事実は小説より奇なり-10 なぜ多い、1967年のIndy Model
最近購入した1/43ModelはVollstedt(フォルシュテット)というIndy Car、フロントが赤く塗られたNo.21は1967年のIndyを走ったCale Yarborough(NASCAR Driver)のModel、もう1台のフロントが黄色のままのNo.21は同年11月のRiversideを走ったJim Clark、No.17は同じRaceでGeorge Follmerが駆ったModel、他のIndy Carと比べるとフロントサスペンションが所謂ブラバムタイプ、それとこの頃から流行り出した小さいながらエア効果を狙ったスポイラー。RiversideのレースではNo.21を付けたJim ClarkとNo.48のDan Gurneyが競っている写真があるが、所謂Indy本にも1枚あるかどうかという程度、筆者も初めて目にした。
Vollstedtはコントラクターとしては無名であり、輝かしい成績も残していないが、上記の様に1967年のRiversideでJ.Clarkが駆り、一時はNo.48のDan Gurneyと争いトップを走る快走をみせ、一躍話題の車となったのがModelになった由来らしい。(ModelはJochen RindtがIndyで走ったModel、車体は同じでドライバーが異なるだけ)
このIndy Carは67.5.31の51回Indyで予選20位、決勝は176周アクシデントでDNF(17位)となった、なおこのRaceでは兄弟のLee Roy Yarboroughも参戦し、予選26位、決勝87周アクシデントでDNFとなっている。
Modelとなった実際のRace Carの結果は
No.14 A.J.Foyt Coyote Ford予選4位・決勝1位
No.40 Parneli Jones Paxton 予選6位・決勝6位
No.6 Bobby Unser Eagle Mk-3 予選8位・決勝9位
No.48 Jochen Rindt Eagle Mk-3 予選32位・決勝24位
No.31 Jim Clark Lotus 38 予選16位・決勝31位
No.81 Graham Hill Lotus 42F 予選31位・決勝32位
1967年のIndy 500は何と言ってもParnelli JonesのPaxton Turbocarが話題を独占、実際TVを見ていた限りでは優勝すると思っていた(雨で中断、翌日再開だからTVで後半は見られなかった)、残3周で6ドルのベアリング破損で優勝を逃したのは、STPがスポンサーになったためともいわれる。(note「事実は小説より奇なり-1 STPの呪い」参照)
Race carはLotus及びそのコピー品(優勝したA.J.FoytのCoyote Fordも同様)と、その後結構な台数が作られたEagle Indy、この年はMk-3がメイン、Modelでは8位になったBobby Unserと108周でリタイヤしたJochen Rindt。親分のDan GurneyのモデルはIndyには無い。(No.48のMk-3はGurneyが同年のRiversideで優勝しているので、何かの事情で出場できなくてRindtが替わりに出場したのか?)(参考モデル参照) なおエンジンが他のFordと異なり、マフラーが上ではなく横、Gurneyは排気量の大きいOHVを用いたことが多いので、これもその様に見えるが、詳しい資料がないので判らない。
LotusはJim Clarkの38とGraham Hillの42Fが出場しているが、2台ともリタイヤしていて殆ど話題にもならなかった様だ。
Pace Carは1967年のChevrolet Camaro。
この年の話題は何と言ってもPaxton Turbocar、練習では早すぎて予選では三味線を引いたとも言われていた、実際雨が降らねば、そのまま優勝しただろうと当時のTVを見ていた筆者の感想。
もう一つ、Vollstedtは前述の様に写真に残り、その早さが話題にModelが作製されたようだが、J.Clarkが駆ったので早かったのだろう、堅実性ではトップを争ったDan GurneyのEagle Mk-3に軍配が挙がった様だ。
そんな動機が面白い。
参考文献
Indy 500 the Complete Record of 101 Races 林 信次 著、三樹書房、2018
Pete Lyons RIVERSIDE INTERNATIONAL RACEWAY Spry Publishing 2015
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