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レアモデル列伝-9 Sam Posey & Caldwell D7
Sam PoseyにしろCaldwellにしろ、一般の人にはまるで馴染みがないだろう。レースカーやレースの愛好者でも両方を知る人は少ない。
しかし、60歳以上でレースの愛好者は1968年の日本Can Amで2位に入った白地に太い赤線の車は記憶に残っているかも知れない。Can Am関連の本でCaldwellは少なくとも1枚の写真が載っていたのを覚えている人もいるのではないかと思う。
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多くのCan Am本に残っているのが見出しの車、Caldwell D7(Marsh Models)である。一見ボテっとして速そうには感じられない、ではなぜ写真が載っているか、それはドディオン・アクスルという後輪が路面に常に垂直に接地するシステムを採用したかららしい(あのChaparral 2Hが68年に採用した後部サスペンション方式)。下の写真を見て頂きたい、ピザ屋の出前でよく使用されている3輪バイクが似たようなシステムをとっている。
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このCaldwell D7、赤いラインと青いラインの車はどちらが先にできたのか、普通に考えれば、赤いラインが先に使用され、その後Chaparralのウイングを参考にしたと考えるのが順当である。ところが、最初に使われたのは青いラインのウイングの付いた車。
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この車は、1967年の第1戦 Elkhart Lakeに出場したモデル。中央のウイングは「フリッパー」と名付けられ、手でコントロールしたと書かれている。何戦までこれで戦ったか不明だが、見るからにボテっとした車で速そうではない、結局ウイングは重たいだけの付加物と考えられ、ウイングを取り外しボディーカラーも変更されたと見るのが妥当であろう。
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太い赤ラインの車は68年の第2戦のBridgehamptonのレースで走っている姿が資料の写真に載っている。(Driverは Poseyではなく、Lungerで予選17位となっている)
Caldwell D7はSam Poseyが駆って67年の第1戦から68年の第1戦まで7戦の内5戦を戦ったマシン。予選は15-21位と中団で、68年の第1戦予選15位スタートで10位フィニッシュが最高位と全く活躍していない。1968年の2戦目からPoseyの車はCaldwellからLola T160(前述の写真参考)に変更、同年4位と5位を1回ずつ獲得(5点)で総合9位となっている。ノンタイトルを含めれば、日本Can Amで2位が最高の結果ともいえる。
こんな具合だから大手のモデルカーメーカーは製品化しない。製品化するのは少量生産(100台程度)のキットメーカーのMarsh ModelsかSMTSくらい。今回のCaldwellとLolaはいずれもMarsh Models、キットをフィニッシャーが作る物だから、値段も張る。さらにeBayのオークションなので落札には結構な金額が必要。だからこそ愛着があるというものだ。
それではSam PoseyはそれだけのDriverかといいうと、結構活躍している。
1969年のLe MansにT.Zoccooliと共に駆り総合8位となった。(Look Smart : LS)
これは1965年にM.Gregory / J.RindtがFerrariでLe Mans優勝した最後の車。
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1970年、Ferrari 512S Long Tail (Tecno Model)のドライバーはSam PoseyにRonnie Bucknum、操縦は結構難しく予選13位で決勝4位、512Sの中では最高位であった。 (2024.11.02 追加)
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1971年、Ferrari 512M (Look Smart)のドライバーはSam PoseyとTony Adamowiczが駆り予選12位で決勝3位はこの車の最大の収穫であった。
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1975年のSebring 12hでB.Redman/ H.Stuck等4人でBMW CSL(Minichamps)を駆り優勝している。
Sam Poseyは燻銀のDriverともいえる。
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2021年の消息ではスポーツ・ジャーナリストとして活躍している様だ。
2022.05.09
2023.09.28、1/43のMirage M9を購入した。その中にS. Poseyの名前をみた。
1978年のLe Mans をVern Schuppan Jacques Laffiteと共に駆って10位となったRenaultエンジンを積んだMirage、GITANESの踊る女性のマークが映える。
![](https://assets.st-note.com/img/1696054208394-D6EXlXkqM2.jpg?width=1200)
2023.09.30 一部改変
2024.11.02 一部追加
参考文献
・Quentin Spurring LE MANS 1970-79 Haynes Publishing UK 2012