異能β-7 蘇った蜃気楼
シンキロウと言っても、一言居士で元総理の森喜朗ではない、富山で時に見られる蜃気楼、英語でMirageのこと。
1967年、Len Bailey はJ.W.AutomotiveのJohn Wyer(J.W.)がマニュファクチュアラーズ・チャンピオンシップにエントリーした 2 台の GT40 を再設計、Gulf OilのスポンサーでMirage M1として参戦。(GT40のルーフ部分をもっと滑らかにして、空気抵抗を減らした)(拙文note 「異能β-6 大英帝国の逆襲 Alan Mannの野望と挫折」より)
1971年のシーズン終了後Porsche 917やFerrari 512等の5ℓレースカーは禁止され、排気量が小さく燃費の良い3ℓプロトタイプによる選手権に変更された。
J.W.はLen Baileyによる新しいプロジェクトであるM6を作製しレースに供した。M6はアルミニウム シャーシと、ストレス メンバーとしてデチューンされた 3ℓF-1 Cosworth DFVエンジン、大きなリア ウイングを備えたオープン グラスファイバー ボディワークで構成された。
Cosworth V8は振動が強く、信頼性の問題が数多く発生、Weslake V12エンジンの使用も考えたれたが、このエンジンは重く、結局Cosworthエンジンを使用したシャーシが2台作製され、レースに参戦した。
1973年はDerek Bell / Mike Hailwoodの駆ったM6がSpa1000kmで優勝したが、Le Mansでは出場した2台ともDNF、Spaの勝利を除けば、1973年のシーズンは成功とはいえなかった。
このM6の4 台が1974 年に Gulf GR7 に改名されレースを戦うこととなった。この年のLe MansはD.Bell / M. HailwoodのNo.11が4位入賞を果たしたがNo.10はDNFであった。大幅な改造はなく、見た目は座席の仕切りとフロントホイールアーチの形、エアインダクションポットの高さ位しか分からない。
1975年はGulf GR7が引き続きレースに参戦したが、Le MansのみGR8で参戦しNo.11 D.Bell / Jacky Icks組が優勝、No.10 V.Schuppan / Jean-Pierre Jaussaud 組が3位となりGulf カラーがLe Mans 24hで総合優勝した最後の車であった。
1975 年後半にGulf Oilが国際的なスポーツカー レースからスポンサーシップを取り消すと、アメリカの実業家で元レーシング ドライバーのHarley Claxton IIIは、J.W.とGulf Racing CoからMirage Teamと関連するすべての製造権を獲得した。Claxtonは2 台のMirageのTeamとしてLe Mansに参戦。JCB Excavators、Elf Lubricants、Renault Sport 等がスポンサーとなり、John Horsman の継続的な管理と John Wyer の顧問の下で、Mirage GR8(M7)は 1976 年 (GR8はCosworth) と 1977 年 (M7はRenault) の両方で、Porscheに次ぐ総合 2 位でフィニッシュした。
Le Mans 24hレースでRenault 2ℓ V6 ターボ エンジンとして最初の表彰台を獲得した。
Mirageは1982年にM12まで改造されていったが、その年をもって終焉を迎えた。
2022.11.29
その後、2023年の9月にNo.10が、12月にNo.11のM9のモデルがSPから発売された。
No.10はV. Schuppan / S.Posey / J.Laffiteが駆り1978年のLe Mansで予選9位で決勝10位、No.11はM.Leclere / S.Poseyが駆り予選12位決勝DNFであった。なお両車にS.Poseyの名があるのは、No.11が6位を走っていた7時間でDNFとなったのでNo.10に乗り替えたのではないかと推測されるが、その理由は不明である。なおNo.10は故障で修理に4時間以上費やしたにもかかわらず10位完走は驚異であると参考文献に記されている。
この1978年はRenaultエンジン車がLe Mansで初優勝した年であった。
2024.1.1追加
参考文献
Gulf-Mirage 1967 to 1982 (Wsc Giants):Ed McDonough.
Velcome Publishing Limited 2012
Le Mams ル・マン24時間耐久レース クエンティン・スパーリング著、新宿仁成/野澤一幸訳、Studio TAC Creative 2012