、後部の形とリアホイールアーチも異なる

 GulfカラーのM20は4台、今回購入のモデルはMarsh Models製、他の3台と比べると、オレンジ色が濃い、自分的にはSparkの色の方が近いと感じるが製作者の感性の問題であろう、またD. Hulmeが72年の第1戦を戦ったモデル(No.5)はフロントのブレーキダクトの入取口が見えない、最初はフロントカバーの後にあるのだが、エアの量が少ないのかレース名は不明だが、途中でフロントカウルの前方に移動しているのも、モデル比べで分かった次第(No.4)(それがあって、最初は1台だけの予定が8台に増えてしまった、これもフリークたる所以)。

左はD.HulmeのMosportのモデル、右はP.RevsonのLagna Secaモデル
フロントフェンダーの左右の穴は後から改造された

 No.96の白いM20はMario Andrettiが駆ったターボ付きの車、リアから炎を吹き出すので「竜」と揶揄された。

参考文献の写真と1/43(SP)  No.96モデル

 最後は今回のモデル、色の違いは感性の問題だろうから致し方ない。疑問はフロントの銀色カバー(アルミ?、ジュラルミン?)というか装置(?)、いつからこうなったかはどの文献をみても不明、何のためかも不明(単なる石のによる破損に対するカバーなのか)。ヴィンテージカーとなった博物館モデルには無いので、一時的は物と考えられるが、こんなことが気になるのもフリークの所以でろう。

1/43 MM製 フロントの銀色のカバーというか装置というか、これで他のモデルとの差別化
保存されている実物、このオレンジ色と青色のフロント部分が銀色となっていたのだ(参考写真)

 記事を掲載後、知人よりこの銀色はダクトテープだとの情報があった。アメリカでは良く使用され、日本のガムテープより接着力が強いテープとのことであった、言われてみればその様で、小石等からの防御目的であったのだろう。

参考文献
Pete Lyons CAN-AM Motorbooks International 1995


いいなと思ったら応援しよう!