異能β-3 テキサスの白い怪鳥-6 白い鯨の2Hと異能β所以の2J
1969年、J-Hは全く異なるコンセプトになるChaparral 2Hを作った。空気抵抗を極端に減らすべく考えられた車。
J-Hはドライバーを辞めたので、ステアリングを握ったのは嘗てのライバルであったJohn Surtees(J-Su)。この車のコンセプトは2Gと同じスピードでコーナーを回り、直線のスピードアップを図るため空気抵抗を極端に減らしたもの(同じコンセプトでAVS Shadowという車が作成されたが、まともに競争はできなかった)。モデルをみれば分かるように、ドライバーは大きく後ろに寝た姿勢を取り、ラジエーターを車体の後ろに、低く幅の広いタイヤとサスペンションを使用するため、ドディオン・アクスルの派生型を使用したクローズドボディー、視界を得るためサイドをプラスチックで窓を作るという、誰も想像したことの無い車であった。しかし名手J-Suをもってしても、まともに操縦できず(J-Hとの意思疎通も悪かったと言われている)、後ろのフラップを大きくしたり、ボディー中央の上に大きなウイングを付けたりと、見た目も大きな改造をした。
レース結果は69年の最初の3戦は2Hが間に合わず、McLaren M12を改造した車で走り、3位、DNF、12位の成績であった。
4戦から2Hで4位、5位、DNF、7戦と8戦は取り止め、9戦目で巨大な中央ウイング装備車で出場したがDNF、10戦・11戦もDNFでこの車はChaparral史上最大の失敗作とされている。
J-HがInnovator(革新者)の名を高めた最たるものがChaparral 2Jだ。新しいアイデアを思い付き、起死回生を期して送り込んだ車。そのアイデアは車体の底面から空気を吸い込み、底面と道路間の負圧を利用してダウンフォースを得るという、今でこそF-1をはじめ、高級スポーツカーでも用いられているアイデアだが、1970年当時、この考えを発展させ実行した人間はJ-Hだけだ。
簡単に言えば巨大な掃除機を使って、空気を吸い出し負圧を得るのだ。1968年頃GMのエンジニアが思い付き、J-Hがそのアイデアを用いた車を翌年のCan-Amで走らせようとしたが、実戦に用いるには課題が山積していた。しかし、最後尾のファンを大型のスノーモービル用エンジンで回し(自車のエンジンを用いた場合、低速コーナーでは威力が激減)、道路と車体の間をスカートで覆い、それを路面に密着させる方法を思いつき、その材料をレクサンというポリカーボネート樹脂に行き着いた。(見出しの写真の2Jの車体後部にLEXANの文字が見える)。
最初のレースはPR会社の関係でJackie Stewart(J-St)がステアリングを握った。しかし彼は忙しく、この車を走らせたのはレース当日、彼の腕を持ってしても、トラブル過多の車をフィニッシュさせることはできずDNFとなっている。
その後はVic Elford(V-E)がステアリングを握り戦った。予選は圧倒的な速さであったが、補助エンジンやその他のトラブルが続出し、彼の最初のレースは6位であった。しかしその後の2戦はDNF続きで終了した。
70年以降、J-Hはレース活動から手を引いた。自由な発想が認められなくなった事への失望が原因とされている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?